バチュル・エフェクト

伊坂辛太郎
テーマA:「ラジオ」「上昇気流」「反比例」
「小さくて脆いこのバチュルは、遥か遠い異国の地に雷をもたらすか」
 上機嫌のフミ青年は、彼の相棒、バチュルを撫でるアヤを見て言う。格言めいたその言葉を、隣の彼女はいつものように否定から返した。
「残念だけど、あなたの相棒は雷を覚えないよ。何年生きてもフミはポケモンというものを根本から分かってない。分かる気が無い」
 アヤは半ば呆れて言う。しかし、口元は笑っていた。
「そういうことを言いたいんじゃないんだってば」
揺れる船は、目的地に向かってまっすぐに進んでいる。風を受けて、フミは束の間の旅を思い出していた。

――

 フミ青年が意を決して旅に出たのは、乾いたコンクリートに月明かりに光る、夏のある日だった。大人に決められた、この夏全ての予定をすべて放り投げて彼は、誰にも告げずイッシュへ向かう。旅自体はこの地域ではありふれていて、目立つほどのことでも無い。通信手段はあえて置いてきた。飛び出してしまえば、こっちのものだ。
イッシュへ向かう船に乗り込んで2日目。独特の揺れにも慣れてきた。彼はレストランで昼食を取り、自室へ戻った。メモパッドが置いてある小さな机と、その奥にはテレビが。その下の台座に彼は、動く小さな何かを見つけた。
ネズミかな、と思いよく見ると、それはれっきとしたポケモン、バチュルだった。彼が最後にポケモンを捕まえたのは、幼い頃にサファリゾーンで遊んで以来。怪我をしたら危ないと、ずっと禁止されてきたのだ。彼にとっては驚くべきことだった。彼の育った町は、ふらっと歩けば野生のポケモンが出てくるような、そんな街ではなかったのだ。
はやる気持ちを抑えて、持ってきたイッシュのガイドブックを確認する。どうやら、船の中に紛れて電気を食べているようだ。バチュルはこちらに気づくが、扉を閉めたこの部屋に逃げるところは無い。体毛をとがらせ威嚇するバチュルに、フミは恐る恐るモンスターボールを投げた。
3,2,1、で捕まえたバチュルを、さっそくボールから出してみる。姿を現したそれは、不思議そうな顔であたりを見回した。
「こんにちは、相棒」
 話しかけ、手を差し伸べる。相棒はちょろちょろと伝って肩へ上って来て、何を思ったのか、フミの耳に噛みついた。
「いッ!」
 声に驚いて、バチュルは部屋の隅まで走り、こちらを見て縮こまってしまった。やんちゃな奴め、とフミは床に寝そべって相棒を眺める。幸先がいいのか、悪いのか。まあ、いいか。


 イッシュはヒウンシティ、ユナイテッドピアに船が到着したのは正午を過ぎた頃だった。眠っていたところをバチュルに起こされたフミは自転車を押して船を降り立ち、聳える高楼の迫力に見とれた。ホウエンでは地元キンセツの再開発が進み都会になったなと思っていたが、もう何もかも違うのが一目瞭然だった。1つのビル取っても向こうでは象徴になるほどの高さを誇っているのに、それよりも高いビルが群れている。照り付ける陽光に反射してコンクリートを照り付けている。しばし呆然としていると、ボールから出していたバチュルが居ないことに気づく。
「あの」
 イッシュ人の女性が困った顔で話しかけてくる。彼女の手持ちのモココに張り付いて電気を食べているようだ。慌てて相棒をモンスターボールに入れ謝罪した。
「すみません」
「いいのよ。あなた外国の方? どちらからいらしたの?」
「ホウエンです」
「まあ! 遠くから来たのね」
 女性はねぎらい、彼にプレゼントをした。


 フミがこの地方に憧れた理由は、彼の旅の目的でもあった。休日の人混みをかき分け、ヒウンアイスの行列を横目で見ながら、彼はセントラルエリアと呼ばれる広場へ向かう。噴水を中心に様々な肌の色が集まるこの場所は、ダンスチームのパフォーマンスや子供の歓声が雑踏の中に響く。ビルの陰あるベンチを探し、彼は腰を落ち着けた。そして、バックパックの中からハードケースを取り出す。バチュルが興味深そうに見つめているのを横目で見ながら、中に入っているそれを組み立て始めた。
本体にマウスピースを取り付け、そこから、息を吹き込む。低く、柔らかい音が鳴り、それは楽器として息を吹き返した。様々な喧騒を擦りぬけ、テノール・サックスの音色が空を舞う。メロディが輪郭を作り、そこに新しい存在を生み出す。人が集まる。視線が行き交う。そしてそれ自体、この街では決して珍しくないことなのだ。気持ちがいいな、とフミは思った。

 メロディが終わると、彼の周囲の人だかりに拍手が起きた。「チップを!」と声が聞こえ、彼の足元に金が置かれる。これ、テレビで見たやつだ。フミはもうここで旅を終えてもいい気分にすらなった。
フミが旅に出た理由は、そもそもただの家出に近かったから、どこに行こうとか、何をしようとか、そういう目的は無かったのだ。客はまた別の音を求めて離れていく。フミはまたベンチに腰を落ち着け、相棒を撫でてやった。
「あなた、とても上手なのね。びっくりした」
 女声。見上げると、一人の少女が立っていた。その後ろにはマリルリが、頭には、白地に赤、青の模様が入ったハチマキを巻いている。力みなぎるような目線をこちらに向けていた。
「ありがとう」
 高揚感の中でフミが答える。
「あなた、イッシュの人?」
「いや、ホウエンだよ。君は?」
「ホウエンって、遠い所から来たのね! 私はカロスから来たの」
「カロスも遠いよ。すごいね、僕達どっちも外国人だ」
 ベンチに座るよう誘うと、少女は嬉しそうにお礼を返す。
 彼女はアヤと名乗った。1年前にイッシュへ来て、ポケモンバトルで生計を立てていると話す。
「ポケモントレーナーか。すごいね」
「ポケモンフリーターとも言える」
 なんじゃそりゃ、とフミが笑う。アヤもつられた。
「よかったらご飯ご馳走させて、さっきの一曲のお礼よ」

 宿も決めず、ポケモンも持たず、通信手段すら置いてきたフミ青年にとって、アヤの存在は言葉に尽くせないほどありがたかった。彼女はまず宿を探し、フミに食事を与えた。イッシュに来た旅人ならお互い様だ、とアヤは言う。
「あなた、旅のゴールとか、決めてる?」
 食事の後、宿のテラスで食事をとりながら彼らは涼んでいた。足元ではバチュルが、フミの持ってきたポロックを食べている。ゴールか、とフミは思う。やっぱり、そういうのが無いとだめなのか? まあ、強いて言うなら。
「ビレッジブリッジっていう所なんだけど」
「え、聞いたこと無い」
 フミは持っていた電話で場所を調べ始める。「ソウリュウの近くか。ちょっと遠いね」
「音楽家を引退した人たちが暮らしているところでさ。まあ、カロスはそもそも芸術が盛んな所だから、外国に目を向けなくてもいいのかもしれない」
「へえ。私バトルばっかりしてたから、そういうの疎いや」
 アヤはパンケーキを大口で食べ終えた。少日焼けした肌を火照らせ、足を組み直す。バチュルはポロックを食べ終え、フミの手の甲で寝そべっていた。
「あなたの手持ちってこの子しかいないの?」
「うん。僕ポケモンを捕まえたの初めてなんだ」
「バトルしたことは?」
「無いよ。楽器一筋で生きてきたんだ」
「それで旅を続けるのは無謀すぎる!」
 ははは、と高い声でアヤが笑う。馬鹿にしたニュアンスは無いと見たフミはただただ照れるほかない。
「良かったら私、一緒に旅をしてあげるよ。今調べたら、モノズってポケモンがそのあたりに居るらしいのね」
「いいの?」
「いいよ。じゃあルート決めよ、ルート」
 電話でルートを検索しているアヤ。突貫工事で進むべきレールが決まっていくのを、フミはたじたじになりながら眺めている。ありがたいようで、なんだか居心地も悪く感じた。両親のしがらみを逃れてきたはずなのに、このままでいいのだろうか。いや、そもそもこうやって世話を焼いてくれる同世代の女の子が居てくれるだけでありがたいじゃないか。まあ、いいか。そう考えることにしよう。
「あ、空を飛べば半日でつくみたいよ?」
「それはさすがに違うなあ」



 翌朝。フミはバチュルと共に宿を出た。朝からどんよりと低い曇り空だ。しかし、そんなことを気にすることも無い相棒は、朝から有り余る元気と電気を消費するかのように、フミの肩と頭を行き来している。
待ち合わせのセントラルエリアで、アヤはこちらに手を振っていた。隣には大きなリュックを背負うマリルリが。
「この子いじっぱりで力持ちなんだ。ボールに入りたがらないし、重いもの持ってると取られるの」
「いい子じゃない」
 フミはマリルリに挨拶をした。威風堂々なその佇まいに、おそるおそるだったが撫でるのを受け入れてくれる。それから、彼が携えている自転車の入ったバッグをひったくった。アヤのカバンと同じように背負って、得意げな顔でこちらを見やる。「ね? いい子でしょ」とアヤが笑うので、フミもつられた。
バチュルは足元で、キーキーと鳴きながら彼らを急かす。
「こいつはわんぱくな子だよな。ちょろちょろしてるから」
「ようきかむじゃきもあり得るわね。私はひかえめな方が好きだけどね」
「元気ならなんでもいいさ」
ヒウンシティからビレッシブリッジへ向かうには2つのルートがある。その分岐点はヒウンの先のライモンシティにあり、まず彼らはそこを目指すことになった。北大通を並んで歩く。朝の人混みは凄まじく、大きな群れは小さい二人を避け、早足で行き過ぎていく。ビジネスマンやOLの恰好が目立ち、昨日まで居た音楽家やストリートダンサーの影はどこにもない。
「毎日、こうなの?」
 誰かの影に紛れる長い髪の後ろ姿を、見失わないようにフミは呼ぶ。
「そうだよ。私がこっち来てからずーっとこう。この国が滅びるまで同じ光景なんじゃない?」
 立ち止まったアヤに並ぶフミ。並んで歩く二人の前に、トンネルのようなゲートが聳え立っていた。

 4番道路に入った途端。あ、と気づいたときには、砂嵐で視界がかき消された。思わず腕で顔を覆う。それを揶揄のようなニュアンスで聞こえるアヤの声は、近くを走っているらしいトラックの爆音で良く聞こえない。
「ここからは、目と目があったらとりあえずバトルよ。これも修行のうちだから、待つのを悪く思わないでよね」
「きついなあ」
 アヤを先頭に、マリルリ、フミ、その上のバチュルと続く。オフィススタイルが目立った街の様子とは打って変わって、ここには作業着姿が多く見られた。広い道路、岩壁のたもとではポケモンブリーダーらしき女性とバックパッカーがバトルを繰り広げている。眺めていると、ずいぶん砂嵐も気にならなくなっていることにフミは気づいた。
「あっ」
 アヤは立ち止まる。その視線を追いかけると、そこには、綺麗な身なりをした男性が。

「プレミアムな経験がしたいんだ。相手してくれない?」
「いいわよ。フミ、ちょっと待っててね。時間は取らせないと思うけど」
 え、とフミが言う間もなく、おぼっちゃまらしき青年がポケモンを繰り出した。毛皮が分厚い犬のようなポケモンだ。マリルリを睨みつけ、今にも飛び出していきそうな。なんて言う名前だっけ。思案しているうちに、アヤのマリルリはリュックを放り投げて、巨犬、ムーランドに向かっていった。
バトルってこんなに唐突に始まるのか、とフミはあっけにとられていた。確かに、アヤのようなてきぱきした性格になるのも分かる気がする。いや、本来そういう気質の人間がポケモントレーナーになるのかもしれない。間を取ったムーランドに、突っ込んでいったマリルリ。二匹は遺跡の一部と思われる石壁にぶつかり、派手な音を立てた。一瞬のうちに砂と石の塊が舞い、風に乗って茶褐色は絡まり、瑠璃色の長い耳が、白地のハチマキが、その合間に揺れるのが見えて。
「よっし! じゃれつきバッチリだね」
 飛び跳ねて帰ってくるマリルリにフミが気付いた。独特の機械音を振り返ると、おぼっちゃまは悔しいどころか清々しい顔をしていた。
「フェイバリットなポケモンが見れて満足さ。これを」
 青年が差し出した金を「はいどーも」と受け取り、そのまま二人は別れる。
「え、もう終わり?」
 あっけにとられたままのフミと、すでにまた前へ歩き始めようとするアヤ。
「うん。私、割と強いのよ」
 アヤの笑顔は、マリルリの表情とどこか似ているようだった。



 ライモンシティの手前には、ジョインアベニューという市場が広がっていた。こちらもヒウンのような人混みだったが、こちらの雰囲気はそこと、どこか違っていた。買い回り客の歩くテンポがゆったりしているからだろうか、とフミは思う。自分自身も人混みに慣れ、周囲の店を見る余裕が出来ていた。
「あ、見てよこれ、あなたの地元のポケモンじゃない?」
 アヤは、店先においてあったぬいぐるみを指差して言う。
「どこにでも居るんだな」
 商魂たくましい、とフミは思って言うが、目の前の少女は、彼が思っているより気分が高揚しているようだった。その気分を邪魔された気がして、アヤはむすっと返す。
「かわいいじゃない。あなたってこういうの興味無いわけ?」
「いや、無いことないけど」
「そういえばホウエンって、ひみつきちが作れる洞穴がいっぱいあるんでしょ? この前テレビで言ってたわ。ひみつきちに人形をいっぱい並べるの、素敵じゃない」
「まあね。僕は一度も作ったこと、無いけど」
 アヤは冷めたフミに負けず、マリルリを相手に寄り道を繰り返す。割と女の子らしいところがあるんだな、と後ろの青年は思って、自分も店を眺めた。そして、その先に見つけた店先に並べてある商品に目を奪われる。

「これ! なかなかいいビードロだよ。これ知ってる? ビードロって言うんだよ」
 重厚感のある黒い鉱石の上に、ガラス張りのショーウインドウ。その中に色とりどりのビードロが収めてある。
「知ってるけど、使ったこと無いなあ。実用的じゃないよ。なんでもなおしで良いじゃん」
「ビードロって火山灰の中にあるガラス片を加工して作るんだけど、見てみなよこれ、混じり気が全くない。綺麗な音がするはずだよ。あ、これ試しに吹けますか?」
「地元で買ったらいいのに」
 どうやら、価値観が全く合わないらしい。二人はお互いの笑顔を見ながら、同じことを考えていた。


 二人がライモンシティに着いたのは、夕方になる頃だった。モダンな街灯とフラッグに彩られたこの街は、開けた空に観覧車と巨大なピカチュウバルーンが聳え立っていた。歩き疲れた二人は宿を取り、また翌朝宿の前で集合することにする。
「ちなみに、さっきのバトルでいくら稼いだの?」
 別れる前、フミが問うた。アヤはポケットに入れた紙幣を数える。
「3000円くらい。ああいう、びしっと決めてる人は、羽振りがいいのよね」
「僕もそのくらい稼いでくるよ」
 じゃあ、と言おうとする彼を、アヤが引き留めた。
「は? 今から街に出るの? だめよ。あなたが怪我でもしたら、私困るわ」
「こんな街中で? さすがに大丈夫だよ。こいつも居るし」
「何言ってんの。糸を吐くくらいしか覚えていないような子じゃ心許ないでしょ。だめだめ、宿に帰るわよ」

 夜のライモンに吹き抜ける風は生ぬるく、素肌を這うように流れている。夜といっても深みは無く、まだ人は楽しげに行き来している。遊園地は夜が明ける時間まで火が灯っているようなので、そちらへ向かうことにした。ジムがあるらしい進行方向も、街から離れたスタジアムの方も、もちろん中心にあるステーションもネオンで彩られていて、月が小さく遠く感ぜられた。
結局フミは、テノール・サックスと相棒を連れ、こっそり宿を抜け出している。遊園地のゲートをくぐると、バチュルは電気というご馳走の匂いを嗅ぎつけたのか、盛んにキーキーと鳴いている。飛び出して行かれたらまずい。フミはポロックをポケットから探り差し出そうとするが、愛しの相棒は自らそのかくしの中へ入っていった。
「お前はそこに居なさい」
観覧車とジェットコースターは夜になってもまだ行列を作っていて、ジムの前の電光掲示板には、ファッションショーの様子が映し出されている。人込みを避けフミは遊園地の外れ、タブンネバルーンが設置されているスペースで演奏することにした。
いつものように楽器を組み立てる。マウスピースに金具を取り付け、水で湿らせたリードをそこに差し込んでからネジを締める。よし、と思った後、リードを指で2回弾くのは、彼がレッスン中幾度となく注意されてきた癖だった。は、とするが、今はそれを咎めるものなど誰も居ない。この場に居るのは、自分の演奏を待っている観客だけだ。

息を吹き込む。体幹に力を込める。いつか何かの絵本に書いてあった、寝起きの子を起こす母親の絵のイメージ。熱と水分が楽器に充満するのを待つ。その間彼は、いつも思考がクリアにならないことを悩んでいた。
テクニックや曲目を習得するごとに、周囲に期待される度に、トロフィの数が増えるごとに。アリジゴクのような。いい歳になっても自分は馬鹿のままだ。入っていた予定を全てキャンセルし、家を飛び出したことに対する責任感は無いのか。でも、今まで気づきもしなかった思考の押し付けに気づいてしまった自分は不幸者なのだ。でも、僕は思うように吹きたい。でも、生きたいように生きていきたい。僕はお前のスケープゴートにはならない。それは反抗期なのだろうか? 恥ずべきことなのだろうか? この指さばきも、恩師から学んだものなのだろうか? 自分の努力の賜物か? 違う、いや、違わない!
指が踊り出せば、淀んで絡まった頭の中から抜け出せる。フミはそれを知っている。馬鹿になった方がいいんだ。旋律が生まれる。メロディが流れ始める。音と音の組み合わせは、自分の気持ちを洗い流していく。

異国のダンスミュージックは、この楽器が出すことのできる最高音で幕を閉じる。終わったのか、と寂しげに指が泣いているような感覚。数人の拍手で取り戻した視界で、お腹が空いたな、と思う。そして、チップが思ったより少ないな、とも思った。雑踏がトーンダウンしたことに気づいたフミは、相棒がポケットの中で既に寝息を立てていることに気づく。しかし、宿に帰るのも名残惜しくて、ベンチに座り込んだ。

「君、上手なんだな」
 男声。ベンチに座って楽器を磨き始めた彼は、そちらへ振り向いた。微笑む男性は、フミの隣に座っていいかと尋ね、フミはそれを受け入れる。
「演奏聞いたよ。俺からもチップ」
 男性は財布から紙幣を3枚出してフミに手渡す。
「え、こんなにいいんですか?」
 アヤの言ったとおりだ。確かに、いい身なりをしているようにも見える。
「もちろんだよ。本当に驚いたし、感動した」
「ありがとうございます」
 男性はモンブンと名乗る。フミも釣られて自己紹介をした。ビレッジブリッジへ向かい旅を始めたこと、一緒に旅をする人間が居ること。その際、男性にどこの地方か問われたが、フミは明言を避けることにした。奏者のホープとして地元の業界では名が通っているから、警戒をしたのだ。男性は「言いたくないなら言わなくていい」と言った。

「そのバチュル、すっかりお前さんに懐いているな」
 無言の空間を嫌ってか、モンブンはバチュルを見て言う。
「出会ったばかりなんですけどね」
 バチュルは確かに、何の警戒もせずに眠りこけている。用心棒としては、実際心許ない相棒だ。
「俺は仕事柄出張が多くて。出張先でトレーナーを見かけると、つい教えてやりたくなるんだよな」
「懐いているか、そうじゃないかって、他人から見ないと分からないものですか?」
 モンブンは少し間を置いた。フミは時計を確認する。宿を出てきてから1時間ほど経過していたが、ここに居ると眠気すら観覧車に吸い込まれてしまいそうだった。依然遊園地は人が行き交い、本当に眠らない街なんだな、とフミは思う。目の前のベンチには誰かを待っているのか、ラジオに耳を傾けて眠る少年が座っていた。

「お前さんは、この物語の主人公を誰だと思う?」
 突然問われてフミは、意味が分からない、と言うのもはばかれ、言葉が詰まる。「難しく考えなくていい」とモンブンは続ける。
「君という人間が見ているこの世の中は、君以外の目で見ることは出来ない。それを知っているトレーナーほど、相棒の気持ちが気になる。強くなろうとする気持ちと葛藤して、分かりきっていることすらわからなくなる。無意識に。だから、第三者から教えてやる」
 分かったような、分からないような。ただ、フミの頭にはアヤが浮かんだ。強いトレーナーである彼女も、そういう葛藤をしているのだろうか。
「僕はこいつしか手持ちがないけど、一緒に旅をしている子はいっぱい持っているようだから、喜ぶと思います」
「どんな子なんだい? どんなポケモンを持っているんだろう」
「マリルリは見たことがあるけど、それ以外のポケモンはまだ見たことが無いな」
 どんな子なのか、という問いには答えられなかった。出会ったばかりだし、何より気恥ずかしさが先立った。そうか、とモンブンは笑った。

「話が長くなるほど、朝までの時間は短くなります」
 その時だ。目の前に座ってラジオを聞いていた少年が、こちらを振り返り、唐突に話し始めた。フミは驚く。バチュルは起き出す。
「睡眠時間が少なくなるほど、目覚めてからの欠伸の量が増えます。異常状態になった時、からげんきは効果が2倍になります。バチュル、くっつきポケモン。タイプ、でんき、むし。たかさは」
「オッケーオッケーごめん、待たせた、悪かった」
 モンブンはそう言って立ち上がり、少年の頭を撫でる。
「この子は?」
 寝起きで機嫌が悪いのか、静電気をぱちぱちと鳴らすバチュルを撫でてフミは問う。
「こいつは俺の相棒。驚かせて悪いね。待たせ過ぎたから気が立ってる」
 彼の相棒はフミの身長の半分程度しかなく、きれいに切りそろえられた髪の奥で光るのは、ぼんやりとした目。小型のラジオは、どこかの有識者がポケモンについて語っている。ポケモンみたいだ子だ、とフミは思った。
「さあ、俺は帰るよ。次会う時は、また改めて自己紹介をしなきゃいけない」
 並んで去っていくモンブンと、その相棒。再会することが決まりきっているかのように、彼らは名残惜しむこともなく颯爽と歩いていく。



 このライモンからビレッジブリッジに行くには、左右2つのツートがある。一つは、ホワイトフォレストと呼ばれる青空市場を経由し、リゾート地であるサザナミ湾を渡るルート。一つはここからホドモエを経由し、山を越えるルート。
 山の険しさとは、どれほどのものなのか。フミは持久力と持久力には自信があるが、足腰の強さにそこまでの自負は持っていない。アヤ曰く、ネジ山はイッシュ最高峰の山で、ホドモエから山への一帯は、ジムリーダー所有の開拓地らしい。
「それしか知らないの?」
「私、観光客じゃないもの。そっちの方は、フキヨセと電気石の洞穴に行ったくらいだわ」
「右回りの方はどうなんだろう」
「そっちの方が私の拠点地だよ。ほら、14番道路は整備されているし」
 迷うこと無くフミは、サザナミ湾経由での旅を決めた。



 相手の繰り出したポケモン、ダーテングに対して飛び出して行くマリルリを、アヤはすぐにボールへと戻した。彼女の次のモンスタボールから出てきたのは、ドリルポケモンのニドクイン。姿を現し地に足を着いた瞬間、ダーテングから放たれた、草木の濁流に飲み込まれる。息もつかせぬ間に敵の攻撃を受けたニドクインだが、しかし、身体に纏わりついた葉を身震いで振り落とそうとする余裕を見せる。頭から尾にかけて並ぶ針のような鱗は、一瞬にして逆立った。
 ワンダーブリッジを越え、15番道路にやってきた二人。アヤはバックパッカーの誘いを受け、対戦を開始していた。
「ヘドロウェーブ!」
「ダーテング、同じ技だ!」
 二人のトレーナーは同時に、自分のポケモンに指示を出す。ニドクインが飛び出すより先に、相手のダーテングからリーフストームが繰り出された。しかし先ほどと同じ程度の威力は無く、そして技はニドクインの尾をかすめただけ。
「外れた」
 避難所代わりの岩の奥で観戦していたフミの耳に、相手のバックパッカーが吐露した声が聞こえた。その直後、短い前足を広げたニドクインから放たれた、この世の物とは思えない色の濁流がダーテングに襲い掛かる。バックパッカーも思わずそれを避けようとし、技をまともに受けたポケモンとその奥のトレーナーが、同じタイミングで地面に倒れこんだ。
勝負あり。アヤはニドクインに駆け寄り、ポケットから取り出した手袋を装着して、ニドクインを撫でてやった。モンスターボールにお互いのポケモンが戻っていく。「負けた」とバックパッカーは苦笑いして、地面に座り込んでいた身体を起こした。

戦いを終えた二人は、一言、二言会話をした後ですぐに別れた。「よし、行こう」と、アヤは岩陰から出てきたフミを呼ぶ。
「ダーテングの最後の技、君のポケモンに当たらなかったね」
 フミはねぎらいの言葉を述べた後で、素人ながらにバトルの所感を述べた。同じように歩き始めながら、アヤの解説が始まる。リーフストームは威力が高い分、相手の技の命中率が低いこと、一度攻撃を繰り出すと、気力がぐんと減ってしまうため、次の攻撃の威力が下がってしまうこと。
「うちのニドが繰り出したあの技も、確実に命中するわけじゃないんだよ。でも私には必然力があるから、大丈夫」
「必然力?」
「ポケモンを倒すために必要な理論があってね。それを信じて戦えば、起こるべき攻撃を引き起こすことが出来るんだ。だから、当たりづらい技も効果が高かったら採用するわ。私は負けないの」
「すごい自信だ」
「まあ、私はまだまだ修行が足りないから、勝ちきれないこともあるんだけど。でも」
 アヤは言葉を区切る。深いところまで意味が分かっていない自分が打つ相槌を察したのだろうか。
「ん?」フミは言葉の先を促す。
「少なくとも、あなたの前では負けたくないな」
 恥ずかしそうな、誇らしそうな、分からないニュアンスでアヤは笑う。誤魔化すように、言葉を重ねた。
「イッシュって海には必ず橋が架かっているよね。波乗りする浜辺が無いから、うちの子を泳がせるためだけにサザナミ湾に行くんだよ」
16番道路とワンダーブリッジを間に挟んでいるからか、ここは既にライモンの喧騒も消えていた。アヤの後ろでマリルリは、二人分の荷物を抱えても平気そうに主人の後ろを追いかけている。
「サザナミ湾まで、どれくらいかかるかな? 君のマリルリの泳ぎが見てみたい」
「明後日には着くんじゃないかな。ブラックシティで一晩過ごして、14番道路越えたらすぐだよ」


 ホワイトフォレストは文字通り、白い幹の巨木が整然と並ぶ、美しい森だ。ホウエンにもツリーハウスが有名なヒマワキシティという都市があるが、そういった趣とはまた違う。小さなマーケットが立ち並ぶだけで、その他には民家もまばら。短い草が生い茂る原っぱにはポケモンと人間が、ある意味で秩序を守ったように思い思いの時間を過ごしている。静かだ、フミはそう思った。
「美しい森だね」
 深呼吸をしてから、ポケットに入り込んでいたバチュルに外へ出るよう促す。バチュルはきーきーと鳴いて駆けだした。アヤのマリルリが続く。二匹は相性がいいのか、じゃれるバチュルをマリルリが受け止めていた。

「この街の南側に、ブラックシティっていう街があるんだよ」
「ブラック? こっちはホワイトだ」
「そう。こっちとは真逆の町でね。さながら闇市って感じ。違法地帯というか、脱法地帯って言うのかな? とてもフミは連れて行けないよ」
「行かないよ。だいたい、何でそんな街を知ってるんだよ」
「私の拠点がそこなのよ。バトルに必要な道具もたくさん売ってるし、そういう街だからって、別に悪い人ばかりじゃないんだから」
 フミはいつものように相槌を打って、ポケモンセンターまで歩いていく。ブラックシティ、名前だけで、そんな街かは想像がついた。
「カロスにも、そんな街があるのか?」
「無いよ。カロスは美しい土地よ? 全部排除されちゃったみたい。私がイッシュに来た理由は、ブラックシティに来るためだったんだから」
そんな危険な街に彼女は、あえて移住したというのか。なぜ? 強くなるため? そこまでして強くなりたいのか。自分に話さないということは、自分が知り得なくてもいい情報なのだろうとは思う。まあ、いいか。そう思うほかない。

「みんなを預けたら、ごはん食べようか。お腹空いた」
 アヤがポケモンセンターに入っていく後ろ姿を、フミは目で追う。
 4つのモンスターボールが、ポケモンセンターの処置台に置かれる。一つはフミのバチュル。あとの3つはアヤのポケモン達だ。マリルリと、ニドクイン。
「そういえば、もう一体ってどんなポケモンなの?」
「ジバコイルよ。この前電気石の洞窟で進化させてきたの。こっちに来てからハイリンクで捕まえたんだよ」
「ハイリンク? どこにあるの?」
「イッシュの中心にある空間だよ。不思議な空間だから、普通に空を飛んだらはじき返されちゃうんだけど、ブラックシティに、お金を払えば入れる入口があってね。あ、これ違法だから、この話内緒よ?」


 食事を取った二人は、他の人間がそうするように、草原の中で昼寝をすることにした。ニドクイン、そして初対面のジバコイルがモンスターボールから出てきて、フミのバチュルと遊んでくれている。
「こんなにのんびりしていていいのかしら」
 アヤがぽつりと言う。
「僕はいいと思うけどなあ」
 フミは彼女の反応を待つ。自分だったら「まあ、いいか」と言う所、アヤは「必然力が弱まっちゃう」と続ける。
「弱まる? 必然力って弱まるの?」
「うん。だから、今までずっとバトルの研究とか、道具を探したりだとか、バトルする為にそこの洞穴に籠ったりとか、そういう毎日だったから。何かやっていないと、力が落ちる気がして不安になるの」
「そんなこと言ったら僕も、こっちに来るまではそんな感じだったな。毎日毎日勉強レッスンステージ。頭がおかしくなる」
「私が好きでやってるから、おかしくはならないわ。」
 アヤの言葉に同情し、自分を重ねたつもりのフミだったが、彼女にばっさり否定されて少し悲しくなる。まあ、いいけど。並んで寝転がる二人に、木漏れ日のシャワーが降り注ぐ。灼熱の太陽が並ぶ巨木に遮られていた。心地よい風が吹き、さわさわ揺れる木の葉の音の下、低い空でマメパトが飛んでいるのが見える。
「俺は好きでやってるわけじゃなかったからな。僕の性格じゃアヤみたいに、限界までやり続けることが出来ないんだろうな。この旅だって、全部の予定をキャンセルして来たんだ。コンサートもライブも全部全部。馬鹿だろ?」
「迷惑な人ね。ねえ、でも、楽器は吹くの?」
「僕にはこれしかないからね」
「変なの」
 アヤは起き上がった。「ねえ」とフミに笑いかける。
「一曲吹いてよ。この街は静かすぎるわ。そんなに長い曲だと眠くなっちゃうかもしれないから、よろしく」
 驚いた。まさか、アヤからそんなお願いをされるとは。二つ返事で楽器のケースを開いて、頭の中では何を吹くか考える。そうだ、あの曲がいい。自分が初めて作曲した曲だ。タイトルは既につけてあるけど、今は相棒の名前を拝借しよう。
 準備を整える。ストラップを首にかける。楽器を叩き起こす。
「曲名は?」アヤは微笑んでいる。
「バチュル・エフェクト、だよ」
 

 短い曲、という曖昧で大雑把なリクエストだったが、彼の演奏はアヤを飽きさせることは無かったようだ。拍手を受け、フミはとたんに嬉しくなった。視界の先、少し離れたところでも、控えめに拍手が聞こえてきた。手を振り、感謝を伝える。
「ありがとう、やっぱり上手ね。私あまり音楽には興味無いけど、あなたの演奏なら悪くない」
「そりゃどうも」
「バチュルってタイトルの曲があるんだね」
「チルット・エフェクトって言葉があるんだ。今の演奏から曲名、変えた。元々は、チルットの羽ばたきは、ホウエンに大雨をもたらすか、って意味なんだけど」
 フミはその場で座り、アヤと肩を並べる。楽器を肩から下ろして抱えた。
「どういう意味なのよ」
「例えば今日、チルットの羽ばたき一つ起こるとするだろ。その力は、昨日から同じように吹き続けていた風に加わって、風向きがちょこっと、変化する。海を渡るはずだった風はえんとつ山にぶつかって、そこで上昇気流が巻き起こるかもしれない。その上昇気流は、本来集まるはずがなかった風を巻き込み、大きな積乱雲を作るかも。チルットが羽ばたいた翌日にはそれがどんどん巨大化して、雨をもたらす」
「かもしれない?」
「そう、それは誰にも分らない」
「よく分からないけど、運命力とか必然力とか、そういうことに繋がるのかな。気づかないだけで、必然力は信じ続ければ、そこにあるもの。それは、何かのきっかけで生まれるのかもしれない」
「だから、僕は旅に出た。きっかけを自分で作ったんだ。僕はバチュルみたいに非力だから、運命とかいうものにきっと流される。でも、その運命が自分の行動で決まっていくものなら、それはきっと必然だ」
 アヤは「運命力なんて無いけどね」と言いながらも、最後までフミの話を聞いてくれた。すっきりした。なんだか、すごく清々しい気分だ。
「うちのバチュルだって、僕の地元に雷をもたらすかもしれないね」
 名を呼ばれたフミの相棒は、しゃがんだ彼の膝に飛び乗って鳴く。本当にかわいい奴だな。ポケットからポロックを取り出し、バチュルに与えた。



 ホワイトシティに、民家は一件しかない。その家は、彼らに一晩休む場所を提供してくれた。そのきっかけが、フミの演奏だった。自分たちのリクエストに応えてくれたら、部屋を貸そうと申し出てくれたのだ。
「フミ・エフェクトだ」
「そっちがリクエストしたんだからアヤ・エフェクトだろ」
「私は今バトルで上昇気流に乗ってるから、あながち間違いじゃないわ」
 部屋の両壁際に並べられた2つのベッドに、彼らは各々寝転がっていた。バチュルは既に、フミの頭上で寝息を立てている。「その気流はいつまで登り続けるの?」彼はバチュルを撫でながらつぶやく。
「宇宙に行くまでよ」手元の電話で何か操作しながら、アヤは答える。
「果てしないね」
「うん。でも、頑張り続けないと」
 操作が終わったのか、画面のライトを消してからアヤは、深くため息を吐いた。
「強くなれないから」
「今でも十分強いじゃない」フミは優しく反論する。
「本当にそう思う?」
 衣擦れの音が聞こえる。
「思うよ」
「初めて言われた」
 そうなんだ、本当に? 返す言葉を考えているうちに、会話が途切れる。アヤはすぐに寝息を立てた。二人での旅も、いつかは終わるのか、とフミは思った。旅の目的が二人、全く違うのだ。そしてフミは、自分は既に旅の目的を達成したことに気づいていた。今までもこれからも、自分は楽器を吹くんだろう。他人にとやかく言われて腹が立って投げ出しても、それだけは捨てられなかった。自分のアイデンティティなのだ。アヤが言った「変なの」は全くその通りだと思う。それでも自分にとっては、自分の意思を、自由に決めたことが重要だった。
「君は、この物語の主人公を誰だと思う?」
 突然頭に入ってきた景色に、は、っとして目を開く。ライモンで出会った二人組だ。そういえば、ワンダーブリッジでも声を聞いた気がした。またどこかで会ったら、彼に伝えたい。今なら言える。この物語の主人公は、自分だ、と。



「うおおお」
 叫ぶフミ。嬉しそうに鳴くバチュル。サザナミタウンに到着した一行のうち、マリルリはこれ以上ないほどはしゃいで波乗りを楽しんでいた。
「フミ、乗ってみる?」アヤの提案に乗ったのが間違いだったとフミは後悔する。昨日まで何体ものポケモンと対戦して来たマリルリは、疲れもたまっているだろう。しかし、一度回復してしまえば、一瞬でここまで体力を回復するものなのか。科学はすごい。こっちは一晩寝ても眠いのに。彼の思考はそこまででストップする。あとは速度の恐怖と、マリルリの身体のどこを掴めば振り落とされないで済むのか、というスリルとで支配された。
「どう? なかなか凄いでしょ? うちの子」
「うん。もう二度と、ポケモンには乗らないって決めたくらいだ」
 ホワイトフォレストを朝早く出発し、サザナミシティに着いたのは、昨日の夜のことだった。アヤは14番道路で何人ものトレーナーと勝負を繰り返した。圧勝した試合、接戦のち辛勝した試合、シングルバトル、トリプルバトル、野生ポケモンと、トレーナーと。様々な結果を観戦してきたが、未だ、フミはアヤの負け試合を見ていない。宿に入る前「さすがに疲れたね」とは言うものの、ポケモンセンターでバトルに関する雑誌を購入しているアヤに、フミは敬意と、ある意味での執念を感じ取った。

13番道路では、海に向かって下り坂が続く道を歩いた。視界は12番道路と同じように霧で霞んでいて、いつの間にか海が見えていたのだ。ここ14番道路は逆に、今彼らが俯瞰している、この切り立った崖を登っていかなければならないらしい。潮風は依然として東から吹き付けて、朝の陽ざしを受けた波打ち際はきらきらと輝いている。
「私この道来たの初めてなのよね。とてもわくわくするわ」
 山道を見てげんなりしているフミをよそに、アヤは同じ方を眺めて楽しそうにしている。
「今日は私、バトルを我慢する。割とこの先長いから、カゴメまで一気に進むよ」
アヤはモンスターボールから、ニドクインとジバコイルを繰り出した。バトルをしない分、ジョギングをするらしい。主人の指示に、思い思いの反応で答える相棒たち。特にマリルリは耳をぴん、と立てた後、主人の荷物を放り投げて、すぐに海へ飛び込んでいった。その荷物を、黙って拾い上げるニドクイン。リュックを背中ではなく、腹にかけたのは、毒がにじむ背中を避けてのことか。
「僕は自転車で動けばいいよね?」
「あなたはジバコイルの上に乗って。私はあなたの自転車を借りるわ」
 ええ、と思わず声が漏れる。
「二度と乗りたくないってさっき言ったじゃないか」
ジバコイルは浮いている身体をぎりぎりまで地面に近づけ、フミが乗り込みやすいように体勢を取る。彼より先に、バチュルは彼のポケットから飛び出した。身体の上の黄色い突起物の上に駆け上って、キーキーと飛び跳ねる。
「分かったよ。乗るよ、お邪魔しますよ」
 背中に下がっている黒い磁石のような所を伝って、つるつるして冷えたその身体をに触れる。
「靴って脱ぐべき?」
「スパイクがついて無ければ大丈夫」
 足をかけ、黄色い部分へ手を伸ばす。折れたら怖いので、根元の部分を掴んだ。よいしょ、と力を入れ、乗り込む。すぐに、音もなくジバコイルは浮かび上がり、フミの視線は何十センチも高くなった。愉快そうにしながら見つめるアヤと、その後ろで同じように彼らを見上げるニドクイン。
「なんでニヤついてるんだよ! 怖い! 落ちる!」
「よし、行こう!」
 さわやかな風が吹きつける道を、颯爽と進む一行。アヤの自転車の速度に合わせて、ジバコイルは追いかけていく。汗で、手がこれ以上ないというほど湿っているフミも、いくらか移動に慣れてきた。見渡すと、周囲にはポケモンバトルに勤しむ者、野生のポケモン目当てか草むらをかき分ける者、海の方に目を向ければ、派手な水しぶきを立てるマリルリの長い耳が。
広大な大地。ホウエンも諸地方から見れば、原生的、言い方を変えれば田舎だと言われているが、もちろんフミは、自分の足で見て回ったことは無い。キンセツに帰ったら、ホウエンの旅をしてもいいかもしれないな。
目の前には早くも、小高い丘と、整備された階段が見えてきた。


「この先か、この次の階段の先は、行き止まりなの。ちょっとジバコと見てきてくれない?」
 フミが返事をするより早く、ジバコイルはやはり、すっと身体を上昇させ始めた。垂直に近い運動に「いったいどういう仕組みなんだ!」とフミは叫ぶ。足元がどんどん遠くなるが、逆に切り立った崖の上を見渡せるようになった。崖の下には民家とパラソルが見えるが、どうやらそちらは行き止まりだ。更に遠くに視線を向けると、その次の階段を上った先に、白く浮き上がる小さな町が見えた。あっちだ、とフミは思う。
その瞬間、彼は目を見張る。白い町の手前に、木が生い茂った場所が。そのそばに、動きやすく目立つ服装をしているトレーナー達の中、以前ライモンで話した男性と小さな男の子の姿を、彼は確かに認めた。見間違いかもしれない。もっと近づけるだろうか。もし彼らなら、旅の報告をしたい。アヤにも彼を紹介しようか。しかしそこで、ジバコイルの身体が震え始めた。同じような運動の仕方で下降していく。「どうした?」と話しかけるより先に、ジバコイルの身体は、アヤとニドクインの頭の上まで迫っていた。
「偵察は上手くいった?」
「うん。なんか勝手に戻ってきちゃったけど」
「この子、磁石で浮いているだけだからね。地面から近い所でなら人を乗せて浮き続けることが出来るんだけど」
 フミは、次の階段から道が繋がっていることを教える。その先に見えた、白い町のことも。
「その先は見えた? あなたの目的地もきっと見えたはずだよ」
「タイムアップで無理だったよ」
 残念ね、とアヤは自転車をこぎ出す。
「もうこの旅も明後日で終わるわ。明日にはビレッジブリッジに着くよ」
 風に髪をなびかせ、華奢な身体の少女はフミにそう言った。
 

 少し休憩を取っていると、既に太陽は真上から傾き始めていて、一日で一番暑い時間に差し掛かっていた。
「あの崖を越えよう。北に向かって進めば、町が見えるはずだ」
「分かったわ」
 フミが指差した崖に向かって、自転車に乗り込んだアヤは、全速力でスピードを上げる。崖に沿って作られた階段を、一気に駆け上っていく。
「頑張れ!」
「頑張ってるわよ!」
 失速しそうになるところを、後ろから追いかけてきたマリルリとニドクインが支えた。そこで、一番後ろで浮いていたジバコイルは先頭になって、身体の磁石のような部分を自転車に近づける。すると、なんと磁力の力なのか、自転車はそれに引きつくように進んでいったのだ。
「見て、漕がなくても進んでる!」
急激な上り坂の中腹で、両足を投げ出し破顔するアヤ。「傑作だ!」フミも振り向いてスマイルを返す。
「ポケモンって本当に便利だね!」
「自転車も引き付けるなんて、初めて知ったわ! 私自転車持ってないもの!」

 二人で大笑いしながら、一行は崖をぐんぐん登っていく。後ろから、アブソルやゼブライカに乗った見知らぬトレーナーに追い越されても。自転車に乗って崖を下るトレーナーに「何がおかしくて大笑いしているのか」という目で見られても。訳も分からず二人は笑った。本当に、何がおかしいのかわからなかった。ただただ、楽しい。フミは、心底そう思っていた。
 アヤの方も、フミと同じようにそう思っていた。誰かと旅をするのは初めてだけど、こんなに楽しいものだったなんて、知らなかった。ビレッジブリッジに着いてからも、フミはこの地にずっといるつもりだろうか? もしそうなら。
いや、そうなら、何なのだ。ずっと一緒に居るわけにはいかない。でも、連絡を取り合えば、また何度でも会える。きっと、彼はイッシュに居るだろう。私もずっと、イッシュで暮らす。
彼が旅を完結した時点で任務はおしまいだから、この先の選択は私の仕事の範疇じゃないはずだ。今日の夜、フミに聞いてみよう。これからも一生に居よう、って。フミもきっと、同じことを考えているはずだ。
 

崖を登り切った一行は、短く草の生えた草原へとたどり着いた。笑いすぎて、おかしい二人は、深呼吸の後に、目的地に向かってまた進み始めた。先ほどとあまり光景は変わらず、至る所でポケモン同士が、トレーナー同士がバトルをしたり、休憩をしている。フミにとってもそれは、見慣れた光景になった。ホウエンの頃には町と町の行き来をする車越しでしか見たことが無かった光景を、今はポケモンに乗って見渡しているのだ。
 そういえば。とフミは、先ほど見慣れた人影を見つけた場所へと視線を移す。すると。


「地面から離れた場所に居ると、空は近くなります」
 反比例を機械的に繰り返す少年の声。あ、と思いそちらへ向くと、やはりライモンでチップをくれた男性、モンブンと、少年がこちらを見て手を振っていた。木陰で二人並んでいて、モンブンは本を、少年は小さなラジオに耳を傾けている。
「久しぶり。少したくましくなったんじゃないか?」
 背の高く、やはり小綺麗な身なりをしたその青年は、ジバコイルから降りてやってきたフミより先に声をかける。その後ろから、自転車を押してアヤがやってきた。
「それほどでも。こちらがアヤです。僕の旅に付き添ってくれていて」
「どちらさま?」
 微笑んで挨拶を交わすアヤとモンブン。ライモンで出歩いたことをあえて言わずに「イッシュで知り合ったんだ」と話す。するとアヤは、あからさまにいぶかしんだ。
「あなたがイッシュに来てから、私達ずっと一緒だったわよね? いつ知り合ったの?」
「え? いや」
「初めましてお嬢さん。俺はモンブン。こっちは相棒のベルサ。このジバコイルたちは、君のポケモンか?」
 言葉を濁すフミを、モンブンが助ける。ジバコイルに歩み寄った見知らぬ彼を視線で追いかける。おかしい。アヤは直感でそう思う。ホウエンで乗船してからイッシュにつくまで、彼と親しく話したこの年代の男性は居ないはず。降りてから女性と話した現場は目撃したが、その後はスムーズに落ち合って旅を続けているはずだ。咄嗟に連絡用の電話を確認するが、追加の指令は出ていない。どうなっているのかしら。
「マリルリもニドクインも、よく育っているし、よく懐いている」
「過ごす時間が長いほど、一人でいた時間は短くなります」
「僕もそう思います。彼らは僕たちの旅をサポートしてくれました。もちろん、アヤも」
「そうか。疲れただろうから、ポケモンを回復しよう。出張ジョーイが持っている回復装置を入手したんだ」

 フミは相変わらず暢気だ。どこで出会ったのか。宿から抜け出したのかもしれない。アヤは更に質問しようか否か逡巡する。相手の装備も完璧だ。業者に違いない。自分と同じ、何かの業者に属している、そういう人間だ。不安要素とは戦わなければならない。アヤはそれ以外の選択肢を持ち合わせていなかった。
「よかったら、お手合わせ願えませんか?」
 モンブンは「もちろんさ」と微笑んでそれに答える。自分は微笑むことが出来ているだろうか、とアヤは心配になった。
「でも俺、ただのサラリーマンだからバトルってあんまり強くないんだ。その代り、相棒が相手するよ」
「期待されるほど、失望も大きくなります」
「割と自信は無さそうだね」
 ベルサ少年の変わった物言いに、フミは笑う。「サラリーマン?」呟いてアヤは訝しむ。


「そういえば」
 ポケモンの回復を待つ間、フミはモンブンを向いて言う。
「前、この物語の主人公は誰かってモンブンさん言ってたじゃないですか。その意味が分かりました」
「深く考えなくても良いって言ったじゃないか。真面目な奴だな」
「そう言われると、恥ずかしいんですけど」
 苦笑いのフミに、モンブンは「言ってみなよ」と促す。
「この物語の主人公は、やっぱり僕です。もし運命とか必然とか、親とか社会とか。そういうものに縛られていたとしても、少なくとも今、目の前にある行動は、しっかり自分で決めたい」
「ほう」とモンブンは感嘆の声を上げた。
「立派だよ。自分探しのこの旅も、悪くなかったね」
 微笑んでフミを見て言う。「これから、どうするの?」
「アヤと一緒にビレッジブリッジに行ったら、考えます。そろそろ両親も心配しているだろうし、連絡しなきゃ」
「ホウエンに帰るの?」
 モンブンが答える前に、アヤが問う。
「どうしようかな。アヤとの旅もすごく面白いんだよね。君がどう思っているかは知らないけどさ」
「ポケモンの回復が終了すると、疲れは全て消え失せます」
「私もよ」とアヤが言いかけたところで、ベルサ少年がポケモン回復の終了を伝える。
「すまないが、あいにくこっちはポケモンを二体しか持っていないんだ。3対2で行こう」
「それなら、私も二体でいいわ」
「いいや、こっちは君にポケモンをまだ明かしていない。君は三体とも明かしている。そのハンデは平等じゃない」
 有無を言わせぬうちに、ベルサは立ち上がって、戦闘の開始を待とうとしている。
「自分にハンデがあるほど、相手はそれを解消しようとします」
「分かったわ。やりましょう」


 
 相手が何を繰り出すのか。どんな戦略で戦ってくるのか。今まで様々な対策を練っている人間と戦ってきたが、その戦略を掴み取るまではどんな試合でも未だに、緊張する。様々な思考が頭の中に渦巻き、反響し、どの思考が自分を救うのかと考えを巡らす。答えが出るのは、勝敗がついてからだ。
 少年ベルサの手からモンスターボールが投げられた。まばゆい光から姿を現したのは。
「エアームド。よろいどりポケモン。タイプは鋼、飛行」
 少年はポケモン図鑑を読み上げるように、エアームドの説明を始める。この子は、何者なんだ。彼も業者の仲間なのか、利用されているだけなのか。思考するが、それはすぐに中断する。
こちらが先鋒に選んだのはジバコイル。予想以上にいい対面になった。ボルトチェンジを覚えているから、不利な相手に対してはそれを選択すればいい。しかし、今は。
「かみなり!」
 早速、相手に効果がバツグンの大技を繰り出す。命中したか。相手は既にポケモンを変えているだろう。かみなりが落ちたフィールドは地面から砂煙が舞い上がっている。視界が悪い中、相手のポケモンがシルエットを現す。
「ラッキー、タマゴポケモン。タイプは」
少年の声がそこまで聞こえたところで、くっきりとそのピンク色の巨体がその姿を現した。この構成は、受けループだ。ラッキーの図太いような太々しいようなその顔を見て、アヤは一瞬で悟った。これは時間を取られる前に、一気に崩さなければならない。特殊技を受けるポケモン、物理技を受けるポケモン、二つで自分を倒すには十分、ということか。そうはさせない。
「マリルリ!」
気合を込めて、声を出す。ジバコイルの代わりに出てきたアヤのマリルリだ。モンスターボールの光を浴びフィールドに現れ、息もつかないうちに、相手の攻撃を受ける。ラッキーはどこから出てくるのか、不気味な紫色の波動をマリルリに浴びせていた。
「どくどく。相手を猛毒の状態にする。ターンがすすむほど毒のダメージが増えていく」
「気合パンチ!」
アヤの言葉にすかさず突っ込んでいったマリルリだったが、すぐにその相手はラッキーでないことに気づく。既にポケモンはエアームドに交代されていた。相手のエアームドは、こだわりハチマキの両端をたなびかせ向かってくるマリルリの右フックをまともに受ける。
「よし!」
アヤは、こちらに戻って着地したマリルリを激励しながら見やる。耳をぴんと立てて返事の代わりとしているが、よく見ると、丸く小さな手をさすっていた。すぐに相手のエアームドの姿を確認する。小さな頭には、鋭く尖った突起物が付いたヘルメットをかぶっていた。ゴツゴツメットか。
持ち物、技、きほんのき、を抑えているなと思う。既に、もうどくの異常状態になっているマリルリ。このまま居座っても仕方がない。ジバコイルを繰り出そう。まだこちらのサイクルは回っていない。勝算はある。

「ステルスロック。相手の周りに無数の岩を浮かべて、交代ででてきた相手のポケモンにダメージを与える」
 ジバコイルを繰り出してすぐに、翼を翻して現れた鋭い岩が、フィールド上にばらまかれる。やっぱりか、と思った。やるしかない、やるしかないのだ。目の前の相手に勝つこと。打ち負かすこと。それが他でもない自分のアイデンティティだ。
「いけ!」
 既にフィールド上で待機するアヤのジバコイルは、巨体を一度ぐっと主人の方へ下げた。身体に電気をまとい、揺り戻る運動で以て相手に突っ込んでいく。電気技の直接攻撃、ボルトチェンジだ。相手に爆発音と共に攻撃がヒットする。ジバコイルがボルトチェンジの効果によってモンスターボールに戻っていく。それを見届けるラッキーは、かぶりを一つ振って平気そうな顔をしていた。憎たらしい顔をしているな、とアヤは思う。
それと同時に、よし、と彼女は含んで笑った。ジバコイルの代わりに対面させたのは、マリルリだ。このまま一気にラッキーを倒す!
「きあいパンチ!」
「まもる」
 マリルリが魂を込めて叩き込む一撃は、ぱすん、と小気味よい音を立てて現れたバリアによって無効化される。小賢しい! 相手はそろそろポケモンを変えて来るだろうか。こちらも一度下げて様子を見た方がいいのかもしれない。
しかし、マリルリの体力も限界に近いだろう。もうどくの追加ダメージを受け続けているし、次またステルスロックのダメージを受けたら、もう体力は底を尽きてしまうかもしれない。ラッキーはニドクインに任せることにしようか。とっておきの技が一つ、ニドクインにはある。今は確実に交代で出てくるエアームドにダメージを与えよう。アヤは、もう一度、マリルリのこだわりにまかせることにした。
「いけ!」
「地球投げ」
 アヤは驚く。
 速さでこちらの先行を取ろうとしているのか? 確かに気合パンチは攻撃を受けると意味をなさない。種族値的には確か、同じような素早さの値ではあった。まさか、そんな賭けを?
両者がお互い短い手足を振りしきり、フィールドの真ん中でぶつかり合う。


「ベルサは、ラジオが大好きなんだ。特にポケモン講座と、ワザガミさんとかいう人の番組をよく聞いてる。あとは、お笑い芸人がポケモンの育成について面白おかしく議論する番組だな」
 バトルを観戦していたモンブンは、同じように観戦しているフミに言う。
「あいつのバトルの知識は、全てそこから仕入れているんだ」
「本当に変わった子ですね」
 爆発音。砂埃。アヤの鋭い声。何が起こっているのかわからないが、今まで見てきたバトルよりも凄まじい。すごい戦いをしている、ということだけは、彼にも分かった。
「反比例というか何というか、そういう言葉を使う方が難しい気がするんですけどね」
 確かにそうだ、とモンブンは笑う。


相手のラッキーが立っている。更に追い打ちをかけるかのように、先ほど受けたどくどくのダメージがマリルリに蓄積した。
「レベルが高くなるほど」
 対戦相手の少年が口を開く。
「受ける攻撃のダメージは低くなります」
「分かってるわよそんなこと!」
大声を出してしまってから、すぐに反省する。冷静にならなければ。レベル差による素早さの違いを思い知る。奥歯を噛みしめ、悔しさを殺す。相手の二体のレベルはどれほど高いのか。ハンデを自ら受け入れるということは、よほど自信があるということか。いや、こちらもそこまで変わりはないはず。
マリルリは一度戦闘から離そう。このままでは、相手のまもると攻撃で完全にこちらのきあいパンチが無効化されてしまう。すぐにモンスターボールを入れ替え、出てきたジバコイルは、漂う尖った岩にダメージを受けた。
そこでラッキーは、自らの身体に抱えていた卵を、そのポケット引っ張り出した。小さい口からはとても想像がつかないほどに大きな口を開け、それを丸呑みする。タマゴうみだ。回復技を選択されてしまった。ここからまた体力を削っていかなければならない。挫けるようなことが、あってはならない。自分が勝つことが既にこの物語のシナリオとして描かれているんだ。相手のレベルなんて関係ない。力で押し切る!
ジバコイルに、かみなりの攻撃を命じる。しかし、それは相手のまもりによって無効化された。だめだ。やはり、ラッキーを倒すには火力が足りない。しかし、そろそろ相手も回復技を使ってくるだろう。その隙を狙えば、気合パンチを確実に当てることが出来る。すでにまもる攻撃を打ったラッキー。続けて同じ技を出すことは出来ない。次のターンでもタマゴうみをするだろうか。それとも、エアームドに変えて来るだろうか。ニドクインを今出すべきか。相手はどう行動をとってくるか。間違うわけにはいかない。

「キズくすりで体力を回復すると、1ターンを犠牲にします」
「え?」
 能面顔で少年が、アヤに聞こえる声で言う。
「体力回復したらどうだ? って言ってるぞ!」
 外野からモンブンの声が聞こえてきた。こちらに手を振っている。屈託ない笑い方が、アヤの闘争心に燃える心を煽る。
回復? キズぐすり? 今まで自分が回復系のアイテムを使う試合なんて経験、アヤはしたことも無い。なぜ? 使わなくても、大丈夫。使ったらもうその時点で負けだ。勝算は捨てない。まずはこのラッキーを片付けよう。こちらが選択できる技は、一つだけだ。相手のラッキーは腹に抱えた卵を、大事そうに手で押さえている。回復技を選択するだろう。
私の選択は、もう一つしかない。タマゴうみも、相手の首元に光っている輝石も、全くの無意味なものになるだろう。
「ボルトチェンジ!」
 ジバコイルに代わって現れたのは、筋肉質でむっくりとした身体、ニドクインだ。相手のラッキーは、いつの間に出てきた新しいたまごを、暢気にむしゃむしゃ食べている。
やはり回復技を選択してきたか。余裕があるのか、初めて対面したニドクインを見ても、相手の少年は顔色一つ変えない。しかし口元は小さく動いている。ニドクインの説明文を呟いているのだろうか。
もう、ここで勝敗を決めることにしよう。アヤは覚悟を持って攻撃を指示する。
「いけッ!」
 ニドクインの鼻先に申し訳程度についている角が、熱を帯びる。その膨大なエネルギーで視界が揺らぎ、烈々としたパワーをその背中から受けるだけで、立っているのもままらない。どんなポケモンでも一撃で戦闘不能にするその技を仕掛けるニドクインは、相手のラッキーに凄絶な勢いで突っ込んでいった。


「うおお!」
 フミは思わず飛び上がる。フィールドから発せられる熱波が、そこからだいぶ離れた場所に居る彼らにまで届いていた。バチュルもキーキーと警戒し、すぐにフミのポケットに隠れる。
「つのドリルだね。一撃必殺技だ。ラッキーにクリーンヒットしてる」
 モンブンは欠伸をかみ殺して言う。すぐにフィールド上に広がっていた、もやのような砂埃のような幕が上がり、戦闘の様子が再度見えるようになった。ラッキーは倒れていて、そこにはエアームドが居るはずだ。一撃必殺技くらい、フミも知っていた。相手が一撃で戦闘不能になる技だ。
 しかし。
「あれ?」
 そこに立っていたのはラッキーだった。アヤの姿はフミが居る場所からではいまいち確認できないが、まだニドクインに指示を出していないのが分かる。
「レベルが違いすぎるんだ。当たっても、攻撃側のポケモンのレベルが低ければ効果は無い」
 しばし立ち尽くす遠くのアヤは、少年を睨みつけている。



 アヤとニドクインは、故郷のカロス地方で出会った。アヤの姉が「弱いから、いらない」と言って彼女に譲ったのだ。当時アヤは幼く、ニドクインもまだニドランだった。
「あなたは弱くないはず」
そう言い聞かせながら、長い時間をかけレベルアップしていった彼女たちは、成長するにつれ、自分よりレベルが高い相手と遭遇する機会が減っていく。
だから、アヤは一撃必殺のこの技を迷いなく打った。自分のレベルの方が高いはずだと勝手に思い込んで、それ以外の可能性は頭の片隅にも無かったのだ。これは傲慢なのか。過信なのか。
 この展開は予想もしていなかった。一撃必殺が外れることはあり得たかもしれないが、そもそもの効果が無い状況だったとは。いや、外れることはありえない。必然力を彼女は信じているのだ!
 次に対面する組み合わせはどれだ。ツノドリルが不発に終わったニドクインのメンタルは、次の攻撃に影響するかもしれない。ジバコイルの体力的はまだ大丈夫だろうが、マリルリの体力が危ない。相手が回復技を打ってくる前に、少しでも多く体力を奪い取りたい。次の攻撃を、不発に終えるわけにはいかない。
「ヘドロウェーブ!」
 これは賭けではない。確実に、ラッキーに命中する。エアームドが受けることなど、あってはならない。しかし、その攻撃を受けるシルエットは――。


 
「アヤ!」
呆然とフィールド上の一点を見つめていたアヤに、フミが駆け寄ってくる。は、と気づくと、既にバトルで舞い上がっていた砂埃は消え失せて、戦闘不能になった、ニドクインが倒れていた。
勝負に、負けたのだ。
すぐにモンスターボールにそれを収め、噛みしめていた唇を更にきつく結ぶ。フミの前で負けたくない。アヤはその顔を見て思い出す。フミには負けた姿を見せたくないのだ。惨めで、弱く、ぼろぼろの自分を。アヤは強いよ、と言ってくれたフミは今、自分を見てどう思うだろう。
一撃必殺技をニドクインに覚えさせた自分は愚かだ。せめてだいもんじを入れていれば、やけど状態にできたか。技を覚えさせたあの時間があったなら、もっとレベル上げをすることもできたはず。悔しい。惨めだ。どうして勝てなかった。
「フミ」
 後悔ばかりが頭を過る。頑張ったね、負けちゃったけどやっぱり強かったよ、そんな言葉を言われるのは、今の自分には辛すぎる。今はそっとしておいてほしい、と彼に言おうとする。
「怪我はしてないか? キズぐすりとか持ってるの? もちろん人間用の」
「え?」
しかし、帰ってきた言葉は予想外のものだった。自分の身体を心配してくれているのか。砂と長短様々な草の汚れを、フミは立ち尽くすアヤの代わりに取り払う。
「あ、あの」
「今は休んだ方がいい」
 アヤの前には、モンブン青年と少年が並ぶ。
「反省点も色々あるだろうが、今は休んだ方がいい。俺たちはもう帰るよ」
「日が暮れると、空は暗くなります」
 バトルを始めた頃はまだ見上げる位置にあった太陽は、既に陰りを見せていた。並ぶ木の影は濃くなり、虫のさざめきが辺りに響く。待って、話を聞かなければならない。あなたたちはいったい何者なのか。アヤが知らない所でフミと親しくなり、ポケモン回復の装置を持ち運んでいる、バトルの手練れ。何のために現れたのか。何のために自分を打ち崩したのか。
 しかし、今のアヤに、そんな体力は残っていなかった。



 アヤとフミが出会う、少し前のこと。
「今回担当してもらう青年の名前はツワブキフミ様。ご依頼内容は、イッシュの地を歩く彼を、目的地までサポートをすることです」
派遣会社のエージェントは、短くアヤにそう伝えた。ブラックシティの一角にあるカフェは、カフェと呼ぶにはおこがましいほどに殺風景だ。出された紅茶には、手を出すまいとアヤは思う。
「情報は記載の通りです。目的地は今のところ不明なので、まず本人に聞いてみてください」
 目の前に置かれた紙を見やる。学生。18歳。手持ちポケモンの情報無し。任務遂行中、一日一度エージェントに連絡を入れること。報酬は本人の無事を確認次第すみやかに支払われるものとする。同い年なんだ、とフミは思う。どんな子なんだろうか。
「あの、私女ですけど。ターゲット、男性なんですか?」
「依頼人からは特に性別の指定はありません。ただ、近しい歳であることは希望されています。本人は今日午後ヒウンに着く連絡船に乗ってきます。船上では誰とも接触していないようですので、すみやかに彼と合流してください」
 アヤが故郷のミアレからイッシュに来た理由は、ここブラックシティにあった。カロス地方は美しい地方として知られており、お金を払えば何でも買えるような、ある意味で自由度の高い場所は全て無くなってしまっていた。様々な道具を揃えたり、ハイリンクへ渡ったり、同じように強さを求める者と知り合ったり。ヒウンに次ぐ摩天楼都市は、何かを求める人間に寛容すぎるほどの都市だった。
 もちろん、仕事もすぐに仕入れることが出来た。アヤが業者にかかわったのは、今回が初めてだ。探偵、調査、刺客役、ボディガード、ありとあらゆる人材を集める、こんな真っ黒な会社は、果たしてカロスには存在するのだろうか。
「尚、あなたにも守秘義務が存在します。依頼人、その他人間には他言無用です」
「分かりました」
 では、と言い残してエージェントは席を立つ。アヤも立ち上がった。上手く、ターゲットと落ち合わなければならない。



「フミは、もう少ししたらホウエンに帰っちゃうのよね?」
 長いバトルを終え、カゴメに着いてから二人は、さながらカビゴンのように眠った。二人で笑い転げながら踏破した13番道路での疲労に加え、激しいバトルをし、それを観戦した二人には何の体力も残っていなかったのだ。フミが朝目を覚ますと、既にアヤは身支度を整えていた。
「まるで帰ってほしくないみたいだ」
 問われた彼は困った声色でアヤに返す。「寂しいわ」とアヤは返した。
自分はターゲットに何を甘えているんだ。叱咤する気持ちもあるが、本心なんだから、という気持ちが先立った。一緒に過ごした時間が少し楽しかったからって、少し頑張りを認めてもらっただけで、少し心配されたからって、「強いよ」と言い切ってくれたからって。
「そりゃ、僕も寂しいよ」

 もうアヤは涙が出そうだった。初めて自分を強いと言ってくれた人。バトルの結果よりも自分の身体の心配をしてくれた、優しい人。離れるのは辛かった。もし、あのバトルの後彼が居なければ、自分は立ち直れていなかった。
そしてアヤは、フミを羨ましくも思った。家に帰る場所は無い。父が経営するホテルの一つ、ショウヨウに居るメイドはまだ働いているだろうか。何の取り得もない私を、彼女は妹のように可愛がってくれた。彼女が何気なしにくれた贈り物を、今でも彼女は大切に持っている。
またイッシュで、新しい仕事を探しながら、バトルの修行をしよう。それを伝えようとしてフミを見る。彼もまたアヤを見つめていた。
「アヤも、カロスに帰るんだよ」
「私も? なんで?」
「危険な街に、アヤを置いては帰れない」

フミは、驚いて返したアヤの言葉に、真面目な顔でそう言った。アヤはあからさまに動揺している。
「意味が分からないし、私は大丈夫よ。ブラックシティに行ったことが無いから分からないんだわ。街にも慣れたし、バトルを教えてくれる先生だっている。バトルにあんな負け方して、家に帰るわけにはいかないの。家にも、居場所があるわけじゃないし」
「家に帰れとは言わない。安全な所に居てほしいだけなんだ。確かに支離滅裂だけど、でも、だめだ。僕は君が何を信じているのかは知らない。なぜ強さに固執しているのか分からない。だけど、少なくとも危険な街で一人で暮らす君を置いては帰れない」
 フミは決めていた。自分の言いたいことは、それが叶わなくとも伝えたい。それを教えてくれたこの旅を、支えてくれたアヤの力になりたいのだ。
「私が、負けたからそんなこと言うの?」
一瞬の間を置いて、これ以上ないほどに悲しい声を出すアヤを、フミは否定する。
「違う! 君が好きだからだ! アヤが大切な存在になったから!」
言ってしまってからフミは、とたんに恥ずかしくなった。誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「家の事情、よかったら話して欲しい。一生聞いていられるから、これからは僕を頼ってほしい」
 アヤは何も言わず、火照った顔を俯けている。
自分の我儘を押し付けているのも分かる。申し訳ない気持ちもフミの中には少なからずある。でも、フミは繰り返す。
「僕一人でも、君一人でもきっとだめだ。二人で乗り越えよう。帰ろう、それぞれのふるさとに」

――

「社長ってイッシュ行ったことあるっすか?」
 チャラチャラした喋り方の青年は、目の前に座る相手に問う。応接用のテーブルに向かい合う男は「一度だけあるよ」と返す。
「仕事っすか? ブラックシティ気になってるんすけど俺、一回も言ったこと無いんすよね」
ここは、どこかの地方の首都の街。社長と呼ばれた男が事務所を構える、この雑居ビルは狭いながら小綺麗だ。しかし、日当たりは最悪だった。イッシュでの仕事の件を聞かれた社長の男は、記憶の糸を引っ張り出す。それは細く、脆いものだったが、幸いイッシュでの唯一の仕事だったので、だいたいのことは思い出せた。
「カロスの家出娘を連れ戻して来いって依頼だったんだよ、確か。ホテルチェーンオーナーの娘の一人で。俺が調べたら、ブラックシティに入り浸ってた」
「女一人で?」「そう」短い受け答えをする。しかも、マニアックなバトル理論系セミナーに金をつぎ込んでいたこと、しかも自分たちのような業者から仕事を請け負っていたことを話す。
「で、いつもみたいにバトルで打ち負かして、一度家に帰りなさい! って言ったんすよね」
「そうは言わないけどな。まあ、そんなもんだ」
 社長の男はそう返して、しかしそうではないとも思っていた。打ち負かした後、普段であれば再度現れ、諭し、家に帰るまで見届けるのが仕事の常なのだが。彼女は、確かアヤというターゲットはそれを経由していない。一緒に旅をしていた青年と過ごした後、何日か後、ひと月以内にはすんなりとカロス行きの列車に乗り込んだ。
 その後、依頼主である両親からは報酬が振り込まれていたので、任務としては成功だった。強さへの執念という先が見えない深い闇の先を、どうして彼女は潔く諦めることが出来たのか。まあ、今となってはどうでもいい話だ。

「そんなことより、社長、シーキンセツって知ってます?」
「仕事の話か? 知らないな」
「この夏は、ホウエンに行こう! うっきうきの大冒険が、始まるよ!」
 社長が答えるよりも早く、デスクでラジオを聞いていた少年がそれに答える。それから、何かのコマーシャルと思しきメロディを口ずさみ始めた。
「それそれ、坊ちゃんさすが知ってるね」
「ホウエン? 行ったこともないし、そんな場所は聞いたことも無い」
「最近解放されたんすよ。今までただのすてられぶねだったらしくて。観光名所に押し上げたって。こっちでもすげえ宣伝してますよ。旅行も兼ねて、お願いします!」
 
社長と少年が事務所のある街から空を飛び、波乗りをしてはるばるシーキンセツに着いたのは、その翌々日のことだった。少し離れた浜辺の上からでも、船内は既に込み合っているのが分かる。しばし休憩を取ってから、彼らは乗船した。
 船内は、船が何かの影響で沈没し、斜めの状態になってそのまま放置されていた。船の半分は水に浸かり、腐りかかっている。これが観光名所なのか。この船の探検は果たしてバカンスか。自分とホウエン人とは趣味嗜好が合わないらしい。
「船は水に浮くと進みますが、沈むと進みません」
「そうだよなあ」
戯言を言っていると、社長のポケットから、電話が音を立て始めた。取引先への到着の報告を留守番電話に残したので、その電話の折り返しだろう。
「お疲れっす! すみません、ちょっと追加の依頼いいっすか?」

男から説明されたもともとの依頼の内容はこうだ。「このシーキンセツに、ホウオウが立ち寄ったらしい。何か起因するものがあるかもしれないから、調べて欲しい」
取引先の若い男は古物商を営んでおり、伝説にされていたり、希少度が高いポケモンの道具を主に扱っていた。社長と少年は、基本頼まれればどんな依頼でも受ける。以前は偽名を使い、バトルで相手を打ち負かす、という仕事が多かった。今は専ら情報収集などの雑用が多い。幅広く仕事をこなすことが売りの小さな事務所だが、しかし。探し物となると話は別だ。その仕事は、ものひろいの能力を持っているポケモンに頼むべきだろう。
「また別の探し物か? 聞いてから考える」
「申し訳ないんすけど、ついでで赤い糸っていう道具を探してほしくて。なんか最近になって、ポケモンに持たせてタマゴを産ませると、親から条件を遺伝しやすいことが分かったみたいなんすよ。今はただのカップルのアクセサリーになってるんで、手元に置いといて後で売りさばきたいんすよね」
「俺達はいつマッスグマになったんだ」
「そこを、何とかお願いしますよ~!」
「まあ、善処はするが期待するなよ」
その時だ。
社長の目の端を、ラブラブカップルがいちゃいちゃしながら通り過ぎていくのが見える。

そもそもあかいいとなんて、カップル全員が持っているわけない。持っていたとしても、どうやって手に入れるのか。強奪するのか? それは自分のセオリーの範疇を越えている。
不満を思い浮かべながらカップルを見やる社長の男。まずは目視で確認するしかない。
その視線に気づいて彼は、こちらを見やる。そして、社長とその隣の少年を交互に見やり、なぜか心底驚いた顔をした。
「あなたって」女もこちらに気づいたようで、目を丸くしてこちらを見ている。
ペアルック、お揃いのブレスレッドは、あかいいとか? 目当ての物は見つけたが、しかし彼らの驚いた意味が分からない。どこかで会ったことがある? 客か、ターゲットか。
 ふと、視線をそらした相手男性のポケットから小さな何かが飛び出す。全世界の中で一番小さいポケモン、バチュルだ。男性の頭の上に飛び乗ったそれを見て、社長の男は、彼らの事をようやく思い出した。
「まさか、お前さんたち、イッシュの子か?」
「再開までの時間が長いほど、記憶は薄れていきます」
「やっぱり!」二人は嬉しそうに、大きな声を上げる。彼らはお互いに顔を見合わせて、モンスターボールを取り出した。

「ポケモン強くなったんだよねー!」
「勝負して負けた方が、諦めることにしない?」
 ラブラブカップルのアヤとフミが、勝負をしかけてきた!