生まれ出づる病、或いは断絶の話

(☆Д☆)
テーマB:「ふじ」
この作品はR-15指定です
 ただでさえこんな狭いとこに閉じ込められてんのによ。
 厭味ったらしい鉄の柵は見てるだけで腹が冷えるし。
 やたら明るく照らされてんのに床と壁は変に冷たいしで。
 どうもおれの精気はこの四角い穴ぐらに全く吸い取られてしまってな。
 だからおれのこと見てそんな鼓動を荒げるこたないんだ。
 なぁそこの人間よ。
 凍った滝みてぇな柵の向こうのお前よ。
 恐ろしいか。
 おれが恐ろしいか。
 こうも自由を奪われたおれを見てまだ鼓動が荒れるか。
 おれの腹の先のぎらぎら光る毒の牙がお前の喉をザクリと割くか。
 それか目の下まで裂けた口がガッと開いてお前を呑むか。
 そんなこと考えてんだろうな。
 お前の鼓動と熱が乱れてんのは。
 どっちも無いから安心しろ。
 ちゃんと分かってんだ。
 おれがこんなとこに入れられた理由なんか。
 それはお前には関係ないことなんだ。
 紺色の衣を着たお前のような人間には。
 おれがしでかしたことは。
 おれの頭で考えたのでない。
 おれの生理がやったのだ。

 綿鳥ってのがいるだろ。
 雲みてぇなフワフワの羽の鳥が。
 あいつは塵や埃やなんかが目の前にあるのが許せねえんだ。
 全部羽で払いのけないと気が済まねえんだ。
 そういう生理の仕組みなんだ。
 燕がビイビイ泣くのも。
 亀が煙を吐くのも。
 頭で考えてやってないんだ。
 生まれたときからずっと。
 やらずにおれないからそうしてんだ。
 あのいけ好かない白イタチも。
 おれのこと見ると熱と鼓動が乱れてな。
 爪に血が通ってな。
 おれの喉やら腹やら切り刻みたくて切り刻みたくてな。
 どうにもならんのだとさ。
 あいつらが始めたのかおれたちが始めたのか。
 そこのところは分からないが。
 白い毛皮に赤い稲妻。
 あれがいけないんだ。
 目に刺さって仕方ないんだ。
 おれの黒い腹に飲み込んで。
 赤い稲妻を無くしてしまわなきゃならないんだ。
 おれの心の平穏無事を取り戻すためによ。
 人間よ。
 だからだよ。
 白地に赤い稲妻の。
 そんな衣の人間を呑んじまったのは。

 どうにもここは冷たすぎるな。
 壁も床も氷みてぇだ。
 いつの間に紺色の人間が一匹増えてらぁ。
 おい人間。
 どっちでもいいが。
 おれのこと見るたびに心の臓が跳ねるんだな。
 二匹もいるくせによ。
 おれが怖いか。
 そんなに怖いか。
 毒蛇に呑まれるのがそんなに怖いのか。
 こっちは向こう一月は何も呑まんでいいくらいなんだが。
 腹に白イタチ一匹ほどの人間が入ってんだから。
 その一月だって来ないことをおれは知ってんだ。
 お前たちが話してることなんて大方分かってんだ。
 人間どもがおれを殺そうとしてることなんてよ。
 おれには見えるし臭うんだ。
 この四角い穴ぐらに入れられたやつらの血の跡が。
 怒り狂ってそこの柵に頭ぶっつけたらしい。
 そんなんがいくつもべったりと見えらぁな。
 怖がりなやつの漏らした小便の臭いだって穴の隅からぷんぷん臭ってくらぁ。
 んで誰も今ここにゃいねぇ。
 したらこいつら全員死んだってことだ。
 大方おれと同じようなことやらかしてここに入れられたんだろうが。
 そんで殺されていったんだろうが。

 おい人間。
 お前たち。
 おれはお前たちに捕まってからずっと思っていたんだが。
 しびれる網に捕まったおれを取り囲むギンギンの熱をもった体と。
 どっかから聞こえてきた罵り言葉とうるさい泣き声と。
 今だっておれに向けられる怯えきった目と乱れた鼓動と。
 そういうの見てるとな。
 それがお前たちの生理の仕組みだと思うとな。
 まるでこれは病気みたいじゃないかと考えちまうんだ。
 綿鳥が一日中飽きずに埃を払ってんのも。
 腹空かせた燕が阿呆みたいにビイビイ鳴いておれに呑まれるのも。
 全部そいつらが生まれつき肚に抱えた病に思えてくるんだ。
 白イタチがおれを切り刻みたがるのも。
 おれが赤い稲妻を見て心の臓が乱れるのも。
 生まれたら最後死ぬまで治らない病気みてぇな気がするんだ。
 なぁ人間。
 おかしいよなぁ。
 おれたちは病気を何より嫌ってるのに。
 生まれてから死ぬまでこんな変な病気を肚に抱えて生きてんだよ。
 お前らのは特におかしい。
 小さいのがたった一匹おれに呑まれただけでよ。
 でかい図体のやつらが鼓動も温度も乱れに乱れてよ。
 目から水を垂らして喚き散らしたりよ。
 きっとこの穴ぐらに誰かが放り込まれるたびにそんな騒ぎがあったんだろ。
 なぁ人間。
 しんどくないか。
 一匹が死んだだけでそんなになって。
 死ぬことを思っただけで鼓動が跳ねて。
 そんな病を抱えて生まれるのは辛くないか。
 そんな病を抱えて生きてくのはしんどくないか。
 おれにはとても無理だ。
 そんな平穏無事から程遠い病を抱えて生きるのは。

 こんなことを思うのはな。
 おれだってしんどくなってきたからなんだよ。
 あの赤い稲妻の衣の人間を呑んだのは。
 あの人間が憎くてやったんじゃない。
 おれの生まれつきの病気がやったんだ。
 おれの不治の病があの人間を呑ませたんだ。
 おれが何もかも頭で考えていたなら。
 今頃おれは草むらで微睡んでたろうな。
 どうしてこんなことしちまったのか。
 どうして憎い白イタチでなくて人間を呑んじまったのか。
 平穏無事を取り戻すためのことがどうしておれをこんなとこに放り込んだのか。
 頭で考えたって分かるわけねぇのによ。
 考えて考えてしんどくなってきちまったんだよ。
 赤い稲妻を纏ってただけで憎くもない人間を呑んじまうようなおれのことが。
 そんな病を肚に生まれ持ってきたおれというものがしんどくなっちまったんだ。

 なぁ人間。
 どっちでもいい。
 おれの言うことが一つでも分かったんなら。
 おれの言葉が一つでも人間の言葉になってお前たちの耳に届いたんなら。
 何でもいい。
 何かおれに言ってくれ。
 そんな飛び出しそうな目をしてないで何か言ってくれ。
 それともおれが怖いのか。
 壁や床や鉄の柵に体をぶつけて悶えるおれが怖いのか。
 腹ん中に詰まった赤い稲妻が暴れだしてな。
 こんな無様を晒しながらもおれの頭は考えるのをやめないんだ。
 平穏無事に生きてたら考えもしないようなことをな。
 腹の痛みに苦しみながらも考えずにいられないんだ。
 なぁ人間。
 きっとおれたちは普段ならこんなことは考えないんだ。
 生きるのに何の障りもないうちはこんなこと不思議に思わないんだ。
 これまでのおれは。
 おれの肚に抱えた病のことなんざ気にもしなかった。
 この四角い穴ぐらに詰め込まれてから。
 おれは初めておれの不治の病のことを思うようになったんだ。
 おれの腹ん中で赤い稲妻が暴れだして。
 いよいよだめだというこの時になっても。
 おれはこの病のことを思わずにいられないんだ。
 おれだけでなくお前たちも。
 お前たちだけでなく生き物ぜんたいが。
 何でこんなもの抱えて生まれさせられたんだって。
 こんなもの抱えてよく生きてんなって。
 ああまた腹ん中で暴れやがる。
 赤い稲妻が腹にかじりついて離れねえ。
 きっとこのままおれを取り殺すな。
 おれがいよいよだめだと思うのはな。
 それでもいいと思ってるからなんだよ。
 あんだけ目に映るのが痛くて痛くて疎ましかった赤い稲妻がよ。
 あんだけ必死に腹ん中に収めて無くしてきた赤い稲妻がよ。
 今おれの腹ん中からおれを殺そうとしてんのによ。
 もうそれでいいって声が頭ん中でしやがるんだ。
 もうこんな思いしてまで赤い稲妻を腹に収めなくてもいいってよ。
 そうすっとなんか腹の痛みが楽になってくんだよ。
 腹は痛いまま楽になっちまうんだよ。
 ああ体が二つに裂けそうだ。
 もうこんなことしなくていいって言われてんのに。
 さっきまでおれはしんどかったはずなのに。
 吐き気がこみ上げてきやがる。
 赤い稲妻を吐こうとすんのは肚なのか。
 抗ってんのは肚ん中の病気か。
 病気が俺なのか。
 病気が俺ならこの頭ん中の声は何だ。
 おい人間。
 お前たちが言ったのか。
 違うな。
 そんな乱れた鼓動のやつらがこんな大人しい声出せねえな。
 俺だな。
 俺が俺に言ってんだな。
 もうこんなことしなくていいって。
 ああもうそれでいい。
 どこも痛くねえ。
 吐き気もしねえ。
 赤い稲妻の人間よ。
 もうおれは誰も呑まんからな。
 すまんかったな。

 三メートルはあろうかという立派な大蛇であった。毒蛇は檻の中でこの世の終わりとばかりにのたうち回り、しかしその死に顔は意外なほどに穏やかなのであった。鋭さの消えた眼は静かにこちらを見つめたまま紅玉のように固まり、口元はこちらに何か問いかけるかのように僅かに開いたかたちで動かなくなっていた。
 毒蛇の暴れ様が恐ろしかった私は、かのハブネークが死んだと思われた後もしばらく檻から少し離れたところにいた。しかし署長はその亡骸の傍らに檻越しにかがみ込み、すまんなあ、すまんなあ、お互いにやれん事件だったなあと何度も何度も語りかけ、その声があんまり哀れの色を帯びていたので私はそっと署長の隣に同じようにかがみ込み、そうしてその死に顔を見たのであった。
 署長はハブネークの死骸に向けて手を合わせていた。私もそれに倣う。
 冷たい静寂があった。
 立ち上がりざまに手を合わせた理由をそれとなく聞くと、署長は一度また蛇に視線を落とし、また私を見ながら答えた。
「暴れるこいつの目が、どうして、と言ってるような感じがしたんだ。こいつからしたら本当に理不尽でやれんことだよなぁ。そう思うとこいつが哀れだったんだよ」
 そう言うと署長は、でもよお、人を殺したポケモンはこうなるしかないんだ、ごめんな、と、また蛇に声をかけるのだった。
 死んだハブネークの体はぴくりとも動かない。かすかに膨らんだ生白い腹が灯りの下に横たえられ、尾刃は遥か後方の床に投げ捨てられたかのように落ちていた。
 無言のまましばらく私達はその躯を見ていた。この蛇に呑まれた子の母親の取り乱した様子を私は思った。手だけ、足だけになった子の体に取りすがって泣いていた父母たちの姿や、水の中に消えた子をいつまでも探し続ける祖父や祖母たちの姿が灯りの下に一瞬浮かんで消えた。
「子供は無事でしょうか」
 やや出し抜けな私の声が檻に跳ね返る。無論無事なはずはないのだが、署長は意図を汲んでくれた。
「大丈夫だ。蛇は獲物を丸のまま呑むから」
「そうですか」
 私はいくらかほっとした声で答えた。体を全て遺族の元へ返してやれることが嬉しかった。それがこの痛ましい事件のせめてもの救いだった。この蛇の腹に入った子供を救い出し、早く母親に遭わせてやらねばならない。署長が檻の鍵を開けた。ギイ、と戸の鳴る音が随分と痛々しく響いた。