日曜日、部屋の観葉植物に水をやる

23歳・会社員・♀
テーマA:「ラジオ」「上昇気流」「反比例」

 水曜日。家に帰ると、アパートの部屋のど真ん中の床から、ナッシーが生えていた。


 夏になってようやく、念願の一人暮らしを始められることになった。この就職難の世の中、まさか三月に入って突然就職先が決まるとは思わなかった。メンタルを破壊させにくるだけのものだと思っていた就活もだらだら続けてみるものである。あまりに突然決まったので新生活を始める準備をする余裕など全くなく、職場には実家から通っていた。職場まで電車で片道二時間四十七分、乗り換え三回、乗り過ごしたら次の電車が実家の最寄り駅に来るのは昼前。
 さすがに毎朝これだとしんどかったので、会社から自転車か何かで通勤できる範囲に引っ越すことにした。とはいうものの、新社会人やら学生やらはとうの昔に住家の入れ替えが終わり、時期ハズレの不動産屋に好条件の空き部屋は少ない。家賃はそこそこだけど住環境が最悪か、いい部屋だけど高いか。そうそう簡単に掘り出し物が見つかるわけがない……と思っていたのだけれども。不動産屋で山のような物件ファイルを片っ端から開いていて、私はその部屋に目が留まった。
 職場から徒歩二十分で、築二十二年、日当たりのいい南東向きの角部屋、フローリングの十畳ワンルーム、小さな庭付き、大きめのクローゼットあり、風呂トイレ別、二口ガスコンロ、リフォーム可、私は持ってないけどポケモンもOK、敷金礼金ゼロ。一階なのだけは残念だけど、こんな好条件でお家賃何と驚きの一万円ポッキリ。
 こんなの即買いに決まっている。この部屋にします、と興奮気味に言う私を見て、不動産屋さんが物件を見、綴じてあるファイルを見て、少し困ったような顔をした。ファイルはちゃんと確認しましたか、と聞いてくる。首をひねりながらファイルの背表紙を見ると、赤い文字で「事故物件・訳あり」と書いてある。詳しいことは知りませんが、『出る』らしいですよ。不動産屋さんは小声で言う。何だそんなことか、と私は笑った。元より幽霊とか信じないし、どうせ見えない。それでこのお値段なら同居人がひとりふたり増えたところで問題はないだろう。仮にゴーストタイプのポケモンだったりしたらちょっと厄介かもしれないけど、その時はポケモンを持っている友人に頼めばいいだろう。何とかなるなる。
 そういうわけでその場で書類やら契約書やら何かの同意書みたいなのやらさくっと片付けて、一週間後には引っ越せるように手筈を整えた。その日は家具屋でオシャレなガラスのローテーブルやら本棚やらを見て周り、心踊らせながら家まで帰ったものだった。
 新居に持ち込んだのは段ボール三つ。もともとそんなに物を持っている方じゃなかったし、大きな家具家電は徐々に揃えていく予定だった。これから私はこの空間を自分の好みの色に染めていくんだ。雑誌やテレビで見ては憧れていた自分の城である。コンセプトを決めて家具に統一性を持たせよう。カーテンが青と白のグラデーションだから、リゾートみたいなイメージで作るのはどうだろう。ラグマットを淡い生成りの色に。編み細工とガラスのローテーブルを陽の当たるところに、白いローソファに水色のクッションを置くのはどうだろう。白い棚に貝殻なんかを並べるのもいいかもしれない。ああそうだ、部屋の隅に南国系の観葉植物を置こう。背が高めのヤシ系なんかいいかもしれない。よし、今度の週末はインテリアショップを見て回ろう……。


 ……と、のんきにそんなことを考えていたのが三日前の話だ。
 私は今、自分の目の前に広がっている光景を理解することを、仕事帰りでくたくたに疲れた頭が全力で拒否している。

 玄関を開けると横長の廊下があって、右手側突き当たりにはお風呂。正面にある引き戸を開けると、キッチンスペースも併設された十畳のワンルーム……のはずなのだけれども。
 まだ全然ものを置いていなかったリビングのフローリングがぶち破られ、ぽっかりと開いた穴から三つの顔がついた南国植物が生えている。わずかばかり置いてあった荷物は瓦礫の破片とともに部屋の隅に追いやられ、土埃を被っている。ちょうど幹の太さと同程度に開けられた穴からは、床上八十センチくらいのところから私の身長より少し小さいくらいの大きな顔のついた実が三つ。長くて尖った葉は少し天井に押しつぶされている。真ん中の顔がやたらハイテンションなところから考えて、これはいわゆるあれだ、アローラの姿とかいう奴だろう。アローラの姿のナッシーの首が生えている。あいにくここはカントーなので、普通に考えてアローラのポケモンが自生しているわけがないんだけど。
 いや、というかそもそもアパートの床からナッシーの首が生えているという状況はいくらなんでもおかしくないか。ナッシーの。首が。
 あまりに常識はずれの出来事に、私はリビングの入口で固まっていた。やたらハイテンションな顔と無言で見つめ合う。しばらくそうしていると、ナッシーの首は突然こちら側に頭を倒してきた。会釈でもしているつもりだろうか。あ、どうも、などと言いたげな様子だ。尖った葉が微妙に顔に当たる。何だかものすごく脱力して、ああ、どうも、と適当に会釈を返しつつ、部屋に入った。
 土埃にまみれた部屋の一角にフローリングワイパーをかけつつ、珍入者を観察する。ナッシーの首はたまにちょっと首を傾げるようなそぶりを見せたり、よくわからないけど小刻みに横揺れしたりしている。ガサガサガサガサ葉っぱがうるさい。というか端的にいって邪魔だ。ものすごく邪魔だ。部屋のスペースの大部分を首が占めている。敷金……などという言葉が一瞬頭を過ぎったが、そういえばこの部屋は敷金ゼロだった。その点はよかったのだろうか、いやもしかしてこの事態を想定して最初から敷金を取らなかったのか。そう考えるととたんに腹が立ってきた。くそっ、詐欺だこんなの。
 フローリングワイパー三枚ぐらいを両面使いきって、とりあえず寝っ転がれるくらいのスペースは確保できた。瓦礫の中からふとんを引っ張り出してきてコロコロをかける。本当は掃除機をかけたいけれども、夜なので自重した。ご近所に迷惑はかけたくない。というかこのナッシーは迷惑になっていないのだろうか。ふらふらふらふらしているが、お隣りさんの壁にばしばしぶつかった挙げ句「お前のポケモンのしつけはどうなっているんだ!」なんて怒鳴り込まれたら困る。私のポケモンじゃないししつけも何もない。私だって迷惑しているのだ。突然部屋にナッシーの首が生えて一番困惑しているのは私なのだから
 というか本当なんでナッシーなんだ。しかもアローラの。あれか、私が部屋を南国リゾートな雰囲気にしようなんて考えたせいか。確かに椰子っぽい観葉植物なんか置こうかとも考えてた。でもここまで本物志向の南国は求めてない。雰囲気だけで十分だ。というか本物邪魔すぎる。どう考えても私の生活スペースが圧迫されているを通り越して消滅しかけている。この部屋の主は私のはずだけど。

 空腹感を覚えて、はっと我に返った。夕食がまだだ。とはいえ、この週末にまとめて手配する予定でまだ冷蔵庫もない部屋。くたびれ果てた今の私にはお湯を沸かしてカップ麺を作る程度の気力しかない。棚からやかんを取り出して軽く水洗いし、水を入れてコンロに置き、火を点けた。
 ……瞬間、ガサガサバシャっと大きな音がした。振り返ると、ナッシーが思いっきり窓際に頭をのけ反らせていた。窓ガラスに硬い葉っぱがガンガン当たっている。あれこれガラス破れるんじゃないだろうか、と思うと、自然と手が火を消していた。ナッシーの首が落ち着きを取り戻す。ふうやれやれ、とでも言いたそうな顔をしばらく見てから、もう一度コンロのスイッチを捻った。
 手の平大の大きさの何かの種が飛んできて、コンロのスイッチに当たった。衝撃に安全装置が働いて火が消える。もう一度ナッシーの方を見ると、ダメダメとでも言いたいように小刻みに頭を横に振っていた。ハイテンションな顔のまま。

 解約しよう。
 私は不動産屋の書類を引っ張り出すため、埃にまみれた荷物をひっくり返しはじめた。解約しよう。すぐ解約しよう。こんなの人の住む場所じゃない。ちょっと変わった植物園だ。今すぐ不動産屋に電話をかけて違う部屋に引っ越させてもらおう。営業時間外とか知るか。連絡先どこだ。軽い怒りと殺意を覚えながら、契約の書類を探す。ああもう、ゴミが多くて見つからない。
 散々瓦礫を引っ掻き回し、ようやく書類のようなものの束を引っ張り出す。連絡先を探してそれをめくっていて、ふととある文書が目に留まった。「同意書」と書かれたそれには、様々な契約上の約束とともに、赤ペンで下線が引かれた項目が書かれていた。

『この契約で借りた部屋で「いかなる事態」が起きようとも、契約期間が終了するまで部屋を解約することはできません』

 何だこのトラップ!! と叫んで私は書類を床にたたきつけた。土埃が舞った。
 いや、確かに聞いていた。ワケアリの部屋とも、何かしらが『出る』という話も。
 でもこの条件でこれは想定しないでしょ! 不動産屋で何か出るって聞いて、部屋にナッシーが生えるとは思わないでしょ! 誰が想定するよそんなこと!!
 ナッシーは静かに暴れる私を見て「?」とでも言いたげに首をひねった。くそっ誰のせいだと思ってるんだ。そのアホ面もぐぞ。もぎもぎしたらもぐもぐするぞ。ナッシーの顔というか実が食べられるのかどうか知らないけど。
 どっと疲れが出た。私は電気を消して埃っぽいふとんにダイブした。三つの顔がざわざわ葉っぱを揺らしながらこちらを見てきた気がするけど黙って寝ろ、と言って寝た。ナッシーがまた「?」といった感じで首を傾げた。



 木曜日。朝目が覚めて部屋を見ると、やっぱり部屋の真ん中にナッシーが生えていた。朝日を浴びてやたらわきわきしている。悪夢でいいから夢であってほしかった。
 上司に連絡をとった。引越先でトラブルがあったから今週いっぱい休ませてほしいというと、上司はあっさりといいよーと言ってきた。まだ有休は出ないけど、今までの残業の分で代休にしとくねー。と言ってくる。基本給が減らないのはありがたいけど、さよなら私の残業代。というかそんなに残業してたっけ私。何かあったのー? と上司が聞いてきたので、冗談に思われないだろうか、と不安になりながら実は、と切り出した。

「部屋に……ナッシーが生えまして……」
「あー、ポケモンが居着くと大変だよねー。がんばってねー」

 そう言ってじゃーねーと電話を切られる。何かものすごくあっさりだった。というか上司、絶対部屋がこうなってると理解してはないだろう。ナッシーって言ってもせいぜいカントーの奴が庭に入ってきたとかそんな風に思ってるに違いない。まあ、いいか。無駄に頑張って正しい情報を伝えることもない。休みは取れたし。
 不動産屋が開くまで部屋で時間をつぶす。ナッシーは相変わらずゆらゆらと揺れている。何を考えているのかわからない顔を太陽の光が入ってくる東側の窓に向けている。部屋の床より下がどうなっているのかわからないけど、回転できるのだろうか。というかどうなってるんだろう、残りの首と胴体。知りたいけど何か怖い。
 たっぷり陽が差し込む大きな窓から、その辺の通行人が部屋を見て訝しがられたら嫌だなあと思っていたけど、プライバシー対策が万全で高いブロック塀が建っていて部屋の中も小さな庭も外からは全く見えない。よかったのだろうか、いやいっそ誰かに見つかって騒ぎになったくらいのほうが楽だったんじゃないか。もしかしたら。
 そうだ、と思ってスマホのカメラを向ける。不動産屋に行くにしても写真くらいは撮っておいたほうがいいだろう。それにSNSとやらにあげて「いいね!」などもらえばちょっとくらい気分が晴れるかもしれない。全然いいねじゃないけど。というかSNSやってないけど。スマホの画面に映る光景を見て、立ち上がって部屋の隅まで下がる。もう一度確認して、部屋の入り口の戸を上げて玄関まで下がる。
 駄目だ。ナッシーが大きすぎて全然入らない。一部しか映らなくて何撮ってるか全然わからない。というかナッシーの奴、カメラ向けたらそっぽ向きやがる。こっち向け。顔がないとただのでっかい木にしか見えない。というか全体的に画像の合成感が半端ない。私の目の前にある光景なのにものすごく合成っぽい。うん、もういい。写真はあきらめよう。このままじゃいいねもつかない。

 開店と同時に不動産屋に駆け込む。部屋にナッシーが生えて困る、と私が訴えても、担当のお姉さんは言葉の意味を把握できていないように困り笑顔で首をひねった。諦めず訴え続けていると、とりあえずお部屋に行ってみてもいいですか? と言ってきた。もちろん、と同意しすぐに不動産屋の車で部屋へ向かった。
 玄関の鍵を開け、この先です、とリビングの扉を指差す。失礼します、と不動産屋さんが引き戸を引いた。

 部屋の中の空間には何もなかった。

 やたらと存在感を示していた南国の生き物は影も形もなく、部屋の真ん中にぽっかりと大きな穴だけが残っている。呆然としている私に、随分と大胆なリフォームをしましたねえ、と不動産屋さんがのほほんと言う。違う。確かにリフォーム可ってあったけど、仮にするとしてもこんなアバンギャルドなリフォームはしない。穴を覗き込むとどこまでも真っ暗。何の音もしない。何で。あの椰子の木どこ行った。
 ぱたんと扉を閉める。大きく息をついて、不動産のお姉さんに少し向こう向いててもらえますか? と言い、ひとりで扉を開けた。
 部屋の真ん中に、やたらとハイテンションな顔をした大きすぎる木が茂っている。やっほー、とでも言いたげに首を揺らしている。すみませんこっちに、と不動産のお姉さんを呼ぶ。一瞬目を離した隙に、あのイラつく笑顔はまた消えていた。
 はあ、と脱力して部屋の入り口でへたり込む。何なんだあの野郎。もういっそ本当に夢なんじゃないか。夢にしてほしい。ぐったりとした私に、不動産屋のお姉さんが少し考えるそぶりをしてから、あのー、と話しかけてきた。

「よくわかりませんけど、もしご不満があるようでしたら、このお隣の部屋もお貸ししましょうか? お安くしますよ」

 えっ、と顔を上げる。お隣さん空室だったんですか、と聞くと、このアパートのこの部屋と隣は空室ですよ、と答えられた。なるほどそれならとりあえずお隣に迷惑をかけることはないのか。じゃない。なんだか怪しい雰囲気が漂ってきた。大丈夫なのか隣の部屋。
 とりあえず、せっかくだからと隣の部屋を見てみることにした。不動産屋さんに玄関を開けてもらい、ちょっとひとりで見てみてもいいですか、と聞く。構いませんよーと不動産屋さんに許可をもらったので、深呼吸してから部屋の引き戸を開ける。
 部屋はがらんとしている。何もいる気配がない。もちろんフローリングも何の傷もなくフラットだ。はあ、と安堵の息をつく。さすがにこっちの部屋にもいるなんてことはなかったみたい。よかった。これならこっちも借りてもいいかもしれない。こっちの家賃は下の部屋より少し高いけれども、ふた部屋借りても一般的な家賃より安い。最初の部屋は解約したいのが本音だけれども、一万円で広い物置を借りたと思えばまあ、いいか。クローゼットとかは普通に使えるし。
 これで今夜からは安眠できるかな、と思いながら、窓際へ行く。足が止まる。併設された庭で、何か揺れている。
 二枚の葉っぱがついた、細い枝。先に丸い実がついている。その薄緑の実には、唇を尖らせたような顔がついている。つぶらな瞳がこちらを見つめてくる。

 いかがですかー? と不動産屋さんが聞いてくる。私は無言で首を横に振った。
 駄目だ。これ、この部屋借りても、多分奴の行動範囲が広がるだけだ。



「……というわけで、今部屋が大変なことになってるわけよ」

 金曜日。行きつけのカフェで、ことの顛末を友人に話す。へーそれはすごいねー、とトレーナー歴十二年の友人は間延びした声を返す。

「アローラナッシーかー。わたし見たことないなー。カントーにいるの不思議だねー」

 違う。私が欲しかった反応はそれじゃない。アローラナッシーが珍しいとかカントーにいるのがどうとかいう問題じゃなくて、それの首から上が私の部屋に生えているというのが今回の話題の中心のはずだ。どうもこの前から、私が慌てたり困ったりするほど周りの反応がぼんやりしている気がする。何だろうこのよくあるよくある感は。部屋を乗っ取っている奴のテンションと反比例して私のテンションは下がり、周りは変わらずのほほんとしている。
 それで、さっきからスマホで何やってるの? と聞かれたので、スマホの画面を見せる。ネットショッピングの画面。ずらりと並んでいるのはチェーンソー。わあ、と少し引き気味の声が聞こえた。

「最初は手斧でがんばろうかと思ったんだけどね、さすがにあの大きさで手作業は死ぬと思って……チェーンソーでも一万円しないし、でも手斧だとその半額以下だからちょっと悩んではいるけど。暴れると困るから切り倒すときは手伝ってくれる?」
「あーうん、それはいいんだけど。でもナッシーって自家交配できて繁殖力高いし、無理に切り倒そうとすると防衛本能から隠れ特性を発揮させるっていう話もあって、こういう時は落とす実に対して効果を発揮するからつまり通常より高い効率で繁殖が進むってことで……」
「わかりづらい。端的に」
「切ると増える」
「やめるわ」

 くそっどうしろっていうのよっと机をドンと叩く。っていうかポケモンなんだからボール投げて捕まえたら? と友人は言う。試してないと思った? と返す。だよねえ、と友人は苦笑する。
 今日の午前中、大型のポケモンは捕まえづらいのが多いって聞いたから、店で売っていた一番高いボールをいくつか買った。奴がおひさまの光に夢中になっている隙をついて、ボールを投げた。ぱしっと音を立ててボールははじかれて、手元に戻ってきた。床に手のひら大の大きさの何かの種が転がった。ナッシーの首がこっちを向いて、小刻みに頭を横に振った。イラッとしつつまたボールを放ったけど、同じように返された。きっちり手の中に。何だこの種の命中率。スナイパーのつもりか。すごくむかつく。捕まえるときはバトルで弱らせるべきって話も聞いたけど、私はポケモンを持ってないし、仮に友人とかに手伝ってもらっても戦いの舞台となるのは私の部屋だ。すごく困る。というかどうせまた友人が来たら消えるんだろう。不動産屋さんのときみたいに。
 いつの間にか家にいるポケモンって大変だよねー、と友人は間延びした声を上げる。うちのおばあちゃん家でも昔いつの間にか押入れの中でパラセクトが育っててねー、何か元々いた虫? の死骸にキノコがついて成長したみたいなんだけどー、アローラではフェローチェっていうんだっけー? と友人が言う。それ以上深掘りするのはやめたほうがいい気がしたので、以降の発言を制止した。
 今度見に行ってもいいー? と友人が聞いてくる。奴が隠れなければね、とため息交じりに答えた。



 土曜日。外ではしとしとと雨が降っている。ナッシーは心なしかテンションが低い。表情は相変わらず間の抜けた笑顔だけど。
 やれそうな手が見つからず、私は部屋の隅でひざを抱えていた。打つ手なし。こうなったらもう家賃度外視してもっと離れたところに別の部屋を借りるしかない。正直しんどいけど。
 はあ、とため息をついて、まだ開けていなかった段ボールをひとつ開封する。一番上に携帯ラジオが入っていた。
 あ、そういえば、と思い出して、スマホで時間を見る。土曜日の午後三時から、いつも聴いているラジオ番組がある。元々半年ぐらい前に友人に進められて聴きはじめた番組なんだけど、何となく聴き続けている。
 そうだ。この番組のメインはお悩み相談。リスナーから寄せられたお悩みに、他のリスナーがアドバイスをしていく。正直ネタ寄りの悩みが多くて、回答も八割がたネタなんだけど、もういっそ今私が置かれているこの状態がネタなんだからちょうどいいんじゃないだろうか。もう真剣に話を聞いてもらうのは無理な気がしてならないし。もしかしたらネタだと思ってもらったほうがいい解決策が出るかもしれない。
 すぐにスマホで番組ホームページに飛び、メールフォームにナッシーのことを書き込む。読まれるかどうかはわからないけど、すがるものがこれくらいしかないからしょうがない。

 午後三時になって、ラジオから聴きなれたオープニングが流れ始める。何とかとか言うお笑い芸人をやっているDJがいつも通りの進行をする。私はだいぶ埃っぽさの取れてきた布団に寝転がって、携帯ラジオから流れる声を耳に入れる。しばらくして、メインコーナーであるお悩み相談が始まった。

『それじゃあ、今日のお悩みはこちらー。ラジオネーム「部屋だけ南国」さんから』

 がばっと体を起こす。私だ。まさか早速読まれるとは。

『「部屋にアローラのナッシーが生えました。取り除こうにもどうしようもありません。どうすればいいでしょうか」。……なるほど、部屋にアローラのナッシーですかー。僕は見たことないですねー。アローラの姿とは珍しいですねー』

 だからそこじゃない。アローラのナッシーが生えたという事実をみんなもうちょっと重く受け止めてほしい。アローラのナッシーだ。「どこにどうやって生えたの!?」ぐらいの反応はしてほしい。それじゃあみんな回答をよろしくねー、とDJが言い、アローラってことでリゾートっぽい曲でも流そうね、と数年前の夏の流行曲が回答を募集する間に流れる。
 曲が終わって、それじゃあ早速寄せられた回答を発表していきましょう、とDJが言う。

『ラジオネーム「タマムシジムリーダ萌え」さんからー。「僕の実家にはラフレシアが咲きました。軽い観光名所になっているのでナッシーも公開したらいかがでしょうか」。なるほど、ラフレシアほどにおいがなさそうなので僕はナッシーの方が見たいですね』

 いっそそのくらい開き直ればいいのかもしれない。私以外の人の目に触れたときに奴が消えなければ。

『続いて、ラジオネーム「もう刺されたくない」さん。「お互い大変ですね。僕の家の軒下には毎年スピアーが巣を作りに来ます。困ったときは業者を呼ぶのも手ですよ」。まあ、最終的には専門の人に任せるのがいいよね』

 アローラナッシーを排除する専門の人って誰だろう。いたら教えてほしい。まあやっぱり姿を隠さないかは心配ではある。というかあいつが隠れる可能性がある限り他人の手を借りる方法は難しいのかもしれない。面倒な椰子の木だ。

『次にラジオネーム「椰子畑」さんから。「うちの畑はナッシーが大量発生しすぎて熱帯雨林みたいになってます。いっそ増やしてリゾート感をマシマシにしたらいかがでしょうか」。なるほど、いっそ増やしちゃえば何もかもどうでもよくなるかもしれないですね。これはいい方法かもしれないぞ』

 どの変がいい方法なのかはDJを小一時間問い詰めたいけど、とりあえず畑ならともかく私はアパートの部屋だ。住む場所だ。正直増やすわけにはいかない。増えてたまるか。というか何だろう、私が思っている以上にポケモンっていつの間にか家にいるものなんだろうか。このラジオがネタ寄りなせいもあるかもしれないけど、今まで相談してきた人たちの反応が全体的に薄味で困る。何だろう、私が過剰に反応しているだけなのだろうか。部屋からナッシーが生えてきたことくらい、世間的にはよくあることなのだろうか。
 それじゃあ次の回答です、とDJの声がラジオから聞こえる。

『ラジオネーム「むかしばなし」さんから。「とりあえず、なぜナッシーが生えてきたのか、その原因を探るのが一番なんじゃないでしょうか。原因さえわかれば、相手も話せばわかってくれるかもしれませんよ」。なるほどね、とりあえず原因を探してみようじゃないかと。実は僕もですねー、その昔、部屋にヤドランが居ついて困ったことがあったんですよねー。何で部屋にいるのかなーっ考えてたら、昔僕が釣り上げたヤドンだったってわかったんだよねー。そんな感じでさ、自分の思いもよらないことが原因だったっていうのはあるかもしれないねー』

 これはなかなかいい回答だったねー、とDJが言う。その言葉を聴きながら、私はじっとナッシーを見た。ナッシーは不思議そうに首をかしげた。
 ナッシー。進化前はタマタマ。タマタマ。何か……何かが昔、あったような気がする。
 窓の外の雨音が耳に入る。私は何もない空間から、何かを拾い上げるように手を動かす。

 青空に飛んでいく。上昇気流。風よ吹け、私の知らない、どこか暖かいところまで。

 両手に抱えた空虚を見つめ、こっちをじっと見ている南国の木に目線を移す。
 あんた。声が少し震える。あんた、もしかして、あの時の。私の言葉に、首長竜はまた不思議そうに首をかしげる。


 私の親はポケモンが嫌いだった。というか、私とポケモンを触れ合わせないような教育をしてきた。
 親は昔トレーナーで、子供のころにポケモンをつれて旅をしていた。だけど実力はなく、トレーナーとして生きていくことはあきらめた。だけども、トレーナーからの社会復帰はとても大変だった。子供のころから旅をしていたからまともな教育も受けていない。何か手に職があるわけでもない。仕事もろくにできず、しかしトレーナーに復帰するのもとてもではないが無理。そんな感じで、ものすごく苦労したらしい。
 だから私には、そんな苦労はさせたくなかったのだろう。トレーナーなんかになってはいけない。だけども身近にポケモンがいれば、その魅力に惹かれてトレーナーなど目指し始めてしまうかもしれない。だから、最初から遠ざけておこう。そう考えてのことだったようだ。
 そういうわけで、私の家には小さなころからポケモンは全くいなかったし、所持することも許可されなかった。ポケモンを持っている同学年の子達からも距離を置くように厳しく命令された。幸いにというか、私はポケモントレーナーというものには全く興味を抱かなかったし、なりたいなどと考えたことも一切なかった。だけども、年を重ねるうちに、みんなの持っているポケモンという存在に自然と興味はわいていった。

 そんな時、私は道端で卵を拾った。
 両手で抱えるような大きな卵。ひびが入っていて、全体は薄桃色をしていた。

 学校の図鑑で調べて、それがタマタマというポケモンだと知った。周りから引き寄せ合って六匹になるのだと図鑑には書いてあったけど、私が拾ったのはひとつだけだった。今理由を考えるならば、タマタマを餌とするポケモンに連れ去られて、周りにタマタマなどいなかったその場所に落ちたとか、そんな感じなのだろうか。とにかく、私は道端で一匹のタマタマを拾った。

 そして、親にばれた。親はものすごく怒って、私のそのタマタマを壊そうとした。ピンク色の殻を割って、二度と動かないようにしようとした。
 私はその子を抱えて、必死に逃げた。何とか手の届かないところにそのタマタマを届けなければならないと思った。
 私は習ったばかりの理科の知識をフル活用して、熱気球を作った。大きな黒いビニール袋にろうそく、細いテグス。子供が必死で作ったそれは、せいぜい錘もない状態でも静かな室内で少し浮くのが精一杯だったはずだろうが、桃色の卵型の種を乗せ、大空へふわりと浮かび上がった。ゆらゆらと風にあおられながら空の向こうへ消えていくそれに、私は泣きながら声をかけた。

 飛んでいけ。飛んでいけ。上昇気流に乗って、もっと遠くまで。私の知らない、どこか遠くの、暖かい、南の島まで飛んでいけ。

 その後どうなったのか、私は知らない。知る由もない。私は結局大人になるまでポケモンを所持することもなく、トレーナーになることももちろんなかった。ただ少しだけポケモンに興味はあって、トレーナーにはなる気はないけど、ポケモンのことはもう少し知りたいと思っている。
 あのひとつだけのタマタマは、私が関わった数少ないポケモンで、少し悲しい思い出。


 ナッシーがざわざわと揺れる。顔は相変わらずのハイテンションなマヌケ面。突然この部屋に現れたときから何も変わらない。
 その実に私は、軽く手を触れて。

 ……はぁー、と大きくため息をついた。

 ないない。ありえない。仮にもしそのタマタマだったとしても、このカントーの地でアローラの姿になっていることの説明はまったくつかない。ましてや、それが私の部屋の床をぶち破って生えてきたことも。結局のところこのナッシーの首が私の部屋からいなくなるとは思えず、私の生活空間は削られ逆にこいつは幅を利かせるだけ。説得したところでどうにかなるとは到底思えない。そもそもこいつがあまりにもアホ面なもんでまじめに向き合ってると自分のほうがむなしくなってくる。
 結局のところ、どうしようもないのだ。部屋にナッシーが生えた。その事実は変わらないし、私には手の施しようもない。はぁ、と私は今までで一番深いため息をついた。



 日曜日。
 朝日を浴びてざわざわと揺れているナッシーの首。私は昨日の夕方にホームセンターで買ってきた霧吹きを片手にキッチンスペースへ行き、水を汲む。
 私の身長より少し小さい、ハイテンションのマヌケ面と目を合わせる。「?」とでもい痛げに首をかしげる。しばらくじっと見詰め合ってから、私は盛大なため息をついた。

「……周りの部屋に迷惑をかけないこと。それから料理の邪魔はしないこと。いい?」

 私がそういうと、ナッシーはやたらハイテンションにガサガサガサガサと小刻みに揺れる。うるさい、というと気持ちばかり静かになった。気持ちばかりは。
 目の前の植物とは反比例したような低いテンションで、私はため息混じりに霧吹きの水を部屋を覆いつくす椰子の木にかける。かけるたびに嬉しそうに揺れる。うるさい。うっとうしい。葉っぱが当たって痛い。


 そういうわけで、私の部屋のど真ん中には今日もナッシーが生えている。
 ……まあしょうがないから、観葉植物っていうことにしておこう。邪魔だけど。