揺れる花簪

ポニ島のジュカイン
テーマB:「ふじ」
編集済み
「いいか、ソウ。これは、父さんがポニ島の会社の近くで見つけたタマゴなんだ。何が生まれるかわからないんだが……父さんからのプレゼントだ。大事に育てるんだぞ」
 ソウのお父さんはポニ島で単身赴任をしています。パートナーのジュカインと、ポニ島の自然を守る仕事をしているのだと、お母さんが教えてくれました。そして、お母さんはいつも、お父さんはとっても強いのよ、と言います。ポケモンリーグにも出場したことがあるんだから、と。でもソウは、本当はお母さんの方が強いということを知っていました。この前お父さんがこっそり教えてくれたのです。お父さんとお母さんはポケモンリーグで対戦し、お父さんのポケモンはお母さんのハハコモリにコテンパンにやられたのだと。だから、今でもお母さんとハハコモリには頭が上がらないのだそうです。
 そんな父からの初めてのプレゼントは、ポケモンのタマゴでした。ソウはタマゴを受け取ると、大事そうに表面をなでて、タオルにくるみました。初めてのタマゴ、初めての自分のポケモン。タマゴが生まれたら、トレーナーとして旅に出ることも許してもらいました。
 ソウは毎日タマゴをなでたり、声をかけたりしました。つるりとした表面に耳をつけると、カタカタと音がしました。こんなに小さな殻の中に、1つの命が眠っているのです。ソウはタマゴをぎゅっと抱きしめると、いつでもでてきていいよ、と言いました。

 カタッ
 カタカタッ

 それは、ソウが大好物のホットケーキに、ポニ島名産の紫の蜜をかけているときでした。タオルの上でタマゴが揺れ、パキパキとひびが入ったかと思うと、中から1匹のポケモンが飛び出しました。そのポケモンは、頭に3枚の葉をつけた、小さなポケモンでした。ソウは、いろんな名前でそのポケモンを呼んでみました。自分のポケモンに、自分で名前を付けたかったのです。ミドリ、違う。リーフ、違う。スミレ、サクラ、クルクル、フワフワ……
「リア!」
「ちゅりゅりゅ♪」
そのポケモンは、リアという名前がとても気に入ったようでした。ソウは早速旅に出る支度をしました。お母さんは、太陽のように煌めく小さな石をくれました。いつか使う日が来るから、と。そして、お父さんから預かっていた三角のお守りもくれました。家に伝わる大切なもので、お父さんも、おじいちゃんも、そのまたおじいちゃんもこのお守りを持って旅に出たのだそうです。
 そうして次の日、ソウは母に見送られながら、リアと共に新しい世界へと飛び出していったのでした。

 あれからたくさんのジムをめぐり、仲間も増えました。リアも随分強くなり、苦手な虫タイプの技にも耐えられるようになりました。ただ、色んな街をめぐるごとに野生のポケモンも強くなり、その中でも進化したポケモンの強さには敵わず、負けてしまうこともありました。背丈の小さいリアは、大きい相手に対して成す術がなくなってしまうのです。負けず嫌いのリアは、負ける度にわんわん泣きました。そして、その日は決まって夜中にこっそり特訓をしていました。
 そんなリアを見て、ソウは母にもらったあの石を思い出しました。
「これは、太陽の石といって、リアが進化するための石なんだ」
ソウは鞄の底にしまってあった小さな石を、リアに見せました。きらきらと煌めいて、見ているだけで力があふれ出るような、そんな石でした。
「進化したら、他のポケモンたちみたいに強くなれる。でも、姿かたちは変わってしまう。リアが進化したいと思うなら、この石に触っ――」
ソウが最後まで言う前に、リアは太陽の石に触れていました。強くなってソウの役に立ちたい、大好きなソウに喜んでほしい……リアは、早くソウの望む姿になりたかったのです。
 進化の光が消え、リアは自分の姿に驚きました。背丈が大きくなり、今まで無かった手ができて、くるりと回れば葉っぱのスカートがふんわり風に揺れました。今まで見ていたものがちっぽけに思えるほど、世界が広く見えました。ソウもこの姿にきっと喜んでくれるはず……そう思って振り向いた、そのときでした。
「うそだろ」
 ソウは、その場に立ち尽くしていました。目を見開いて、瞬きもしませんでした。ソウの目から、どんどん光が失われていくのがわかりました。2人の時間が一瞬止まり、心臓だけがドクドクと脈打っていました。


 すると、近くにいた少年が、リアを指さしてこう言いました。
「見て、あのドレディア。頭に花がないよ」


 ドレディアは、頭の大きな花が特徴的なポケモンです。野生のドレディアの方が花が大きいとか、セレブに育てられるよりもトレーナーが育てた方が花が綺麗だとか、色んな説があります。でも、花のないドレディアの例は今まで1度もなく、リアは会う人みんなに花のことを言われました。何度も指をさされ、どこに行くにもひそひそ声がついてまわりました。
 リアは、自分のことを悪く言われるのは仕方がないと思っていました。きちんとした、立派な姿に進化できなかったのは、他でもない、自分だからです。きっと自分には、大きな花を咲かせるための何かが足りなかったのです。リアは、今からでも遅くないと、頭に力を込めてみたり、水をあげてみたり、日の光を浴びてみたり、花の咲く可能性のあることは何でもやってみました。それでも、頭の花が咲くことはありませんでした。
 リアはそれよりも、ソウのことが心配でした。リアの頭に花がないのは、ソウの育て方のせいだと言う人もいたからです。ソウは日に日に落ち込んで、リアをボールから出さなくなりました。どんなにリアがソウのことを見つめても、ソウのせいじゃないと訴えかけても、その思いはソウには届きませんでした。ソウはリアのボールから目をそらし、下を向いていたからです。
 すっかり自信を無くしたソウは、旅をやめて家に戻りました。ソウのお母さんは、落ち込んだソウと花のないリアを見て少し驚いたようでしたが、何も言わずに迎え入れてくれました。ぐったりと力のないソウは、すぐにソファで横になってしまいました。
「今ソウの好きなホットケーキ焼くわね。そういえば、リアちゃんがタマゴから孵った日も、ホットケーキ食べてたっけ。リアちゃん、そこの棚から紫の蜜取ってくれる?」
リアは両手で瓶を取ると、中をじっと見つめました。瓶に閉じ込められている澄んだ紫が、なんだかとてもあたたかく、懐かしく感じたのです。
「あら……?」
最初に変化に気が付いたのは、お母さんでした。
「ねぇちょっと見てみなさいよ! ソウ! リアちゃんの頭、なんだかツルみたいなのが伸びて、イモムシみたいなのがついてるわよ!?」
ソウは、本当の本当に跳び起きて、リアをまじまじと見つめました。
「母さん、父さんの会社って、確かポニ島にあったよね?」
「そうよ、エンドケイブの近くって言ってたわ」
「じゃあ明日、ポニ島まで行ってくるよ」
自信を無くしたソウの瞳が、しっかりと前を向いていました。
「わかった、でも、ちょっと待ってちょうだい。お父さんに連絡してみるわ」
お母さんはソウに背を向けて、すぐにお父さんに電話をかけました。
「明日ソウがね――だからトロピウスを――ソウも立派なトレーナーで――もういいわ、次帰ったときジュカインとトロピウスが無事でいるか、ハハコモリが容赦しな……え、やっぱり大丈夫? さすがあなた、待ってるわ」
 お母さんはにっこりと笑って、手でオーケーサインを出しました。電話中に横からお母さんの顔を見てしまったリアが、血の気の引いた顔をしていましたが、そのことには気が付いていないようでした。
「明日お父さんのトロピウスが迎えに来てくれるわ。それまで家でゆっくりしてなさい」

 お父さんのトロピウスの背に乗って、ポニ島に到着したのは日が暮れてからでした。休むためにポケモンセンターに入ると、優しい雰囲気のおばあちゃんが、こちらに近づいてきました。
「おまえさん、ずいぶんおおきなふじのつぼみをつけてるねぇ」
おばあちゃんは懐かしそうに目を細めました。そしてリアの頭の蕾に触れると、くしゃくしゃな顔をさらにくしゃくしゃにして、にっこりと微笑みました。
「あたしゃあね、もうあしがわるくて、なんねんもみてないけどねぇ、ポニにはね、ふじのはなぞのがあるんじゃよ。このつぼみはねぇ、そこのふじよりずいぶんりっぱじゃ。ドレディアがあんたのことをしんらいしてるしょうこじゃよ。だいじにそだてたんだねぇ」
ソウは一瞬驚いてから、瞳に静かに涙をためて、小さな声でありがとうと言いました。

 ポニ島は、アローラ地方の中でも特に自然が豊かな島で、ポニの花園はそのさらに奥地にあります。ごつごつとした岩の道や、身長よりも高い草むらが、ソウとリアの行く手を阻み、なかなか前に進めません。でも、久々に一緒に歩く道は、とても新鮮に見えました。リアが進化してからというもの、2人が隣を歩くことはありせんでした。それどころか、リアの花のことで注目されたくなくて、ソウはしっかりと前を向いて歩くことさえしていなかったのです。
 ソウは歩きながら昔のことを思い出していました。初めてバトルに勝ったこと、初めてポケモンをゲットしたこと、初めて森で野宿したこと、そしていつも隣にリアがいたこと。今隣にいるリアは、もうチュリネだった頃のリアとは違います。背丈が大きくなって、こんなにも頼もしくなって――ソウは隣を歩いて初めてそのことに気が付きました。そして、そんなリアときちんと向き合ってこなかったことに、心底後悔しました。リアは他とは違う自分の姿を受け入れて、花が咲くよう努力して、いつでも自分のためにこっちを向いてくれていました。でも、自分はそれに気付かないように下を向いていました。自分が旅を続けられなくなったのは、きちんと進化できなかったリアのせいだとさえ思っていました。
 でも、リアはこんなにも成長していました。何も成長できていなかったのは、自分の方だったのです。
 突然リアがソウの腕をギュッとつかみました。ソウはまわりを見てハッとしました。辺り一面に白い霧が広がっていたのです。
「リア、ありがとう。ケガはないか?」
「るぅ!」
 そのとき、白い霧の中で、紫の影がゆらりと揺れました。その影はゆらゆらと空を自由に動きまわり、少しずつこちらに近付いてきました。すると、影の中に空色の澄んだ瞳が見えました。瞳はじっとソウを見つめ、ソウは頭の中を覗かれているような気持ちになりました。でも、ソウはその瞳から目をそらしませんでした。そらしてやるものかと思いました。これまで逃げてきた分、今は向き合わないといけない。それにきっとその影は、今の自分がリアと向き合えるのか、試しているのだと思ったのです。

 しばらくすると、その影はソウとリアの上にあたたかい雨を降らしました。
 それは、2人を祝福する、浄化の雨でした。

 ザアァッ

 強い風が吹きました。その風は、雨と霧を吹き飛ばし、甘い香りと薄紫の花びらを運んできました。そして目の前には、美しく儚げな藤の花が雨のように降り注ぐ、とても神秘的な花園が広がっていました。
 リアは恐る恐る藤の花に触れました。すると、イモムシのようだった蕾が1つずつひらいていきました。蕾の中から薄紫の花びらが顔を出し、しずくがぽたりと落ちました。大きく垂れた藤の花は、簪のようにゆらりと、風に揺れていました。
 リアはあのときのように振り向きました。新しい自分に、今度こそソウが喜んでくれると確信していたのです。
 ソウは、その場に立ち尽くしていました。目を見開いて、瞬きもしませんでした。ソウの目には、しっかりとリアの姿が映っていました。2人の時間が一瞬止まり、ソウの目にたまった涙とリアの簪だけが、静かに流れていました。



 あれから、もう何年たったのでしょう。ソウは一通りジムをめぐってから学者になりました。今は、藤の花の咲くドレディア――リアの研究をしています。
「ミスミさーん、また電話ですよー」
「またどっかのセレブな方々からだろ、勘弁してくれよ。ごめんリア、ちょっと待ってて」
「るぅあ!」
 藤の花のドレディアがいることは、テレビや雑誌でも大きく取り上げられました。そのせいもあり、ソウにはよく電話がかかってきます。どうしたら藤の花の咲くドレディアに進化するんですか、というものから、お金ならいくらでも払うから早く教えてちょうだい、というものまで。そういうとき、ソウは決まって困ったように笑います。それを今、研究しているところなのですから。

 そして、電話がくる度に、ソウはこう言うのです。

「どうして藤の花が咲いたのかはわかりません。わかったとしても……僕のドレディア以上に、綺麗な花が咲くことは、ないでしょうね」