タワータイクーンへさよならを

前田凪琴
テーマB:「ふじ」

「ぼくは……こんなところで死ぬわけにはいかない」

 ビーチの波打ち際。独りの子供が倒れ込み、口から少なくない量の血を吐いて、前へと進もうともがいて叫ぶ。ビーチの背後にはやたら大きく病院がそびえ立ち、彼女は檻に収容されることを嫌う獣のようにそこから逃げようとしていた。ライラック色の短髪が泥にまみれるが気に留めることも出来ず、どこへ逃げる先があるのかもわからなかった。彼女が逃げたいのは、この世界そのものだった。忘れてしまったあの世界へ、帰りたかったのだ。

「ぼくの才能を、あの塔が……みんなが、待っているんだ」

 その子供は、あの塔が何なのか。みんな、が誰のことなのかわからない。どれだけ記憶をたどっても思い出すことは叶わない。それでも絶対の確信と決意をもって叫ぶ。

「才能は、示さなきゃ意味がないんだ。こんな世界で……死んでたまるかあぁあぁあぁっ!!」







「……また、あの時の夢を見たんですね」

 アローラ地方にあるコテージ。そのベッドで国際警察特務機関UB対策本部部長であるリラは目を覚ました。体に汗をぐっしょりとかき、湿った髪が肩を撫でる。時計を見ると、いつもより少し遅い時間だった。とはいえ急ぐ理由もなく、シャワーを浴びてから鏡の前に立つ。
 髪をまとめる。この世界の人間ならリラの髪を藤色と表現するだろう。黒いスーツに身を包みんだリラは、誰がどう見ても立派な社会人の女性だ。夢の中の自分とは、違う。
 昔の、この世界に来たばかりのリラは記憶をなくしていた。自分の名前と出身地。バトルの才能、塔を守ることで己の才能を示していたことだけは忘れなかったが、自分の名前の由来が向こうの世界ではライラック色と呼び、それを別の言語に置き換えたものであるということや。ホウエン地方の地形、塔の名前や才能を認めてくれた相手のことは思い出せない。国際警察が自分を保護し、UBの対策に充てるつもりだと知ってなお、それを受け入れず。この世界にあの塔がないならせめて己の才能をポケモンバトルの世界で発揮しようとした。

 だが、それは叶わなかったのだ。才能が衰えたのではない。ポケモンバトルと言うのは人間は指示を出しているだけの様でいて、複数のポケモンを操る統率力、相手の動きから次を予測する洞察力、自分の戦略を通す頭脳と判断力が求められ、そのために必要なエネルギーの消費は決して軽いものではない。モータースポーツによるレースはマシンを操縦するだけで自分が走るわけではないが、プロの世界では一試合で体重が1キロ以上減ることも珍しくない。それと似たものと思えばいい。
 ウルトラホールを通る際に未知のエネルギーに晒され続けたリラの体は、その戦いに耐えられるものではなくなっていたのだ。本気を出せば、ポケモンよりも自分の身が耐えられなくなっていたのだ。
 メガシンカやZ技。知らないバトルの要素が多い子の世界でもリラには溢れんばかりの才能があった。でもそれを使いポケモンバトルの世界で生きることが出来ないのだ。それに絶望した自分はよく病院や保護施設を抜け出し、自分の体が動かなくなるまで戦ったり逃げようとしたりしていた。

「……朝ごはんを頂きに行きましょうか」

 未練がないと言えば嘘になる。だがもう自分はそれを受け入れると決めたのだ。近くのレストランに行くと、食後のコーヒーを飲み終えたハンサムがいた。彼はリラの部下(という名のお目付け役だが)であり、今はまだお互い休暇中である。

「おお、今日は少し遅かったな」
「はい。……少し、夢見が悪くて」

 リラの答えにハンサムは意味を察したのであろう。そうか、というつぶやきの後、咳払いをして言う。

「……このアローラでの休暇もあと一日だ。やはり今日も、あの塔に行くのかね?」
「ええ。……大丈夫です、子供の時のような無理はしませんから」
「わかっているよ。君は成長した。いや……この現実を、受け止めてくれた。そのことはよく知っている。残り3日、悔いのない休暇を過ごしてくれたまえ」
「はい!むしろハンサムさんこそ、忙しくなるんですから。食い残すことがないようにしてくださいね?」
「はっはっは!!これは一本取られたな。では私は行くとしよう!」

 ハンサムのアローラ休暇での主な楽しみは美味しいものの食べ歩きなのだ。時々無茶な量を食べて苦しそうにしていることがある。リラは休暇の半分くらいはバトルツリーに行って、仲間とのバトルを楽しんでいるのだった。あの施設は、かつて自分が守っていたはずの塔と似ている気がする。

 バトルツリーに行って、今日で最後となるであろう挑戦をする。6体の手持ちから3匹を選出し、バトルをしながら塔に昇っていく。

「カビゴン、『捨て身タックル』です!」

 丸いの巨体が相手のポケモンを押しつぶし、勝負を決める。本気を出して戦うことに制限のあるリラはポケモンバトルをある程度自分の手持ちに任せて、必要な時だけ指示を出している。それでも十分だった。本気を出せば世界中から強者の集うこの場所で誰よりも強いのではないか――そんな想像がよぎったが、もう考えても仕方のないことだと頭を振る。
 次の相手、次の相手と昇っていくと、ここで止まるように運営のアナウンスがあった。どうやらもう一人の挑戦者と戦ってほしいらしい。

「やはり、あなたでしたか」

 自分より後で挑戦したにもかかわらず追いついてきた少女は、アローラのポケモンリーグチャンピオンだった。階段を急いで登ってきたのだろう。肩で息をする姿はとても子供らしく、可愛らしい。

「もうすぐリラさん帰っちゃうってハンサムさんに聞きましたから、ここにいるかなと思って!さあ、バトルしましょう!」

 息を整えボールを付きだし宣言する。リラは少し沈黙した。恐らく、これが彼女と戦う最後の機会だからだ。どうせなら、悔い残すことがないバトルにしたい。

「ミヅキさん。少し提案があるのですがいいですか?」
「なんですか?」

 少女は目を輝かせている。彼女はポケモンバトルの時本当に楽しそうだ。彼女には才能があり、それを十全に発揮できる体があり、それを賞賛してくれる仲間がたくさんいる。……羨ましいという気持ちは、やはりある。だからこそ。

「ミヅキさんは、いつも全力でわたしと戦ってくれました。……だから最後に、わたしも全力を出してみてもいいですか?」
「……大丈夫ですか?」
「ええ、きっとなんとかなるでしょう」

 思案する少女。リラの体のことは恐らくハンサムやクチナシが伝えているはずだ。だから全力を出す、と言うことの意味についても想像がつくのかもしれない。考えた後、少女は笑って言った。

「でもダメです。全力じゃなくて、ゼンリョク!それがアローラのバトルですから!!」
「……ふふ、そうでしたね。では、ゼンリョクで戦ってみましょう」

 お互い使用ポケモンは三体。本気で才能を発揮するのはこの一戦だけ。それでも不安要素はあるが――この機を逃せば、一生後悔する気がするのだ。後でハンサムに怒られクチナシに呆れられてしまうかもしれないが、それも思い出になるだろう。
 お互いフィールドの端に立ちモンスターボールを構える。リラは瞳を少しの間閉じ、感覚を集中させた。UBの保護に対処するときのように、全神経を目の前の相手に張り巡らせる。視界が冴えわたり、レフェリーの存在もバトルツリーの葉が風に揺らされる音も脳には入らない。

「では行きますよ!頼みますライコウ!」
「出てきてカプ・コケコ!!」

 天から雷鳴が落ちたような咆哮と共に現れる雷の化身と、登場しただけでフィールドを電気の走る場に変えるアローラの守り神。どちらも地方の伝説と伝えられるポケモンであり、それを悠々と操る二人がただものではないことは素人目にも明らかだ。
 そんな強力なポケモンを従える二人の次の行動は、全く同じだった。

「戻ってライコウ!」
「一旦下がって!」

 お互いに伝説級のポケモンを引っ込める。そして別の手持ちを出す。

「頼みますカビゴン!」
「いっけえガブリアス!」

 丸い巨体と、蒼き竜がフィールドに出る。お互いの手の内をある程度知っていて、かつそれを読み合ったうえでの動き。ミヅキがガブリアスを出した理由は簡単だ。ライコウはカプ・コケコに対してそれほど有効な技を持っていない。一方カプ・コケコはフェアリーの技である程度強気に攻められる。カプ・コケコのフィールドで電気タイプの技の威力そのものは上昇しているため電気技で攻撃しつつ交代する『ボルトチェンジ』が来ると読んで地面タイプのガブリアスを出した。
 リラはライコウを見たミヅキの反応からそれを予測した。なので電気技を使う選択肢は一旦切る。ガブリアスはミヅキが勝負でよく使う非常に強力なポケモンだ。電気技以外の技も覚えさせてはいるが、交代に対して一発、さらにその後先生出来たとしても倒しきれる確率は低い。ならば、出てくるであろうそれに対して有利に立ち回れるポケモンに移し替えるほかない。
 この読み合いが発生しボールに戻すまで、わずか一秒の攻防。二人は更なる指示を出す。

「ガブリアス、任せるよ!」
「カビゴン、『守る』!」
「……!」

 命を受けたガブリアスが大きな体で音速に近い速度の突進を叩きこむ。それをカビゴンはアメフトのタックルを受け止めるラインマンのように真っ向から受け止めてダメージを防いだ。ガブリアスが鋭い腕を暴虐の限りを尽くすように振り回しても、カビゴンは普段の緩慢さからは想像もできないほど巧みに自身の柔らかな腕で弾いていく。その激闘を見つつも、ミヅキは驚く。

「『剣の舞』を持ってるガブリアスに『守る』を決めるなんて……」
「ゼンリョクを出すと言いましたからね。体を所定のリズムで舞わせることで攻撃力を高めるのと、力の限り暴れまわるのでは予備動作も違ってきます。それを見切れば、トレーナーが指示を出すのを聞かなくても事前に察することは可能です。カビゴン、厳しいですがもう一度『守る』!」

 もし読みを外しカビゴンが守りを固めている最中にガブリアスに『剣の舞』を決められればそれだけで勝負は決まっていただろう。だがリラは迷わず自分のバトルへの才能を信じた。相手の攻撃をひたすら凌ぎ続けるのはリスクが高く失敗する恐れもあるが、『逆鱗』にも相応のデメリットがある。攻撃中はトレーナーの指示を聞き入れることが出来ず、それが終わった後は混乱してしまうのだ。

「カビゴン、『捨て身タックル』!」
「ガアアアアアッ!!」

 混乱直後の隙をつき一転攻勢。逆にタックルを仕掛けたカビゴンがガブリアスの体を押し倒しプレスする。ガブリアスが怒号の叫びをあげた。更にカビゴンが飛び上がり、プロレスのフィニッシュのように巨体を上からたたきつけようとして――

「負けないよ!ガブリアス、もう一度『逆鱗』!」

 天井を見上げる体制のまま、ガブリアスが腕の鎌を振りぬく。それは落下するカビゴンの腹を直撃し、意識を刈り取った。だが、結果として巨体が降りかかる状況は変わらず、押しつぶされて気絶する。両者戦闘不能だ。鎌による一撃だけでなく特性の『さめはだ』もわずかだが体力を削っていたのが効いた。リラもミヅキもねぎらいの言葉と共にボールに戻し、次を出す。

「お願いします、ラティオス」
「いくよギャラドス!」

 青白の竜という意味では似ているとも言えなくない二体が登場する。だが出た直後にお互いの姿がリラとミヅキの持つ石と呼応してそれぞれの戦闘スタイルへ変化していった。メガシンカだ。

「ラティオス、『ドラゴンクロ―』!」
「ギャラドス、『龍の舞』!」

 紫色のジェット機のようになったラティオスが己の翼から念力を噴射させて近づき己の腕で切り裂く。それを食らいながらも体を膨張させ力を蓄えたギャラドスが、鯉の滝登りのように上昇しながら舞う。

「これでスビートとパワーがアップ!しかもメガシンカする前の『威嚇』でラティオスの攻撃力は下がってるよ!」
「ギャラドスが悪タイプで無ければ『思念の頭突き』で怯みを狙えたのですが……」

 あるいはラティオスをライコウに変える手もあったが、それは得策ではないとリラは踏んでいた。ミヅキのギャラドスは『地震』を覚えている。ラティオスの特性はメガシンカ前後問わず『浮遊』であり地面タイプの技は飛んでこないと思うかもしれないが、メガギャラドスの特性は相手の特性を無視する『かたやぶり』なのだ。ラティオスと対面した上で交代をケアするために『地震』を打つ可能性は低くない。エスパータイプのラティオスと悪タイプを持つメガギャラドスの相性も良くない以上、先のカビゴンのように相手を見てから動くのでは遅い面もあった。本当に、ミヅキの選出には隙が無い。

「さあ、『噛み砕く』よ!」
「ラティオス、右に躱して『ドラゴンクロ―』!」

 襲い来るギャラドスに対しフィールドを高く使って飛行し、ドッグファイトのように相手の牙を避けながら自らの爪をぶつける隙を伺うラティオス。だがここで『龍の舞』が効いた。ギャラドスの速度がラティオスを上回り、己の牙でラティオスの片翼に噛みつき、そのまま振り回して最後は地面に引きずり下ろした。

「……お疲れ様でした」

 残りのリラの手持ちは一匹のみ。追い込まれたが、そのことに焦ることなどなく、自分の才能とポケモンを信じて戦う。ある種の傲慢。かつてのリラが当たり前のように奮っていた、強者の意志。忘れた、いや自分の体の状況を理解し封じ込めた自分をさらけ出すように命じる。

「……ライコウ、ぼくの才能をこの塔に証明しろ!!」
「ギャラドス、『地震』!」

 バトルに集中するミヅキはリラの口調が変わったことに反応しない。今の状況はもっと差し迫っているからだ。メガギャラドスが地面を尻尾で思い切り叩き衝撃波を起こそうとする。それが撃たれれば雷の化身たるライコウでもひとたまりもない。だがその動きはリラにも読めている。敢えて上空へ逃げたラティオスを捕らえるために自身も高く浮いたギャラドスが衝撃波を起こすにはラグがある。そのわずかな時間でライコウは尻尾に狙いを定めうつ!

「『十万ボルト』!!」

 地面を叩こうとした尾から伝わった電流が体全体にながれ、ギャラドスの目から光が消え倒れる。ミヅキはボールを戻し、最初に出したカプ・コケコを呼び出した。また電気のフィールドが張られ、奇しくもバトル開始直後と同じ状況になる。

「っ……!」

 リラの頭の中に、氷のナイフを突き刺したような痛みが走る。今までの戦いで巡らせた思考は、どれも秒に満たない間のやり取り、バトルの状況変化に絶えず思考をフル回転させるほどの力を使えば、大量にウルトラホールのエネルギーを浴びたリラの体はもたない。それでも、この瞬間が心の底から──

「楽しいですね久しぶりに……何も考えずただ戦うことができるなんて……さあ、始めましょう!」
「うん、負けないよ!『マジカルシャイン』!」
「『十万ボルト』です!」

 守り神の放つ威光と、雷の化身が放つ雷光が交差しお互いの体にぶつけ合う。ここまで来たら小細工は効かない。徹頭徹尾、ゼンリョクを出し切るしかない。その考えが一致したのか、最後の一撃は同じだった。


「「『スパーキングギガボルト』!!」」


 バトルツリー中の天地人に響かせるような凄まじい雷撃が放たれた。ぶつかり合い、火花を散らすという言葉すら生ぬるいほどの電圧が無限にショートでも起こしたように弾け飛び、リラはライコウを見守る。数秒に満たない拮抗が、頭の中が爆発しそうな激痛に苛まれながらも永遠に続けばいいとさえリラは思った。















「……そろそろ搭乗時間ですね」

 翌日、リラはアローラ地方の空港で国際警察の本部へと帰るための空港にいた。あの勝負、Z技のぶつかり合いに勝ち、勝利を手にしたのはミヅキだった。ぎりぎりの勝敗だったが、強いて理由を述べるならば電気技の威力を増す『エレキフィールド』はライコウではなくカプ・コケコの領域だったところによるのだろう。あるいは、もっと前の時点で更なる最善手があったかもしれない。でも、もうそれはいい。

「……ありがとうございました、ミヅキさん」

 彼女はここにいない。話すべきことはあの後話した。自分の才能を振るえず苦しんだ過去。今は受け入れUBの保護に全力を尽くすことに躊躇いはないけれども、どこか燻っていた自分の心が、やっとすっきりした。自分より優れた才能の持ち主とゼンリョクで戦えたのだ。自分が塔を守らなくとも、彼女があそこに君臨してくれる。やはりハンサムには怒られてしまったが、仕方ないなと笑ってくれたし、悔いはない。

「では乗るとしようか。……む、リラ君。ピアスの片方がないが無くしたのかね?」

 ハンサムがアローラの土産が大量に入ったキャリーバッグを重たそうに転がしながら聞く。言葉通り、リラのいつもしているピアスが片方無くなっていた。だがリラは首を振る。

「いいえ、ミヅキさんにあげたんです。わたしに勝った事を認めるアビリティシンボルとして」
「アビリティシンボル……? それは何かね?」

 あら、とリラは口に手を当てる。ふと口を突いて出た言葉だが、何なのかリラは思い出せない。でも、それに懊悩する過去は終わったのだ。

「彼女の才能を讃える、わたしからの証……ですかね?」

 優しい笑みを浮かべ、リラは言った。国際警察に帰っても目下リラにやることはない。UBが出ればまた命懸けで保護に向かうが、それがいつなのか、あるいはリラの寿命があるうちに訪れるのかはわからない。国際警察にとってリラはUB殲滅の為の切り札であり少なくともその代替手段が出るまでは保護下、軟禁と言い換えてもいい状況に置かれるだろう。アローラの人々とはこれが今生の別れになるかもしれないが。

(あの子はもしわたしがアローラに来れなかったらこちらから行くと言ってくれました。だから、またあのような楽しいバトルが出来る日も来るでしょう。それまでは……)

 自分はもう、国際警察特務機関UB対策本部部長のリラだ。ポケモンバトルでの才能に固執し塔を守る少女ではない。ずっと心のどこかに引っかかっていた少女の自分が、満足げに笑っているのを感じた。

(さようなら。昔のわたし、タワータイクーン)

 そしてリラは、過去との決別と共にアローラ地方を後にした――