鳩の恩返し

ニョロゾとビリリダマ
テーマA:「ラジオ」「上昇気流」「反比例」
編集済み
『出動準備! "みかづき"出動!』



 拡声器から響く声。その声が終わるよりも早く、私は引き絞られた弦から放たれた矢のように、空中勤務者控所――ピストから飛び出していた。
 カマボコを薄く潰したような形の掩体壕に飛び込むと、すでに愛機、"飛燕"こと三式戦闘機一型丙の周りでは地上勤務者たちがあわただしく駆け回っていた。
 愛機の胴体に描かれた青い稲妻模様と5つの撃墜マークを横目に、私はコックピットへ滑り込む。
 エンジンに火を入れる。ありがたいことに素直に動き出してくれた。またここへ戻ってくるまで、どうか素直に動いていてくれよ。
 車輪止めが外され、愛機は掩体の外へ躍り出る。ジュラルミン剥き出しの銀翼が、冬日和の太陽を照り返して誇らしげに煌めいていた。



『"ながと"より"みかづき"へ。B-29 20機が紅蓮(ぐれん)島上空を北進中。高度8,000以上へ上昇して待機せよ』
 滑走路に機体を滑り込ませたところで、無線機に"ながと"――基地の作戦室からの誘導の通信が飛び込んだ。
「高度8,000以上にて待機、"みかづき"諒解」
『"みかづき"離陸を許可する。武運を祈る』
「諒解。"みかづき"全機順次離陸せよ!」
 工場のライン工のように、お決まり通りの会話をお決まり通りにこなす。そして、スロットルを目いっぱいまで押し上げる。
 加速していく機体。身体に走る振動。やがて機体は地を離れ、三式戦は"飛燕"の二つ名を体で表すがごとく天空へとその身を舞い上がらせた。
 脚を格納し、キャノピーを閉じる。これから1時間ばかり、速度計とにらめっこしながらひたすら上昇をし続ける退屈な時間の始まりだ。
 機を左へ10度傾け、緩やかに旋回。左翼に目をやると、その下の地べたの上、今しがた飛び立った基地の傍らの小道に目が行った。
 何人かの人間と、何匹かの荷物運びのポケモンが、列になって歩いている。きっと防空壕へ向かっているのだろう。人間はみんな防空頭巾を被っていた。
 その列の端っこにいた小さな子供が、こちらに向かって手を振っている。微笑ましいな、と思った矢先、その子供の親と思しき近くの大人がその子の手を引いた。見とれてないでさっさと逃げろ、と言っているのだろうか。
 いたたまれない気分だった。私があのくらい小さな子供だった頃も、家の近くにあった飛行場から飛行機が飛び立つのを見るたび、ああして手を振ったものだった。そうやって私は空を飛ぶ夢を抱き、飛行機に憧れ、今こうして戦闘機のコックピットに収まっているのだ。
 だが、夢と憧れを抱いて手を振ることができる平和な空を、今のこの国は持っていない。この国の空を変えてしまったのは誰なのだろう。今まさに迫りくる敵か、それとも――
 これ以上はダメだ。任務に集中しなければ。
 帝国軍人として抱くわけにはいかない想いを、心の底にしまい込んで鍵をかけるために、私は地上から速度計へと視線を戻した。



 米軍による本土空襲が始まって、早4か月。我々大日本帝国陸軍 飛行第244戦隊と、その第3飛行隊"みかづき隊"の飛行隊長を務める私――鏡 保史(かがみ やすし)にとって、こうやって空へと駆け上がることはすでに日常の一部となっていた。
 我々に与えられた任務は、奪われた南方勢力圏から飛来し帝都を狙う敵の重爆撃機、B-29の脅威を帝都の空から排除すること。任地が任地ゆえに、おかげさまで"近衛飛行隊"という大層な二つ名まで頂戴している。
 それだけ立派な肩書きを背負っているのだから、さぞかし華々しい活躍をしているのだろう、とその名を聞く人々は思っているだろう。現に、我々は日々敵機に立ち向かい、少なくない数を撃墜もしている。
 だが。そもそも帝都を守る防空部隊がここまで頻繁に敵機と戦っている、という事はすなわち、敵が帝都に飛行機を飛ばしてこれるまでに近づいているということでもあるのだ。
 報道は勇ましいことばかりを言っているけれども、実際は敗走を重ねて追い詰められ、ほとんど雪隠詰めになっている――というのが、この国の現状だ。
 こんな"日常"も、果たしていつまで続いていられるのだろうか。きっと、そう先は長くないのではないか――そんな想いを心の底にしまい込んで鍵をかけ、私は今日も空を駆けている。
 


『なあ倉田、今日は何が出ると思う?』
『季節から考えたら、ワタッコなんかがいるんじゃないか? この前陸(おか)の上でいっぱい飛んでるのを見たぜ。なあ鬼塚、お前はどう思う?』
『そりゃあ、この辺でしょっちゅう飛んでるのと言ったら、ピジョンかピジョットだろうさ。今日は視界もいいから、ピジョットなんかは結構昇って獲物探ししてると思うぜ』
『まーたそれかよ、相変わらずの本命狙いだな……俺達からどんだけ毟る気なんだよ、鬼塚?』
「私語で回線をふさぐのはその辺にしておけ。遠足に行くんじゃないんだからな」
 無線通信でとりとめのない会話を続ける部下たち。退屈な上昇の合間にくだらない会話を聴き続けるのは、落語を聴いているようで悪い気分はしない。だが、私が黙っていても、厳しい上官たちは黙っていてはくれないだろう。それも気の毒なので、ほどほどに止めさせる。
 速度計からいったん目を離して、外の景色に目をやった。
 部下たちの誰かが賭けに勝つのか、あるいは誰が勝つこともなく流局となるのか、それを確かめなければならない。彼らの賭け自体はただのお遊びでしかないが、彼らが賭けの種にしているポケモンの有無は我々にとって――否、我々が守らんとしている帝都にとって、大きく運命を左右しかねない事象なのだ。



『……いたぞ、4時方向上空、上昇してる』
 最初に口を開いたのは、私の僚機を務める鬼塚 忠(おにつか ただし)伍長だった。
 彼は飛行学校を出て半年の新人だが、飛行技術の筋はとても良く、さらには視力も隊内で一番で敵機を見つけるのも早い、私が隊内一番の有望パイロットと見込んでいる青年だ。
 彼が言う通りの方向を見つめる。いた。真っ青な空の中に、芥子粒よりも小さな黒い点が見える。
 速度を殺さないように気を付けながら、黒い点へ距離を詰めていく。
 その時、身体がふわりと浮かび上がる感覚。これだ。このために私たちは、必死になって芥子粒のようなポケモンを探していたのだ。
 我々が乗り込む三式戦は、B-29が飛行する10,000メートル近い高高度で戦闘ができる、帝国陸軍唯一の戦闘機だ。
 だが、三式戦はその特性に反して上昇性能が低い。そのため離陸してから敵機が帝都上空にたどり着くまでに、敵機と同じ高度にたどり着くことができずに爆撃を許してしまう、という事態が往々にして起きている。
 そのために、我々はできる限りの手を尽くしている。手始めには機体の塗装を落とし、防弾鋼板や蓄電池を取り外し、本来は4門着いている機関砲を2門に減らして、可能な限りまで機体を軽くした。機関砲をすべて取り外し、機体を敵機にぶつけてパイロットは脱出する、という命がけの曲芸じみた戦法で立ち向かう部隊までいるほどだ。
 しかし、それでも爆弾の投下を阻止するには昇る速さが足りない。そこで私は、次に自然の力を借りることを考えた。
 爆撃機が飛んでくるような晴れた日には、地面に暖められた空気によって上昇気流ができる。それに乗れば、少しでも上昇力を上げることができる。そう考えたわけだ。
 密閉されたコックピットの中にいて、風を直接感じられない我々パイロットが気流の流れを見るには、そこを飛ぶ他のものを見るのが一番早い。例えばトンビのような鳥、そして多くの空を飛ぶポケモンは、高度を稼ぐために上昇気流を利用する。
 そのために我々は、空に上がったらすぐに目を凝らし、上昇気流を掴んでいる鳥やポケモンがいないかを探すことにしていた。そしていつしか、飛んでいるものは何かを当てる賭けが部下たちの間で始まっていた、というわけだ。



 目を凝らして、飛んでいるものを睨んだ。
 鳥、あるいは鳥型のポケモンというのはすぐに分かった。数は1。体長とほぼ同じくらいには長い、垂髪のような錦色の飾り羽が気流を浴びてたなびいているのが目に付く。
 あんな立派な飾り羽を持つ鳥型の生き物は、少なくともこの国にはそうそういるものではない。けれども、このあたりではそれほど珍しい生き物というわけでもない。
『……はは、見えたか? ピジョットだ! 今日も俺の勝ちだな!』
 鬼塚が朗々とした声を上げる。
 鳥ポケモンのピジョット。時には2,000メートル以上もの高度へ舞い上がり、時には飛行機よりも速く飛ぶ、生物の中では一番の空の覇者だ。もっとも、我々はその4倍以上の高度へこれから昇っていかねばならないのだけれど。
 こちらに近づく轟音に気づいてか、ピジョットは亜麻色の翼を羽ばたかせ、右旋回しつつ降下し離れていく。
 せめて鳥たち、ポケモンたちにとっては、この空が平和な空であってほしい――そう願いながら、小さくなっていくピジョットを見送った。
 掛けの勝ち負けで騒ぐ部下たちをたしなめつつ、再び速度計へ目を戻す。いよいよ強まってきた寒さに突き刺される目を守りたくて、私は飛行眼鏡をかけた。



 * * *



 1時間かけて昇った超高高度での戦いも、終わるのはいつもあっけない。
 高度8,000メートル以上ともなると、空気が薄いせいでエンジンもまともな推力を出さなければ、翼もろくに揚力を生み出さない。三式戦はこの高度で戦闘ができる唯一の戦闘機だ、と先ほどは言ったが、それはあくまで"大きな的に狙いを付けられるくらいにはなんとか動くことができる"という意味でしかない。
 実際はというと、綱渡りのような繊細な姿勢制御でどうにか飛んでいられる、といったところだ。少しでも乱暴な操縦をすればたちどころに失速、高度を大きく失ってしまう。
 そんな状況での戦闘は、必然として一撃にすべてを賭ける博打にならざるを得ない。なにせ、こっちはそうやって必死に飛んでいるにも関わらず、B-29は同じ高度を涼しい顔で飛んでいるのだ。最初のチャンスを逃したら、もう相手に追いつくことすらできなくなってしまう。
 この日の博打は負けだった。"みかづき隊"全機をもってしての戦果は、撃墜を確認できたのは1機のみ。私も射撃を命中させることはできたが、尾翼に当たってしまったために致命打にならず取り逃がしてしまった。そして、出撃した12機のうち、2機を失った。
 上空から見る限りでは地上の被害は少なそうなことだけが、せめてもの救いではあったかもしれない。



 葬式の後のような雰囲気のまま、私は鬼塚機と並んで、帰投のために降下を続けていた。
 真新(まさら)沖の上空、高度はすでに3,000メートルを切っている。2月の寒空も、吐く息も凍り付くような超高高度に比べれば、まるで風呂の中にいるように心地よかった。
『ん? あれは……』
「どうした鬼塚?」
 鬼塚が急に声を上げる。
『機影です。4時方向下方、数は2……青いな。米海軍機か?』
 言われて同じほうを見る。いた。具体的な形までははっきりとわからないが、飛行機が動いているのは見て取れる。ここから相手の色まで見て取れるのだから、鬼塚の視力には舌を巻くばかりだ。
「こちらでも確認した……なんだアイツら、何してるんだ?」
 ようやく見つけた相手だが、なにやら妙な動きをしている。2機がかりで何かを追いかけているように見えるのだが、肝心の追いかけている相手が見えないのだ。
「近づきながら様子を見よう。"ながと"には俺が言っておく……"みかづき"隊長機より"ながと"へ。真新(まさら)南方沖上空、高度2,800にて未確認機を発見。機数は2……」
 報告を司令部に送りながら、機体を右に傾け、降下する。一度8時方向を振り向いて、鬼塚機が続いているかを確認し、すぐに視線を未確認機へ戻した。
 日の丸は見えない。敵機なのはほぼ間違いないだろう。これだけ低く飛んでいるし、小さいから、B-29でもない。やはり海軍機か。
 とうとう空母艦載機が本土に飛んでこられるほどになってしまったとは、まったく海軍の連中は何をやっているのだろう。まあ、陸軍もそんな偉そうなことを言えるほど、立派なことをしているわけでもないのだけれど。
 心の中で毒突きながらも、相手を睨みつけることは忘れない。2機の敵機は、鬼塚が言っていた通りの米海軍機。途中で折れ曲がった形の逆ガル翼が特徴的なF4U戦闘機だ。機数が少ないところを見ると斥候にでも来たのだろうか。
 未だに2機ともが何かを必死に追い回していて、こちらに気づいている様子はない。一体何を追っているのか。
 目測で180メートルくらいまで近づいて、ようやく黒い点のような何かを相手の手前に見ることができた。明らかに飛行機ではないのは間違いなかった。この距離になるまではっきり見えなかったのだから、当然と言えば当然ではあるが。
 ともあれ、相手が周囲警戒も怠って無防備な背中を晒していることに変わりはない。
 私は全速力で思考を巡らせる。高度はこちらが上で、圧倒的優位。だが高く早く昇るために燃料も弾薬もぎりぎりまで抑えているから、下手に手を出せば返り討ちに遭う可能性もある。降下からの一撃をかけて落とせれば御の字、できなければそのまま降下を続けて加速しつつ離脱。これで行けるだろう。
「"みかづき"隊長機より"ながと"へ。 未確認機は米海軍艦戦と確認。これより攻撃する。やるぞ鬼塚、俺は左の1機をやるから、お前は右を――」
『さっきのピジョットだ! 畜生アイツら何してやがる!!』
 報告を済ませて指示を出すや否や、いきなり鬼塚が私の声を遮った。
「鬼塚伍長!?」
『右を殺ればいいんですね?』
 驚いて返す私の声に、鬼塚は続ける。戦闘機パイロットにしてはおっとりしている普段の彼からは、想像もつかないような鬼気迫る声だった。
「……ああ、行くぞ。燃料も弾もない、チャンスは一度だ、続け!」
『諒解!』
 とりあえず、命令が通じているなら問題はない。機体を右にロールさせ、ラダーも右へ切って一気に機体を降下させる。
 ほぼ真上からの降下。相手に追いすがるのは一瞬だ。
 照準器に捉えた敵が、どんどん大きくなる。敵機が発砲しているのが見えた。まだ目標にお熱なようだ。
 もう逃すような距離ではない。2人そろって正面ばかりに夢中になるとは、どちらも素人と見える。運がなかったな。
 F4Uの姿が照準器いっぱいに広がった瞬間を見計らって、私は機関砲の発射ボタンを押し込む。
 主翼に搭載された、20ミリ口径の"マウザー砲"が火を噴いた。
 欧州の同盟国オーデンスから輸入されたこの機関砲は、国産の20ミリ機関砲に比べても圧倒的な威力を誇る。翼や胴体に直撃させれば、B-29だって一撃で引きちぎってしまえる。
 そんな砲を戦闘機が食らえばどうなるか。答えは火を見るより明らかだ。
 最後までこちらに気づくことはなかった哀れなF4Uは、20ミリ榴弾を胴体に受け、立ちどころに弾け飛び火のついた残骸となって落ちていった。おそらくパイロットは何が起きたかもわからず死んだに違いない。
「こちら隊長機、敵機の撃墜を確認」
 機体を水平に戻し、高揚する気分を抑えながら言う。
 これで撃墜は6機目。エース・パイロットの資格を手にしてからの最初の撃墜が、今まで撃墜したことのなかった小型機だというのは悪くない気分だ。
 と、自分に酔っている場合ではない。こちらに向かってきてはいないか確かめるために、すかさず鬼塚の獲物のほうを向く。彼が狙っていたF4Uは、爆発も炎上もしていない。だが、明らかに意思を持ったものではない動きでロールをしながら落ちていく。まるで、風に巻き上げられた紙屑のように。
 相手がすぐ近くを通り抜けた。キャノピーの内側が、赤黒く染め上げられているのが分かった。



「鬼塚、撃墜だぞ! 初めての撃墜じゃないか、よくやった!」
 着任してから日も浅いというのに見事なものだ。やはり見込んだ甲斐はあった――そう思って、私は鬼塚に意気揚々と語り掛けた。
 ところが。
「……鬼塚?」
 鬼塚は私の声に答えなかった。
 どうしたんだ、と思いつつ周囲を見渡す。緑色の迷彩を機体に残した、鬼塚の三式戦はすぐに見つかった。鬼塚機は30度くらいのバンクを取って右旋回をしている。その傍らに、何かが見えた。
 まるで編隊飛行でもしているかのように、それは鬼塚機の右翼にぴたりと追随している。大きさは三式戦よりずっと小さい。人間と同じか、少し小さいくらいの大きさだ。
『……はは、良かった。怪我はないみたいだな』
 鬼塚の声がレシーバーに飛び込んだ。殺気立った先程の声が嘘のように聞こえる、幼子に物語を読み聞かせる老人のような優しい声だった。
 鬼塚機は旋回を続けながら、私の機の4時方向に回り込む。そのまま鬼塚機は私の機にゆっくりと近づき、真横でぴったりと相対速度を合わせた。
 ふと、鬼塚機の後ろに、小さな影が姿を見せた。
 亜麻色の羽毛に、錦色の垂髪のような飾り羽を持つ、1メートル半くらいには見える大きな鳥。
 見間違えようがない。鳥ポケモンのピジョット。つい先ほど、上昇気流に乗っていたのと同じポケモンだ。
「鬼塚、そいつは……」
『さっきの米軍機、こいつを撃ってたんです。さっき上昇気流で見た奴ですよ。かわいそうに……』
「上昇気流で? なんでそんなことが分かった?」
『よく見てくださいよ。ほっぺたに傷跡がある。上で見たピジョットにも同じ傷があったんです』
 言われて、ピジョットの頬に目をやる。確かに、左頬に羽毛が生えておらず、黒ずんだ皮膚が剥き出しになった傷跡があった。
「お前、あの距離からアレが見えたのか……さすがだな」
 思わず口に出した。あの時のピジョットは、せいぜい空豆くらいの大きさにしか見えなかった。そんな空豆の上に付いた小さな傷跡なんて、私には全く見えなかったし、見ようと思っても見れなかっただろう。
『あいつら、なんであんなことしてたんでしょうね? コイツが戦闘機相手に何したって言うんでしょうか』
「オーデンスじゃ、野生ポケモンに成りすました軍隊の鳥ポケモンに爆撃機を襲わせたりしてるそうだからな。日本も同じことをしてくるって思ったんじゃないか?」
『心外ですねえ。日本人はポケモンを飛行機と戦わせるなんて、そんなひどいことしないのに……な、そこのピジョット君』
 顔を合わせてまだ数分と経っていないだろうに、鬼塚はすぐ隣を飛んでいるピジョットを見ながら、ずいぶんと気さくなことを話している。ピジョットもピジョットで、鬼塚機のそばを一向に離れようとしない。またずいぶんと気に入られたようだ。
「……さあ、帰投するぞ。帰ったら祝初撃墜の宴会だな」
 私は飛行場の方角へ向かうため、機を左旋回させた。
 鬼塚機はピッタリと機首を揃えて追随する。そして、その鬼塚機に追随するピジョットまでもが、くっついて旋回を続けている。
「なんだ、あいつまだついて来るんだな」
『まあ、いいじゃあないですか。別に悪さをして来るわけじゃないんですし』
 鬼塚は変わらず飄々としている。
 2機と1羽の風変わりな編隊飛行は、その後基地にたどり着くまで続いた。



 着陸し駐機場で機体を停めると、地上勤務者たちが万歳三唱で出迎えてくれた。海軍機撃墜の報はすでに地上にもたらされていたらしい。新しい撃墜マークを描き足すためのペンキをもう持ってきているせっかちな奴までいたほどだ。
 歓迎を一通り受けてから、私は鬼塚のところへ向かった。ひとつ気がかりなことが残っていたからだ。
 鬼塚機の前には、私の機に寄ってきた地上勤務者の数を優に超えるであろう人だかりができていた。ああ、これは上に隠し通すことはできないな――私は頭を抱えることになった。その場に上の人間がいなかったのは救いではあったが。
 人だかりのお目当ては火を見るよりも明らかだった。そう、鬼塚にすっかりなついて、とうとう基地に着陸するまで彼のそばを離れなかったあのピジョットだ。
「すまない、通してくれないか」
 手前の兵の肩を叩いて言うと、周りの兵や下士官達が一斉に左右に分かれて敬礼をする。
 返礼して、人だかりの真ん中にいた鬼塚を一瞥した。困惑しながらもまんざらでもなさそうな顔の鬼塚の隣には、すまし顔で立っているピジョットの姿が。
「……はあ、どうしたもんかな」
 敬礼した鬼塚に返礼すると、まず口からため息とともにそんな言葉が出た。
「こいつのこれからの事でありますか?」
「その通りだよ。まさか上官に向かって『うちで飼ってもいい?』なんて聞くわけにもいかないしな」
 ピジョットのほうへ目をやる。
 ……ああ、やめてくれ。そんな『ぼくのこと追い出すの?』とでも言いたげな寂しげなまなざしをこっちに向けるんじゃない。非情な決断をしなければならないかもしれないという所で、情に訴えられると本当に困る。
 どういう理由があるのかは知らないが、こんなところまで追いかけてくるほど好意を持ってくれたんだ。こちらに素直に受けれがたい事情があるのは事実だが、だからといってその好意を無下にはしたくないとは私も思っているんだ。
「……仕方ない、こいつは"勝手についてきて住み着いた酔狂な野良ポケモン"であって、自分たちはこいつには一切関わってない、ということにして誤魔化すことにしようか」
「それがいいですね……よかったな、とりあえずはここに居てもよさそうだぞ」
 私の提案に答えるや否や、すぐさま鬼塚はピジョットに向かって話し始める。鬼塚の顔を見つめ返すピジョットもご機嫌そうな表情。もうすっかり相思相愛、といったところか。
「しかし、ここまですぐにポケモンと仲良くなれるなんて、トレーナー志望だっただけのことはあるじゃないか」
 そう言いながら、私は鬼塚が少し前に話してくれた、彼の過去のことを思い出していた。
 彼の本来の夢は、ポケモントレーナーになることだったという。特に鳥ポケモンが大好きで、飛行機ではなくポケモンと一緒に、世界のあちこちの空を飛ぶのが夢だったのだそうだ。
 だが、彼は夢見るポケモン青年であるのと同時に愛国青年でもあった。4年前に米英との戦端が開かれると、鬼塚はすぐにポケモンではなく飛行機で空を飛び、お国のために力を尽くそうと陸軍少年飛行兵に志願したのだという。
 彼が上昇気流に乗るポケモンを当てるのが得意なのも、きっとポケモン青年だったころの知恵の賜物なのだろう。
「いやあ、あくまで志望ですよ……まあ、実家の仕事でポケモンを使うのは自分の役目でしたけどね」
 ピジョットの頭を撫でながら、鬼塚は答える。
「言葉は通じないけど、ポケモンは、ポケモンのことが好きな人間のことがどういうわけか分かるもんなんですよ。
 ポケモン好きの人間と見るや、こいつたちはすぐにこっちに近寄ってくるんです。このピジョットみたいに甘えようとしてくる奴もいれば、こっちが連れてるポケモンと力比べをしようとしたり、やり方はそれぞれですけどね」
 ピジョットを見つめる鬼塚の目は、穢れを知らない子供のように澄み切っていた。
 ……ふと思う。もしこの戦争が始まることがなくて、鬼塚が軍人になることなく、ポケモン青年として生きていくことが許される世界であったなら。
 鬼塚は、果たしてどんな今を生きていたのだろう。三式戦ではなくピジョットに体を預け、平和な空を飛びまわる彼がこの空にいたのかもしれない――
 これ以上はやめよう。こんな仮定の話をしたところで、現実が書き換えられるわけでもない。
 言葉にできない、するわけにはいかない想いを、私はまた心の底にしまい込んで、鍵をかける。
「俺達ももっと頑張らなきゃなりませんね。こいつがまた戦闘機に撃たれたりしないためにも、なんとしてでも米英を打ち倒さないと」
 そう言って鬼塚は私の目を見た。ピジョットを見ていた時は澄み切っていた目が、心なしか濁っているようにも見えた。



 * * *



 人懐っこいこのピジョットは、すぐに基地の面々と打ち解けていった。本当にただの野良ポケモンだと思っているのか、それとも分かっていてあえて黙っているのかはわからないが、上もこのピジョットに文句をつけてくることはなかった。
 基地に住み着くようになってから1週間くらいして、ピジョットは連れてきた私達のみかづき隊にちなんで"ミカヅキ"と呼ばれるようになった。誰が名づけたのかはわからないが、この名に異論を唱える者は誰もおらず、すぐに隊の全員がその名で呼ぶようになった。
 ミカヅキは普段はその辺の池や川に住んでいるコイキングやらなにやらを捕まえて食べているようだったが、時にはなけなしの食べ物を隊の仲間で集めあって、ミカヅキに与えることもあった。それだけ、皆がミカヅキのことを愛していた。
 なにせ毎日のように爆弾が日本のどこかに降ってくるような状態だったから、楽しみなんてものはろくにない。ミカヅキの人懐っこさは、隊の皆にとって大きな癒しになっているようだった。
 おかげさまで隊の士気もうなぎ上り。ミカヅキがやってきてから、隊員たちは前にも増して任務に気を入れて取り組むようになっていた。
 その度合いが一番強かったのは鬼塚であることは、もはや言うまでもないだろう。多くの隊員がミカヅキを愛するようになった中でも、ミカヅキを一番に溺愛していたのは鬼塚だった。毎日のようにミカヅキに会いに行き、身体を洗ってやったり、飾り羽を梳かしてきれいにしてやったりしていた。
 ミカヅキもまた、そんな鬼塚に一番なついていた。出撃から戻ると、どこからともなくミカヅキが現れては鬼塚機の隣に舞い降りるのはごくありふれた光景になっていた。
 そのうちミカヅキが美女に化けて現れて、布を織って鬼塚にプレゼントするんじゃないだろうか。いつしかそんな冗談が流行りだして、私も鬼塚も聞くたびに腹を抱えて大笑いしたものだった。



 だが、隊に力がみなぎっていくのと反比例するかのように、戦局はさらなる悪化の一途をたどっていた。
 米軍の爆撃目標は、工業地帯から都市そのものへと変わっていった。いわゆる無差別爆撃というやつだ。工場の施設ではなく、そこで働く人間、その人間の食べ物を作る人間……そういった剥き出しの人間そのものを、攻撃の対象にするようになっていったのだ。
 我々は抵抗を続けたが、押し寄せる米軍を押し返すには我々の戦力はあまりにも矮小に過ぎた。敵が送り込んでくる戦力は、我々が撃墜できるだけの数を遥かに超えていたのだ。
 帝都の街並みは、そこにあった人々の営みは、我々の奮戦も空しく灰燼と化していった。"近衛飛行隊"が聞いてあきれる話だ。
 月日が流れていくごとに、送り込まれる敵戦力はさらに増えていく。米海軍機による空襲は増加し、B-29にも護衛戦闘機が随伴するようになって、我々はこれまで直面することのなかった、敵戦闘機による脅威に常に立ち向かわなければならなくなった。
 空襲の脅威は大きく膨れ上がり、日本全土を飲み込まんとしていた。もはや前線と銃後の区別もつかなくなった混迷の中で、多くのものが失われていった。新兵も、熟練兵も、民間人も。戦闘機も、工場も、港も。我々の財産も、我々の家族も。



 4月の半ば、私の妻が空襲で命を落とした、という連絡が私の許に届いた。
 私は妻を救うことができなかった、死に目を看取ることさえできなかった自分を呪った。残された娘と息子にどんな顔を向ければいいだろう。そう考えると、苦しい胸がさらにズタズタに引き裂かれるようだった。
 鬼塚も、空襲で両親を亡くしたらしい。ミカヅキが米軍機に撃たれているのを見たとき以上に、彼は激しく怒っていた。何としてでも、この落とし前を付けるために米英を打ち砕かなければならないと、無念を滲ませた激しい声を絞り出していた。
 鬼塚だけではない。他のパイロットたちも、地上勤務者も、皆が怒りと憎悪を露わにして任務に打ち込んでいた。私の周りの全てが、米英への厭忌という焚き木を戦火にくべて、より大きく燃え上がらせようとしているようだった。
 ……私は人でなしなのかもしれない。妻を亡くしたというのに、私は皆と同じように憎悪を肥大化させることができずにいた。周りにはそう見えるように、憎しみを敵に向ける演技をするのが精いっぱいだった。
 妻を殺した敵への恨みがないわけではない。だが、もはや我々の力をもってしてもどうすることもできないほどに肥大化した敵の力に、憎悪をいくらぶつけたところで何になろう、という無力感が、私の心中をより大きく支配していたのだ。
 こんな戦争、もうどうやったって勝ち目なんかないだろうに。続けたところで、軍にも民間人にも無駄な犠牲を増やすばかりだろうに。上はこの戦争をいつまで続けるつもりなのだろうか。
 心の底に鍵をかけてしまい込んだ、言葉にできない想いは既に鍵を壊しそうなほどに膨らんでいた。ミカヅキが来ていなかったら、この鍵を自分で壊していたかもしれないと思う。
 血と炎で幾度となく染め上げられた帝都の空。でもミカヅキが飛んでいるときは、そんなことなどまるでなかったかのように、空が澄み切って見えていた。ミカヅキが元気に空を飛びまわっているのを見る間は、自分を取り巻く淀んだ世界のことを忘れていられた。
 それは鬼塚も同じようで、ミカヅキと触れ合っている時だけは、すっかり憎悪で濁りきっていた彼の目も、子供のように澄んだ目に戻っていた。
 人間がみんな、初めて地上で触れあったときの鬼塚とミカヅキのように、分かり合うことができればいいのにと私は思った。
 私たち人間は外国の言葉を勉強して理解できるのに、話そうと思えばいくらでも話せるのに、いつだって殺し合いをしている。万物の霊長を気取ってはいるが、我々人類のほうがポケモンよりずっと野蛮かもしれない。
 遅咲きの桜も全て葉桜になった4月の末、私はそんな思いを一層強くすることとなった。



 * * *



 その日、我々飛行第244戦隊に下された命令は、隊の中から選抜されたパイロットによる特別攻撃隊を編成し、彩遊(さいゆう)島を取り囲んでいる米海軍艦隊を攻撃する航空作戦に参加する準備を整えることだった。
 特別攻撃。爆弾を搭載した飛行機を、敵の軍艦に体当たりさせる戦法だ。
 我々も武装を外した機体でB-29に体当たり攻撃を仕掛ける部隊を有していたが、特別攻撃はそれとは訳が違う。高度10,000メートルを飛ぶB-29に突撃する我々の体当たり攻撃は、上空で翼を敵機にぶつけ、パイロットは脱出して落下傘で地上へ戻るのが前提という、あくまで"命がけ"の攻撃だった。
 だが、特別攻撃の目標は海面を走る軍艦だ。落下傘で脱出することは不可能であり、必然としてパイロットは機体もろとも爆死することが前提の攻撃となる。その攻撃を行うお鉢が、とうとう飛行第244戦隊にも回ってきたというのだ。
 当然のごとく鍵をかけて心の底にしまい込んでいた考えだが、まったくもって馬鹿らしいことだと思っていた。
 爆弾を落として敵艦に命中させることをパイロットに教えれば、パイロットは何度でも敵艦に傷を負わせ、沈めることができるというのに、すぐにそれができないからと言って、むざむざ金と時間をかけて育てたパイロットを死なせている。
 戦力を自分からちぎっては投げ捨てているのだから、この戦は勝てっこないだろう。しかし、命令とあれば従わざるを得ないのが軍人の悲しい宿命だ。
 特別攻撃隊の隊員に選ばれたのは、自分より若い士官や下士官たちだった。納得がいかず、死ぬのは歳の順だろうになぜ私を選ばなかったのか、と戦隊長に訊ねたら『君は奥さんを亡くしたのだろう。家長たる君がいなくなっては、君の子供たちが困るだろう』という正論を返され、何も言い返すことができなかった。
 銃後にいた妻を身代わりに差し出してしまったようにも、子供がいる特権を部下に振りかざしてしまったようにも思えて、自分が情けなかった。



 明くる日。書類仕事を済ませて戦隊本部を出たところで鬼塚と鉢合わせした。口を固く一文字に結び、肩を怒らせている。いつもの穏やかな雰囲気は鳴りを潜めていた。
「鬼塚、こんなところでどうしたんだ」
 敬礼して話しかける。
「はっ、戦隊長から召喚されましたので」
「戦隊長から……そうか」
 件の命令が下ったばかりのときに、18歳の伍長が戦隊長に召喚される。嫌な予感がした。しかも、外れている予感が一切しない。
 固唾を飲み込んだ。鬼塚が口を再び開くまでの時間が、永遠のように長く感じられた。言うな。私が思っていることだけは、絶対に言うな……!
「……この隊でも、特別攻撃隊が編成されるんですってね。噂で聞きました」
「……!」
「戦隊長が自分を召喚した理由が、そのことだったら……自分は、志願しようと思っています。ここで自分が引き受けないでは、死んだ親父とお袋に顔向けできませんから」
「……そうか」
 一縷の願いは、空しくも裏切られた。
 それ以上の言葉は言わなかった。言えなかった。
 言っていたら、きっと彼のことを止めてしまっていた。生きて虜囚の辱めを受けず、潔く散ることが高潔であると説く我が国の軍人にとって、それは許されざることだ。例えそれがどんなに理不尽であったとしても。
「では、失礼します」
 鍵を壊して心の底から出てきそうになる想いを抑え込むのに必死で、私は何をすることもできずただ棒立ちになっていた。横を通り抜けていく鬼塚の足音が、文鎮を机の上に置いたときのように重々しい音に聞こえた。
「……そうだ、鏡大尉」
 不意に鬼塚が口を開く。私は我に返って、彼のほうへ振り返る。
「もし自分が特攻に行くことになったら……ミカヅキのこと、よろしくお願いします」
 敬礼をして、鬼塚は戦隊本部の中へ歩いていった。
 もし私が口を開いていたとして、彼は私の言葉など聞き入れなかったに違いない。私はそう思った。何もできない自分を呪わずにはいられなかった。



 ばさばさ、と大きな羽音が背後から響く。
 この音を出せる存在は、この基地ではひとりしかいないことは誰もが知っている。無論、私も。
 振り返ると、きょとんとした顔で首をかしげるミカヅキの姿があった。私に何かを訪ねているのか。そうであるのなら、心当たりは一つしかない。
「……ミカヅキ、鬼塚を探しているのかい?」
 頷くミカヅキ。
「鬼塚は……今ちょっと、大事な話をしててな。もう少ししたら、ここから出てくると思うぞ。だから……それまでここで待ってな」
 そう言って、私はミカヅキの頭を撫でようと手を伸ばした。
 ぴょこん、とミカヅキが後ろへ跳ねる。やはりそうなるか、と私はため息をついた。ミカヅキは隊のみんなから愛されているが、頭の飾り羽を触ることだけは鬼塚以外に許すことをしないのだ。
 鬼塚にとってのミカヅキがそうであるように、ミカヅキにとっても、鬼塚は唯一無二の相棒なのだろう……そう思うと、やりきれない想いで胸が溢れそうになる。
 鬼塚はきっと、覚悟を決めてしまっている。心の中では、もう死んだつもりになっているのかもしれない。そうでなければ、ミカヅキをよろしくお願いします、などとこんなにも早く私に言うだろうか。
 悔しさと虚しさとがないまぜになって、心の中をかき乱していく。託された想いをどう受け止めればいいのか、私にはまるで分からない。
 私に鬼塚の代わりなどできるはずがない。軍人一家で生まれ育った私は、ポケモンを持ったことも世話をしたこともないのだ。そんな私に、ミカヅキだって心を許しきっていない私に、いったい何ができるというんだ?
 叫びだしたいほどに膨れ上がった心を握りつぶしたくて、私は拳を固く握りしめていた。
 数日後、正式に編成された特別攻撃隊 第161振武隊(しんぶたい)の名簿の中には『鬼塚 忠伍長』の名前があった。



 * * *



 5月に入ると、我々にはいい報せと悪い報せの双方がもたらされた。
 いい報せは、新型機への機種更新が行われる事だった。新たに飛行第244戦隊に配備された五式戦闘機は、三式戦の重くて繊細な液冷エンジンを軽くて丈夫な空冷エンジンに換装したもので、飛行性能も信頼性も三式戦より大きく向上していた。
 激化する戦いの中で、頼もしい存在となってくれるのは灼然たるものであり、戦隊は直ちに全機種を改変。お役御免となった三式戦は特別攻撃隊に回されることとなった。私もまた、乗っていた三式戦を鬼塚へ譲ることとなった。
 これで戦況も少しはマシになるかもしれない――と思いたかったのだが、悪い報せはそれを優に上回る凶報だった。
 米英ら連合国に立ち向かう我々の同盟において、常にその中心を担っていた同盟国オーデンスが、連合国に無条件降伏したのだ。
 これで日本は、完全に孤立無援となった。今や世界中のほぼ全てが、我々の敵となってしまったのだ。
 米英も、いずれ今まで欧州にいた主戦力をこちらへ向けてくるだろう。今でさえ、押し寄せる敵を止めきれずにじりじりと追い詰められているような状況なのに、もしそうなったら。この国は津波を前にした人間のように、いともたやすく押し流されてしまうだろう。新型機がいくら配備されたところで、これでは焼け石に水だ。
 だがそれでも、この国は戦争をやめるつもりはないようだった。
 いつも通りの戦争が、いつも通りに続いていく。先に待ち受けているのは奈落の底の滝つぼなのに、誰もが戦争という大河に流されるのをやめようとしない。そうしなければ、共に流される人々に河の底へ沈められるからだ。
 流されていてはいけないという想いは日に日に強まっていく。だが私も何もできないし、何かができる立場でもない。どうすることもできない自分を呪いながら、自嘲しながら、私は結局何もできずに流され続けていた。



 5月末。ついに彩遊島防衛戦への参加が飛行第244戦隊へ下命された。戦隊は長らく駐留を続けていた帝都に別れを告げ、総力をもって豊縁(ほうえん)へと展開することとなった。
 出発の前日、鬼塚は1日中ミカヅキの隣にいた。これが今生の別れになるのだから無理はないだろう――そう、思っていたのだが。
 最初の中継地点である黄金(こがね)の飛行場に到着し、1泊する宿舎に荷物を一通り持ち込んだ時に事件は起きた。鬼塚の三式戦――かつては私が乗っていた、銀色の機体に青い稲妻の三式戦に、見慣れない鳥ポケモンがやってきてとまっている、という報告を地上勤務の兵がしてきたのだ。
 まさかと思って駐機場へ向かうと、果たしてそこにいたのは、左頬に傷跡のあるピジョット――ミカヅキの姿だった。
 それを見た時の鬼塚と言ったら、嬉しかったのか困惑していたのか、妙に裏返った声でミカヅキの名を呼びながら抱きついていた。鬼塚とミカヅキの事情を知らない現地の兵からは怪訝な目で見られていたのは言うまでもない。
 数100キロメートルの航程をものともせずに我々を追ってきたミカヅキの執心たるや、この有様では基地に縛り付けてもついてくるに違いない、と戦隊長も呆れ顔になるほどだった。
 結局、それからの航程は最初からミカヅキを連れて飛び立つこととなった。どうせついてくるなら見えるところにいたほうがいい、そのほうが隊員たちの士気も上がるだろう……そう私が判断してのことだった。おかげで方々の上官から訝し気な目で見られる羽目になってしまったが。
 時速300キロは優に超える速度で数時間飛び続けるのに、ミカヅキは航程の間じゅうずっと鬼塚の三式戦にぴったりと追随していた。本気を出せば、現代人類が作り上げるどんなに速い飛行機よりも速く飛べるというピジョットだからこそ為せる業なのだろう。ミカヅキが見せてくれるポケモンという生物の常識はずれな力に、私は敬意を表せずにはいられなかった。
 ミカヅキを連れての西への飛行は、まるで最初に出会ったときの編隊飛行のようで懐かしくもある。だが、それは一方で私にとっては憂事でもあった。
 鬼塚は、そう遠くないうちに死出の旅へと向かう航路へ飛び立つこととなる。その時ミカヅキはどうするのだろうか。敵艦に突入するときまで、鬼塚と共に飛び続けるつもりなのだろうか。
 鬼塚の死を避けることは、もう不可能と言っていい。彼自身の決意は固いし、周囲もその決意を崩すことを許さない。私にはもはやどうすることもできない。
 それでいながらミカヅキをここまで連れてきたことは、単なる自己満足ではないだろうか。ミカヅキを無為に不幸にしてしまう結果をもたらすだけではないのか……そんな憂いを捨て去ることができぬまま、我々は目的地である豊縁の飛行場へたどり着いていた。



 その飛行場には、陸軍航空隊の特別攻撃隊が数多く集められていた。新鋭の戦闘機から、一線を退いた旧式機、果ては練習機に至るまで多種多様な航空機が、爆弾と搭乗員を抱いて敵艦に突入するために集結している。彼らが敵艦へ突入するまでの航程を、敵機から守るのが飛行第244戦隊の新たな任務だった。
 特攻機に乗り込むのは皆、私より若い者ばかり。この作戦がなければ、もっと長く生き続け、もっと多くの事を国のために、人々のために成してくれたであろう若者たちが、敵艦を攻撃するというほんの一時のために使い捨てられ、国に尽くした英霊と祀り上げられる。
 狂気は軍隊のみにとどまってはいなかった。彩遊島の次に連合軍が上陸すると予想されているここ豊縁では、小さな子供も、家庭を守る女性も、農業や漁業を手伝うポケモンも、皆が軍事教練を始めていた。貧相な武器や自爆用の爆弾を持ち、1人1殺で米英兵と刺し違えることを、名誉であり進んで為すべき事だと、軍隊が民間人に教えていたのだ。
 何もかもが欺瞞に満ちていた。この欺瞞に心の底まで騙されてしまうことができていれば、どんなに楽だったろうと今更ながらに思う。
 この戦争はいつ終わる? この狂気はいつ止まる? 日本国民が1人残らず殺し尽くされるまでか? だとしたら、この国が、この軍隊が守ろうとしているのはなんなんだ? 民間人を守るどころか積極的に矢面に立たせようとする軍隊など、はたして軍隊と呼べるのだろうか?
 心のあちこちで、次から次へと疑念と怒りが湧き上がっていた。それら全てを心の底に鍵をかけてしまい続けることができるのは、果たしていつまでだろう。いっそ死んでしまえれば楽かもしれないと思った。特攻へ向かう若いパイロットたちの心中も、もしかするとこんなものなのかもしれない。だから、進んで死出の旅路へ向かうことができるのだろうか。



 6月に入ってまもなく、ついに第161振武隊に出撃命令が下った。
 敵艦隊に至るまでの護衛は、私の率いるみかづき隊が引き受けることになった。鬼塚の最期を看取ることになるのかもしれない、と思うと心苦しさで胸が痛んだ。
 出撃までの時間は、本当にあっという間に過ぎていった。命日を決められたというのに鬼塚は気丈なもので、普段通りに食事をとり、身体を鍛え、そしてミカヅキの飾り羽を梳かしていた。
 そして、いよいよ出撃前日の夜。
 多くの振武隊員は基地近くの料亭に入り浸って飲んだくれているようだったが、何をしているのかが気になって様子を見に行ったところ、鬼塚はその中には混じっていないようだった。
 目を付けていた若手とはいえ、いつの間にこんなに情を移してしまったのだろう、と自問しつつ基地へ戻る。夏至も近づく空は、午後7時を過ぎているのになお明るさを残していた。
 この光景を、もう目にすることが出来ないものがいる。天寿をまっとうしてそうなるならばともかく、組織にそれを決められて。そう考えると、心の中で悲しみが溢れて、また鍵が壊れそうになった。



 振武隊の宿舎を探してみようと、歩みを進めたその時だった。
 ばさばさ、と聞きなれた音が背後から響いた。
 振り返る。そこに姿はない。音の源は頭上に移っていた。
 すぐに振り返る。そこにあったのは、力強く地に降り立つ巨鳥の姿。そしてその奥には、見慣れた青年の姿。
 ミカヅキと、鬼塚の姿だった。
 宿舎から歩み出る鬼塚。翼をたたみ、ぴょこぴょこと跳ねていくミカヅキ。互いに互いだけを見据えて、ふたりは歩み寄っていく。
 不意に、鬼塚が右手に抱えたなにかを両手で持ち直す。そして、洗濯物を広げるように、その両腕を大きく振った。
 それは、白い布だった。
「鬼塚、それは」
 思わず声に出ていた。
「ああ、鏡大尉!」
 いつも通りの朗らかな声が返ってくる。
「いやあ、ミカヅキに渡そうと思って、さっきまでシーツを切って繕ってたんです」
「シーツを? おいおいこれだって立派な官給品なんだぞ」
「いいじゃないですか。どうせ明日までなんです、旅の恥はかき捨てですよ」
 暮れなずむ空の下、にこやかに笑って鬼塚は言う。その笑顔が、私の心に鋭い脇差のように突き刺さっていく。
 笑顔のまま、鬼塚はミカヅキのほうへ向き直った。そして、ミカヅキと同じ目の高さにかがんで、静かにミカヅキへ語り掛ける。
「……いいか、ミカヅキ。実はさ、こうしてお前と話せるの、今日が最後なんだ。
 明日俺は、今までよりもっともっと遠い所へ行く。いくらお前でもついてこれないような、遠い遠いところだ。
 だから、明日は、俺の飛行機についてきちゃダメだからな。お前は聞き分けのいい子だから、分かってくれるよな?」
 ミカヅキは黙って鬼塚をまっすぐ見ている。そんなミカヅキに、鬼塚は持っていた白い布を差し出す。
「これさ、ミカヅキへのプレゼント。人間の世界じゃな、この白い布を振れば『自分はあなたを攻撃しません、だから攻撃しないでください』って意味になるんだ。
 ……俺と会ったときみたいに、また米軍機に撃たれそうになったら、これを振って逃げるといい。そうすりゃ敵さんもきっと、お前が人間を襲ったりしない優しいポケモンだって分かってくれるから」
 鬼塚はじっとミカヅキの目を見ている。涙をこらえているのか、一文字に結んだ口元が強張っている。
「それともうひとつ。俺がここを離れたら、すぐにお前もこの基地を出ていくんだ。そして、山奥でも無人島でもいいから……とにかく、人間のいない所へ行ってくれ。
 人里にいたら、お前も他の誰かに捕まって、戦争の道具にされちまう。爆弾を持たされて、敵と一緒に爆発しろって言われるんだ。そんなの嫌だろ? 俺だってお前にそうなってほしくない。分かるよな?」
 ミカヅキは逡巡しているようだった。人間好きなミカヅキのことだ。鬼塚の望みはきっとこの子にとってはとても残酷なものなのだろう。
「……頼む。俺の言うこと、聞いてくれよ。これが、最後のお願いなんだから」
 ミカヅキの頭の飾り羽に、鬼塚が左手を添える。美しい錦の羽毛が、さらりと浮き上がって薄明の中に照らし出される。
 不意に、ミカヅキが左の翼を広げた。
「ミカヅキ?」
 鬼塚の呼びかけも聞かず、ミカヅキは脇の下の羽毛をくちばしでまさぐっている。羽毛の中にしまい込んでいる何かを取り出そうとしているらしかった。 
 3秒くらいして、ミカヅキは顔を鬼塚へ向けなおした。何かをくちばしに咥えている。
「……それ、俺にくれるの?」
 鬼塚の問いに、ミカヅキは頷く。
 ミカヅキが咥えていたのは、丸い小さな石だった。
 薄暮の光の中でも、表面がつややかな光沢に包まれているのは見て取れた。暗くて分かりにくいが、まるで虹のような彩り豊かな色をしている。なにより面白いのが、真ん中に勾玉のような形の模様が浮かび上がっているのだ。
 それは、宝石と言って差し支えのないであろうものだった。私も金持ちではないから宝石などそこまで多く目にしたことはないのだが、初めて見る色と模様の宝石だ。こんなものを一体どこで見つけてきたのだろう。
「……ありがとうな。じゃあ、お前のそれと俺のこれ、とりかえっこだ」
 鬼塚は左手をミカヅキに差し出す。ミカヅキは差し出された左手に宝石を渡すと、鬼塚の右手からシーツでできた白旗を受け取った。
 宝石を少し眺めたあと、鬼塚は立ち上がる。
「じゃあ、俺はもう寝るから。お前もちゃんと寝て……達者で暮らすんだぞ」
 鬼塚の絞り出すような声。彼も辛くないはずがなかろう。トレーナーになりたくて、でも違う道を選んで、そのうえで出会い、ここまで親しくなれたポケモンがミカヅキなのだ。
 私はまた呪っていた。彼らが共に生きることを許さないこの世界を。そして、この世界をどうすることもできない自分自身を。
「元気でな。ミカヅキ」
 そう言って、鬼塚は踵を返し宿舎へ歩いていく。肩が震えているのが、宵のうちの暗がりの中でもはっきりと見て取れた。
 宿舎の中に入っていく鬼塚を、私はミカヅキといっしょに見続けていた。ミカヅキは何を思っているのだろう。これが今際の別れになると、この子は理解しているのだろうか。
「……ミカ――」
 私はいたたまれなくなって、ミカヅキに語り掛けようとした。だが、ミカヅキは私が言い終わる前に、白旗を携えて飛び上がっていた。
 すでに日の光も消えかけた西の空へ、ミカヅキは飛び去って行く。鬼塚の最後の願いをミカヅキが聞き入れてくれることを、私はただ祈ることしかできなかった。



 * * *



 翌日。
 基地で雑務をこなしている女学生たちに見送られながら、私たちは基地を飛び立った。
 眼下に豊縁一の霊峰として知られる送り火山を見下ろしながら、爆弾を抱いた振武隊機を引き連れゆっくりと上昇していく。迎撃任務ではないから、上昇気流を探す必要がないのは気楽でよかった。もっとも、そんな気楽さなどなんの慰めにもなりはしなかったが。
『なんだ? 山のあそこ、変に黒いな』
 誰かがしゃべった。
 山肌を見る。9時方向、ちょうど主翼の延長線上にある山肌に、影にしては妙に大きい黒い塊が見えた。何かの群れのように見えるが、何が群れを作っているかまではわからない。
『カゲボウズだ。あんなに群れて……珍しいな』
 鬼塚だったら分かるんじゃないか、と思った矢先に鬼塚が言う。
「カゲボウズ? ポケモンか?」
『はい、人の恨みや妬みを感じ取ることができて、それを食うためにそういった感情の持ち主のところへ集まってくるそうなんです。送り火山にはたくさん住んでるって聞いてましたけど、こんなにたくさん集まるなんて……』
 鬼塚は不思議そうに言っていた。
『鬼畜米英への恨みはみな千万だろうしな、きっとそれにつられて集まってきたんだろうよ』
 誰かが鬼塚の言葉に答える。確かにそうかもしれない。だが、本当にそれだけだろうか。恨みの矛先は、米英に限らず、この国、この世界そのものへもまた向けられているのではないか。そんな疑念を私は消すことができなかった。
 これ以上はやめよう――そう考えることすら、今の私にはもはや困難なことだった。



 豊縁を離れ、小一時間ほど島伝いに広大な海の上を飛び続けた頃のことだった。
『敵機だ!4時方向上空、来るぞ!!』
 僚機が叫ぶ。
「全機散開!」
 考えるより速く口が動いた。私もすかさず機を左へ旋回させる。
 曳光弾の雨が降り注ぐ。振武隊の三式戦が1機、主翼に吊り下げられた爆弾の誘爆で爆散したのが見えた。
 パッと見ただけで、5機以上は確実にいるF4Uが散開した編隊の中央を通り抜ける。目的地まではまだ距離があった。まだ敵艦隊の影さえ見えていない。
 ……待ち伏せを受けたか。舌打ちしてすぐに態勢を立て直す。
 後方確認。まだ上方に敵がいる。相手の数は軽く見積もって10機以上と言ったところか。こちらは護衛が6機、残った振武隊機が4機。だが振武隊機は250キロ爆弾を2発、計500キロの爆装をしているから、まともに空戦をすることは不可能だ。
 相手に上を取られた状態で、10機以上の相手から6機で守りきらなければならない。かなり厳しい状態だ。
「全機降下しろ! 低空へ誘い込むんだ!」
 指示を出す。まずこうしなければ始まらない。降下すれば重力で加速できるし、低空を飛べば上空からの一撃離脱はやりにくくなる。
 スロットルを最大にして急降下。一気に速度をつけて、低空に舞い降りる。
『5番機がやられた、振武隊残り3機!』
『畜生、アメ公の奴ら振武隊を集中攻撃してやがる!』
 通信が飛び込む。奴らの目的は母艦を守ることなのだから、そうすることは当然といえば当然だろう。
 速度を殺さないように、緩やかに右旋回。振武隊機に狙いを定める敵機を探す。
『こちら振武隊1番機! 後ろにつかれた、援護を頼む!』
 通信が飛び込んだ。目を皿にして声の主を探す。いた。2時方向上空で、迷彩の三式戦がF4Uからの銃撃を今まさに浴びている。
「待ってろ、今助けに――」
 言いかけて、言い淀んだ。助ける? ここで助けたところで、彼は敵艦に突入して死ぬのだ。それを助ける? そんな事は"助ける"うちに入るのか? 人を死なせるために人を助けるなんて、バカげた矛盾ではないのか?
 そんな逡巡が、私の手を鈍らせてしまった。
 通信に飛び込む断末魔。それを掻き消す轟音。逡巡していた僅かな間に、狙われていた三式戦は火だるまになっていた。
 追っていた側のF4Uが、上昇して離脱を図っていた。逃すものか。
 相手がこちらに背中を向けた瞬間に、主翼の12.7ミリ機関砲を叩き込む。命中。左翼のエルロンを吹き飛ばされ、敵機は体勢を崩す。
 目いっぱいまで距離を詰めたところで、とどめの機首の20ミリ機関砲を撃ち込んだ。マウザー砲よりも威力は劣る国産機関砲だが、戦闘機相手には十分な威力がある。左翼をもぎ取られた敵機は、もんどりうって海面に吸い込まれていった。
 撃墜数がまたひとつ増えた、などという喜びはもはやかけらもない。何だっていい、どうなったっていい、ただ早くこの戦いが終わってほしい。そんな思いばかりが、心の中を支配していた。



『振武隊4番機落伍! 残りはもう1機だけだ!』
 僚機の叫びが聞こえる。もうそこまで減らされたのか。
 空を見渡す。応戦する僚機の五式戦。それをけん制する敵機。そしてその中に、弱った猫に群がるカラスのごとく敵機が集まっている。
 果たしてその中心にいたのは、銀色の機体に、青い稲妻が描かれた、1機の三式戦。
「……鬼塚!」
 すぐに機体を鬼塚機へ向けて旋回させた。刹那、真横を曳光弾がすり抜けた。畜生、こんな時に!
 操縦桿を引く。上昇し減速する機体。相手はこちらを追随しきれず、真横をすり抜けていく。
 すぐさま機体を右へ横転させ、バレルロール。照準器に敵を捉え、12.7ミリを射撃する。命中。だが致命傷には至っていない。敵機はそのまま離脱していく。最初から時間稼ぎをするだけのつもりだったのか。
 追いかけはしない。それよりも鬼塚だ。視線を鬼塚機へ戻す。
 鬼塚は、襲い来る敵機の射撃をかろうじてかわし続けているようだった。だが、すでに主翼や後部胴体にいくつか穴が開いているのが見える。そんな鬼塚機を、執拗に敵機は袋叩きにしていた。
 鬼塚機の一番後方に付けている敵機に狙いを定める。
 結果がどうなろうとかまわない。鬼塚の死に場所はここじゃないんだ。それまでは守る。守ってみせる……!
 そう決意して、引き金に指をかけたその時だった。



 亜麻色の影が、私の真横を猛スピードですり抜けていった。
 照準器の中に飛び込んできたそれを、私は無意識に凝視していた。
 亜麻色の鳥。1メートル以上はある巨鳥だ。頭からは錦色の飾り羽が伸びていて、そして白い布切れを、くちばしにくわえて運んでいる。


「……ミカヅキ!」
 思わず叫んでいた。
「馬鹿野郎こんなところに何しに来た!? 鬼塚の言葉を忘れちまったのかよ!!」
 届かないと知りつつ叫ぶ。追いかけようにも、機の速度が全く足りない。視界の中のミカヅキはあっという間に小さくなっていく。なんて速度だ。
 鬼塚機に群がっていたF4Uが散開した。突然のポケモンの飛び入りに、流石の米軍も面食らったようだ。
 白旗をはためかせながら、ミカヅキは鬼塚機の周りを旋回する。あいつ、鬼塚を助けようって腹積もりなのか。
 けど、そんなの、無理だ。ミカヅキ自身に攻撃の意図がなくったって、鬼塚機は爆弾をぶら下げているし、鬼塚機を守る私は既に相手を撃っている。ミカヅキがいくら白旗を振ったところで、鬼塚機を見逃してなどくれないだろう。
 現に、F4Uが1機、鬼塚機の上方から狙いを定めている。白旗を振っているミカヅキのことなど目にもくれずに。
 鬼塚が死ぬところなんて、ミカヅキに見せたくはない。ここで戦闘機の追撃を逃れたところで、鬼塚は敵艦へ乗機もろとも体当たりするしかないのだ。
「ダメだミカヅキ! 引き返せ!!」
 このまま叫びながら私はすぐに、そのF4Uに狙いを定める。だが間に合わない。
 私は射撃した、だがその銃弾は、空しく敵機後方の空を切る。F4Uの主翼に搭載された機銃が鬼塚機めがけて火を噴く様が、照準器の枠の外で、はっきりと見えた。



 銀色の三式戦は、もはや息も絶え絶えといった有様だった。
 被弾したエンジンが黒煙を噴き出している。ボロボロになった動翼は、もう舵としての役割をほとんど果たしていないように見えた。
 命運は尽きた。鬼塚機はもはや、処刑されるのを待つばかりの断頭台の上の罪人だ。
 敵機が群がる。次でとどめを刺すつもりだろう。誰が撃墜記録をつくるのか、それを競い合っているかのようだった。
『……クソ……ッ』
 ノイズにまみれた声が、通信に飛び込む。鬼塚の声だ。
「鬼塚!」
 私は思わず答えていた。
『……ミカヅキ、こんなとこまで追っかけてきやがって……これじゃ、情けないとこなんて、見せらんねえじゃないか』
 絞り出すような声。私の声が届いているのかどうかは分からなかった。
 だが、ひとつ確実に分かることがあった。鬼塚は、泥臭いまでに生きようとしている。死ぬ時間は今から遅くて1時間程度しか誤差のない、本当の死に場所で死ぬために。
『だから……だから……』
 しかし、ここで死にたくない、死なせたくないのは敵とて同じ。F4Uの群れが、無情にも再び鬼塚機へと踊りかかった。



『こんな所じゃ、終われねえ!!!』



 突如、閃光が走った。
 思わず私は機首を鬼柄機から逸していた。敵もそれは変わらないようで、群がっていたF4Uが蜘蛛の子を散らすように離れていく。
 なんだ。何が起きたんだ。機体を水平に戻し、眩い光を放つ鬼柄機へ目をやる。
 鬼柄機のコックピットから、虹色の光が探照灯のように伸びている。
 見覚えのある虹色だった。忘れるわけがない。昨日、薄明の中でも鮮やかな輝きを見せていた、ミカヅキが鬼塚へ手渡したあの石の虹色だ。
 果たして、その光が伸びる先にあったのは。
「……ミカヅキ!」
 思わず叫んだ。その光を浴びたミカヅキもまた、虹色の光を纏っていた。
 ミカヅキの輪郭が描き換えられていく。飾り羽は細く長く伸びていき、身体は一回りも二回りも大きくなっていく。
 やがて、光が消えた。刹那、ミカヅキは私の五式戦のすぐ左脇をすり抜けていく。
 見えたのは一瞬だったが、その姿は私の脳裏にはっきりと焼き付いていた。
 翼と尾羽の先端に鮮やかな空色を抱き、飾り羽は尾長鶏の尾のようにたなびいている。何より、くわえている白旗が大きく縮んだかのように見えるほど、大きくなった体躯。その先端に輝く真紅の双眸が、きっとこちらを見つめていた。
 鬼塚は絶対に助ける。あたかもそう私に語りかけているかのように。



 姿を変えたミカヅキは、黒煙を吹き出し滑空していく鬼塚の三式戦に真っ直ぐに突き進む。
 機体に取り付くミカヅキ。すると、その逞しい両足で持って、三式戦の機体を壊し始めた。
 外板を破り、キャノピーを千切り捨てる。コックピットの周りだけをまるで障子でも破っているかのように、中の鬼柄を傷つけずに解体していく。そして最後に、鬼柄が座っている座席を機体から引き剥がした。
 その様子に、誰もが見とれていた。私も、僚機も、米軍機さえも、固唾を呑んでその救出劇を見守っているようだった。
 ミカヅキが壊した場所から引き裂かれ、真っ二つに折れた三式戦が堕ちていく。一方で、気を失っているように見える鬼塚と彼を固定する座席を持ち上げたミカヅキは、力強く舞い上がる。
 不意に、1機のF4Uがミカヅキのもとへ迫った。まさか撃つ気か、と一瞬警戒したが、そいつが明らかにミカヅキを狙ってはいないのはすぐに分かった。ミカヅキを狙うのではなく、脇をすり抜けるコースを最初から飛んでいる。
 相対速度を合わせるように、ミカヅキの隣をゆっくりと通り抜けるF4U。その時、ミカヅキの前に出たそのF4Uのキャノピーが開かれた。
 F4Uのパイロットが、コックピットから掌を出している。合図をミカヅキに送っている?
 ミカヅキは首を縦に振った。F4Uも翼を左右に振り、キャノピーを閉じて加速を始めた。
 こんな、こんなことが。私は震えていた。
 ミカヅキの心が、米軍のパイロットに通じたというのか。敵も味方もなく、ただそこで命の危機に瀕している人間を助けたい。そんな純粋な心が、穢れた心に満ちたこの場所で……
「……全機、撤退するぞ。振武隊は全機が撃墜された。作戦は失敗だ」
 私はそう言って、機を反転させる。
 ミカヅキを呼び戻す訳にはいかない。日本に帰れば、鬼塚は再び特攻に駆り出されるだろうし、ミカヅキは一体どんな目に合うのか想像することすらできない。この国では、このふたりを救うことはできないのだ。
 私にできることは、ミカヅキを、そしてミカヅキの心を汲んだ米海軍のパイロットを信じることだけだった。
 ミカヅキとF4Uの編隊が小さくなっていく。
 私はその後ろ姿を敬礼で見送った。アメリカの人々が、ミカヅキの想いを受け止め、鬼塚の命を、そしてふたりの絆を毀損することなく、それぞれの未来を守ってくれることを願いながら――



 * * *



 戦争は、その後も続いた。
 我々は幾度となく特攻隊を送り出し、幾度となく若者を看取り、幾度となく敵機を迎撃し、幾度となく米英兵を殺した。春が終わり、夏が来て、街は焼かれ続け、人は死に続けた。
 だがそれまでと違い、私の心には希望があった。あの日ミカヅキが見せた勇気のお陰で、私は我々人間に善意が残っていることを知ることができた。アメリカの将兵も、我々と同じ心ある人間だということを知ることができた。
 信じることしかできないことは変わらなかった。それでも、この戦争は終わらせることができるという希望を、私はミカヅキから受け取っていた。それだけでも、このろくでもない世界の中で生き抜く大きな力を、私は持つことができるようになっていた。
 そして、あの日から2ヶ月あまりが過ぎた、夏真っ盛りの日の正午。



『朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ 受諾スル旨 通告セシメタリ――』

『堪ヘ難キヲ 堪ヘ 忍ヒ難キヲ 忍ヒ 以テ萬世ノ爲ニ 太平ヲ開カムト欲ス――』



 ラジオから流れたその声明をもって、長らく続いてきた戦争は、あっけないほど簡単に終わりを告げた。
 こんなに簡単に終わらせられるなら、なぜもっと早く同じことをしなかったのだろう。皆が泣き崩れる中、私はただ脱力感に身を任せ1人呆然と立っていたのを覚えている。
 1つの時代が終わり、新たな時代が苦難と共に幕を開けた。
 軍は解体され、私はパイロットから平凡なサラリーマンへと身をやつすこととなった。
 それでも、2人の子供を養っていけるだけの稼ぎのある仕事が見つかっただけ、私は幸運だったと言えるだろう。街には住処も職もない人間が溢れていた。
 運が悪ければ、私の家族も皆こうなっていたのかもしれない。そう考えると、この国が、かつての我々がした事の罪深さが、嫌でも胸を深くえぐった。



 * * *



 5年の月日が流れた。
 平和になった日本では、戦争で負った傷がようやく癒える兆しを見せ始めていた。
 だが世界では、先の戦争で勝った国同士の間で、新たな版図拡大競争が始まっていた。その煽りを受けて、海の向こう側でまた新たな戦争も起きている。
 再び、世界は争いの渦に飲まれようとしていた。そんな中で、日本の軍隊を再建するための運動も始まり、私もまた、サラリーマン稼業と並行して日本空軍創設運動に取り組んでいた。
 そんなある日のこと。運動の事務所に私に宛てられた一通の手紙が届いた。
 私はその手紙の送り主を見て、思わず泣き出してしまった。そこに書かれていたのは、この5年間、ずっと安否を案じていた男――鬼塚 忠の名前だったからだ。
 手紙の中身は、運動の広報誌で私の名前を見て、いてもたってもいられず連絡をしたことや、既に復員していたが、連絡先が分からず無事を伝えられなかったことへの詫びなどが書かれていた。
 すぐに私も返事を送り、手紙のやり取りが始まった。ほどなくして、鬼塚が私の家の近くに仕事で立ち寄ることになったため、久々に顔を合わせよう、という話が持ち上がった。
 それを断る理由などない。かくして、私は鬼塚と5年ぶりの再会を果たすこととなった。



「特攻に志願した時の俺は、自分に嘘をついてたんだろうな、って今は思ってるんです。だからあの時……俺が『こんな所じゃ終われない』って本心を言った時、俺を助けたかったミカヅキと心が重なって、メガシンカが起こったんだって今は思ってます。
 それで、気を失って――気が付いたら、俺は米軍の空母の医務室にいたんです。なぜ俺はこんなところにいるんだ、と聞いてみたら、殊勝な君のポケモンがここに連れてきたんだ、って教えられて……
 ミカヅキのやつったら、本当に人間が好きでしてね。米兵の奴らとも仲良く遊んでたんですよ。自分を撃ってきた奴の仲間だって言うのに、不思議なもんですよね」
 ようやく輸入が再開されたコーヒーに舌鼓を打ちながら、私と鬼塚は喫茶店で談笑を楽しんでいた。話の内容は、もちろんあの日鬼塚がミカヅキに助けられてから先のことだ。
 鬼塚にとってもミカヅキにとっても、米軍捕虜として過ごした期間は悪いものではなかったらしい。ミカヅキを先導した米海軍のエビエイター――この時鬼塚に教えてもらったが、米海軍では操縦士と水先案内人を混同しないよう、操縦士のことをエビエイターと呼ぶらしい――が『カミカゼのパイロットを一名捕虜にした』と母艦に報告した時、何度も復唱を求められたらしい、という話を聴いたときは、あまりに可笑しくて腹を抱えて笑ってしまった。
 捕虜として取り扱うための規定が存在しない、ポケモンであるミカヅキを守ることには、先導したパイロットや空母の艦長が『主人を命がけで救った忠義なポケモンを死なせるわけにはいかない』と、いろいろと骨を折ってまでかばってくれたらしい。そのおかげで、鬼塚はミカヅキと一緒に日本へ帰ってくることができたという。
 そうして今、鬼塚は駆け出しのプロポケモントレーナーになっていた。ミカヅキが持ってきてくれたあの宝石――キーストーンと、その力でミカヅキの姿を変える力――メガシンカの本邦における数少ない使い手ということで、豊縁の鉱山会社がお抱えのプロチームの一員に迎え入れてくれたのだという。
「美女に化けて布をくれるんじゃないか、なんて冗談をみんなで言い合ってたりもしましたけど、ミカヅキはそんなの比べ物にならないくらい、俺にたくさんのものをくれました。これからは自分に嘘をつかずに生きて、恩返しの恩返しをいっぱいミカヅキにしてやらないとですね」
 ミカヅキを見ていた時と変わらない澄んだ瞳で、鬼塚はそう語っていた。5年のうちに顔つきもだいぶ大人びた雰囲気になっていたが、その澄んだ瞳は5年前と全く変わっていない。



「鏡さん。鏡さんには……夢とか目標みたいなものって、ありますか?」
 談笑を終えて喫茶店を出たとき、鬼塚が不意にそう語り掛けてきた。
「夢か? そりゃあ……この国の軍隊を根っこから作り替えることだな。
 創設運動の連中は旧軍の栄華が忘れられんような奴らばかりだが、そいつらの好きにはさせない。今度は国体なんかじゃなく、国民をきっちり守ってくれるようなまともな軍隊にするのさ。そのためにあえてそいつらの仲間になってるんだよ。面従腹背って奴だな」
 思った通りのことを思った通りに話す。日本は自由な国に生まれ変わった。もう偉い奴らの弾圧を恐れて、心に鍵をかける必要はない。連中の耳に直接入るような場所でなければ――ではあるが。
「ははは、言いますねえ! 俺のは……ミカヅキと一緒に、ポケモン勝負のてっぺんまで登りつめることですね。日本だけじゃなく、世界のてっぺんに!
 それで、世界中の人に伝えたいんです。どんなに国同士がいがみ合っていたって、ポケモンがいれば人間同士は仲良くなれる、うまくやっていけるって。それで世界平和に少しでも貢献できればめっけもん、ってわけです」
 空を見上げながら、鬼塚は語る。あの日のあの光景を実現させた、彼らしい夢だな、と思った。
「お互い、長く険しい道のりだな」
「ええ、だからこそ挑み甲斐もあるってもんですよ」
「がんばれよ鬼塚。応援してるからな」
「ええ、鏡さんも」
 顔を合わせ、笑いあう。互いの前途が実りあるものになることを祈りながら。



「では、俺は行きますね。またいつか、一緒に食事でもしましょう」
 そう言って、鬼塚はまるで騎兵が身に着ける胸甲のような屈強なチョッキを身に着ける。引き戸のハンドルじみたものが背中に付いているのを見て、私はそのチョッキの用途をおおよそ理解した。
「ああ。またこっちに来るときはいつでも連絡してくれよ」
 笑って私は返した。鬼塚も微笑みを返し、そして右の懐から紅白の球体を取り出す。それはポケモンと人間の契約の証、モンスターボールだ。
「さあ、頼むぞミカヅキ!」
 鬼塚はボールを放り投げる。ボールが割れ、光が中から飛び出した。
 光はすぐに、亜麻色の巨鳥、ピジョットへと姿を変える。久しぶりとでも言いたげに、左頬に傷跡のあるそのピジョット――ミカヅキは、こちらににこやかな笑顔を投げかけてくれた。
「行くぜミカヅキ、メガシンカだ!」
 今度は左の懐から、モンスターボールよりも小さな球体を取り出す鬼塚。鮮やかな虹色の球体、キーストーンは、あの日と変わらない眩い虹色の光を放つ。
 その光を浴びたミカヅキの姿が変わる。翼に空色を、双眸に深紅を携えた姿――メガピジョットへ。
「それでは、また!」
 こちらへ手を振りながら、鬼塚が言う。その刹那、ミカヅキが鬼塚のチョッキに付いた引き戸のハンドルを足で掴んだ。
 そのまま、ミカヅキは鬼塚を連れて空へ舞い上がる。
「ああ、またな!」
 私も手を振って返した。
 ふと、周りを見る。
 通りすがりの子供が、大人が、進駐している米軍の兵士までもが、みなそろってミカヅキと鬼塚を見上げていた。中には手を振っている者もいる。
 5年前、ミカヅキと出会った日に見た親子のことを思い出す。あの日から5年。夢と憧れを抱いて手を振ることができる平和な空が、この国に帰ってきたのだ。
 感涙にむせびそうになるのをこらえながら、私は再び、上昇し小さくなっていくミカヅキと鬼塚の姿を見送った。
 この平和な空が、どうか末永く続くように。そう、強く願いながら――