SNEAK in the Shadows!!!!!

テーマA:「ラジオ」「上昇気流」「反比例」
 さてさて、ご存知であろうか。この世で一番モテるゲンガーと言えば……?
 そう、『スニーク』だ! この世で、はちょっと盛り過ぎた。だがウェットティッシュでは一番なのだ!
 スニークはモテる、とにかくモテる。メスにもオスにもモテまくる。ナゼって、とにかく腕が良い。彼が影に潜りこむトコ、見たことあるか? まるで影の方から呼び込んでるようなあの手際! そのうえ性格も、気前の良い兄貴肌ときた。カッコいいんだこれが、足は、ちょっと短いけれど……顔立ちはハッキリしているし。腹も、ちょっとだけ、出ているけれど……包容力が、もう、すごいのだ!
 ごらんあれ、――愛嬌たっぷりの体のライン。その丸みにぴっちり添った、総スパンコールの紫スーツ。ご自慢の舌の色と同じ、真っ赤に映える蝶ネクタイ、もちろんテラッテラのラメッラメ。ドクロのピンをあしらったハットは、そりゃもう、ビシッと決まっている!
「よく似合ってるよ、今日も」
「当然だろ? ミタナァが仕立てたスーツなんだからよ」
 誰も彼もがほめたたえる、スニークのおめかしスタイル。ミミッキュのミタナァがヘヘッと笑うと、口々にそれを囃すのは、大小無数のゴースたちだ。
 そろそろ日付を回ったろうか? スニークたちの行く先には、ヒトッコひとり見当たらない。霧雨の降るウェットティッシュの四番街は、ゴーストどものランウェイなのだ。
 点々と佇む街灯の下、先陣切って歩くのは? ――もちろん、ゲンガーのスニーク。その横にミミッキュのミタナァ、ロトムのリモコン。少し離れた街灯の傘をカツンカツンと跳んでくのは、ランプラーのアッチッチ。そして縦横無尽に飛び交っている、大小無数のゴースたちだ。
 スニークは、みんなから『アニキ』って慕われている。この町のゴーストどもは全員子分にしちまった。ゴースト以外のポケモンどもや人間どもを含めたとして、ウェットティッシュで、スニークに敵う者などいないだろう。
 けど、スニークは心優しい男だから、争いはちっとも好まない。
 子分を愛し、――イタズラをこよなく愛している!
 たくさんの仲間に囲まれ、毎夜イタズラに明け暮れる、満ち足りた日々――そんなスニークにもひとつだけ目の上のタンコブがある、今日はそれをとっちめに行くのだ。あ、もちろん『とっちめる』と言っても、暴力でコテンパンにする訳じゃないんだが。
「アニキ、見えてきましたぜ」
 先駆けて偵察に向かっていたゴースのひとりが、紫の煙を棚引かせながらやってくる。
 今晩、四番街のサビエル邸宅で晩餐会が催されることを、アッチッチが掴んできた。アッチッチはランプに擬態して盗み聞きするのが大得意で、オモシロ情報をいつも持ってきてくれるのだ。
 バッカでっかい門の向こうに、とんがった屋根がちょこんと見える。こりゃまた大層ご立派なお屋敷だ。
 ウェットティッシュで幅を利かす霊能一門――その当主、サビエル。ゴーストどもとの対決に躍起になってるタヌキおやじも、まさか牙城に攻め込まれるとは思わないのだろうか? 雨でふやけている古い魔除け札をひっぺがし、ぺいっと投げ捨てる。ゴーストどもは意気揚々、柵の間から侵入を果たしたのであった!
 広々とした庭園の向こう、これまた巨大な正面扉から、漏れ出す屋敷の光だ。気取ったドレスの人間どもがちらほら出入りし、荘厳なBGMまで聞こえてくる。
 霊気を紛らわせてくれる霧雨の中、ロマンティックに景色は滲む。ゴーストどもはこっそり歩み進め、草葉の陰へと身を潜めた……。
 よし……、潜入開始だ。
 夫人の広く膨らんだドレスの中へ、リモコンがプラズマの尾をなびかせながら素早くダイブ。ミタナァはなんとまあ、ピカチュウさながらの愛想を振りまきながら、堂々屋敷へ入っていく。燭台のひとつへアッチッチが飛び移ったのを確認するや、スニークはニタリと笑った。
 大小無数のゴースたちに、待ってろと目配せ。そして、するりと『影』へ溶け込んだ。
 影から影へ――その次の影へ――誰も追いつけない、あざやかな身のこなし! 明るい光に満ち溢れた邸宅の中はやりづらい。けれども影がない訳ではない。いたるところに、すべてのものの足元に、影はぴったりと控えている!
 客人の大きく肥えた影から使用人のスマートな影へ、躍るように乗り移る。給仕係の女の影へ飛び込むと、狙い通り、女は料理を満載したカートをパーティ会場へ押し進めていった。
 影の中から外を覗いて、スニークは……、舌なめずりだ。じゅるり。
 こりゃあ、上玉だ! 人間は何人いる? 十、二十、三十……いや、三百はいるだろう! ここまでの規模のパーティにお邪魔するのは、スニークと言えど、初めてじゃないか?
 あらゆる自慢げな談笑の声、高飛車なヒールの鳴る音、フォークの下品なクラッチ音……。どいつもこいつも、仮面をかぶったような、すました顔をしていやがる! すぐにひっぺがしてやりたくて、スニークは今にも躍り出したい気分だ。
 最奥のテーブルに、燕尾服をきっかり着込んだハゲ頭が座っている。あれがサビエル。ゴーストどもとのドンパチにこの頃押され気味のマヌケは、侵入に気付いた様子もない。
 食べ物とワイングラスを満載した丸テーブルの影に、するりと移動する。向こうの壁の燭台に紛れて、アッチッチが佇んでいる。ミタナァがこちらを向いて小首を傾げた。準備は整ったようだ。
 ニィと笑み、影からずるりと腕を出す。短い指が交差して、パチン、と音を鳴らした。
 ――さあ、ショータイムのはじまりだ!
 パッと照明が落ち、心地良い悲鳴が沸きあがる。
 そして響きわたる、ゴーストどもの笑い声――リズミカルに明滅するライト、不気味な青に燃えあがる炎! リモコンが電気系統をジャックし、アッチッチが蝋の上を次々と舞う。混乱に乗じて雪崩れ込んできたゴースたちがアッチコッチと飛びまわり、客人たちはパニックの渦。『さいみんじゅつ』、『あやしいひかり』に操られ、オーケストラの演奏家たちは、奇抜なダンスミュージックを奏でる。
 あとはスニークが飛び出せばもう、ゴーストどもの独壇場だ。
 華麗なクロス引き、からのシャンパンシャワー! 華麗な連続ワザを披露して、ステップを踏みながら跳びゆくスニーク。あっちではミタナァが子供を驚かしてパンを奪い取っている、こっちではリモコンが『あやしいかぜ』で紳士のヅラを吹き飛ばしている! 歓喜の悲鳴と喝采が起こる、振り返れば、婦人たちは一様にドレスの裾を抑え、天井にまで昇らんかってほど無熱の炎がメラメラあがる。どこからともない上昇気流が炎を巻きあげドレスを掻き上げたように見えただろう? 全部、アッチッチとゴースたちの仕業さ。
 ハッピーな怒声と悲鳴をかきわけ進めば、チカチカ明滅を繰り返す会場の隅に、スニークの目がサビエルを捉えた。使用人に庇われて怒り心頭の表情を浮かべている、ああなんとも滑稽な顔だ! スニークは影に潜り込み、逃げ惑う人々の波に乗ってサビエルの足元に這い寄った。そしてずるりと飛び出すと、びっくらこいてるサビエルの前で、
「べろべろばあーっ!!」
 出た、スニークお得意の『変顔』!
 サビエルは情けない悲鳴をあげた、使用人の腕を掴んで腰を抜かした。スニークはケタケタと笑い声を上げたけど、見てみろ、倒れ込みかけたサビエルの背後に、小さな男の子がしゃがんでいるぞ! するとスニーク、するりと影を通って回って飛び出て、ほそっこい腕をつかみとった。
 サビエルの尻に潰されそうになった男の子を、抱きかかえて跳躍。狂ったように鍵盤を躍らせるピアノの後ろに下ろしてやった。ここに隠れてな、と耳打ちして飛び去っていく。見たかい、あのキザな背中? 男の子も目をきらきらさせちゃってさ。スニークは子供に優しいんだ。
 誰も怪我をしていないか、誰も嫌な思いをしていないか。ざっと見回りをする。パーティは台無しだって? 何も壊しちゃいないし焼いてもいない、スニークはドレスの端っきれも汚させないぜ? ちょっとマンマを頂戴しただけだ。目が慣れた客人どもを見てごらん? 恐怖の悲鳴から様変わり、お茶目な珍客の襲来に心を躍らせ笑顔を見せている。カンカンに怒っているのはサビエルだけ。これがスニークのやり方さ。
 程々にしとけよ、とゴースの一人に耳打ちし、ワイングラスをおひとつ拝借。ごった返す人とゴーストどもの上を飛び越え、スニークは会場を抜け出した。
 カビゴン一人はゆうに通り抜けられそうな、大きな窓がひとりでに開く。庭園へ続くバルコニーへ出ると、真っ白なロッキングチェアへ、どすん! と腰かけた。一緒に宴を後にしたミタナァ、リモコンが振り返る。会場の動乱の様子は遠いけど、まだ見えていた。ゴースたちがおかしなことをしているのを見て、ふたりは身を捩らせてゲラゲラと笑った。
 寡黙に佇んでいるアッチッチと満足げに目を合わせ、スニークは赤ワインを口に含む。
 眠らぬディスコ、ライブハウス、格式高い舞踏会から、ささやかなホームパーティまで……。楽しそうな場所なら、どこにでも忍び込む。ウェットティッシュの街において、ゴーストどもの遊び場と化さない場所など、もはや、ひとつも残ってない!
 人間どもにとっては、そりゃ迷惑な話だろう。だけど、人間たちが自分らの所業に慌てふためいている様を見るのが、いや、それ以上に、人間とゴーストどもが交わり合ってバカさわぎするのを見ているのが、――スニークは何よりも好きだったんだ。



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



 真夜中と呼ぶにふさわしい静けさが、サビエル邸を包み込んでいる。霧のような雨もやんだ。
 客人たちは仮面を脱ぎ捨て、素の笑顔で邸宅を後にした。ミタナァたちもマンホール・ハウスに帰り、使用人たちも寝静まった。
 スニークはというと、ひとり残って、まだサビエル邸を散策中だ。
 秋めく夜風、ひんやりした湿気に抱かれる。広々とした庭園。キンとした月明かりを蓄えた芝をしゃくしゃく踏みながら歩く感触は、なんとも言えず、良いものだ。悪霊退治を生業としている霊能者の邸宅だぞ? もっと居心地が悪くてもよさそうなもんだが、これには訳がある。
 齢六十を数えるサビエルの霊力が衰えつつあることなら、因縁の相手だけあって、スニークは誰よりも知っている。
 スニークにたくさん子分がいるように、サビエルにもたくさんの弟子がいる。二年ほど前まで、ウェットティッシュのゴーストどもは彼らにいいように住処を追われ、マンホール奥深くでの暮らしを余儀なくされていた。行き場を失い、内輪揉めばっかりしていたゴーストどもを、見事束ねあげたのが、スニークって訳だ。そして街でのゴーストの権威をみるみるうちに取り戻した。
 ゴーストどもの救世主だったスニークも、サビエルには何度も苦汁を飲まされた……。その好敵手とも呼ぶべき彼がだんだん老衰していくことには、正直、一抹の寂しさも覚えてる。だってスニークは争いたいのではなくて、ただただ好きにイタズラをしながら、みんなで愉快に暮らしたいだけなんだから。
 まあ、とにかく、本拠地に飛び込み、手玉に取ってやったんだ! 老いぼれも少しは大人しくなるだろう。実際に、こうして影に忍ぶでもなく実体で庭を歩いていても、誰も口出しをしない。もはやサビエル邸の庭園は、スニーク専用のランウェイなのだ。
 十何杯も嗜んだワインに、今宵のスニークは浮かれちまってる。あまりにも気分が良いもんで、スニークは裂けた口を尖らせて口笛を吹き、短い足でスキップまで踏んだ。踏もうとしたが、踏めなかった。スキップの仕方は分かってたけど、この太くて短い足だと、どうやればいいのか分からない。
 右ッ右、左ッ左、右ッ左、左、右? アレ? おっとっと。びょんびょんと毬みたいに跳ねてるだけ、こんな不格好な姿、子分たちには見せられないな……と、スニークは思ってる。実は、総スパンコールの紫スーツもテラッテラのラメラメの蝶ネクタイも、みんな「さすがにない」と心の中では思ってる。思ってるけれど、スニークが好きだから、みんな黙っているだけなのである。ただし、ハットにあしらったドクロのピンだけは、みんな「ちょっとかっこいいな」と思っている。まあそれはどうでもいいとして、ふと顔をあげた視線の先で、――スニークはそのとき、とんでもないものを見つけたんだ。
 三階の真っ暗なバルコニーから、人間がこちらを見下ろしている。
 スニークは固まった。スキップをしながら固まったので、危うく華麗な前方宙返りをキメそうになったが、なんとかつんのめるだけで済んだ。
 まっしろなドレスを着た、それはそれは、まっしろな女の子だった。
 お月様以外はまっくらな屋敷だ、そんなに白いもんで、ほの光っているようにすら見えた。明るい栗色のショートボブの髪の毛が、夜風にそよそよとなびいていた。手すりに腕を組んで乗せて、その上に顎を乗せて、こちらを見下ろして、――けらけらと、笑っていやがるじゃないか。
 スニークは顔を赤らめた。
 み、見られた。
 下手くそなスキップの練習を、見られていた……!
 奇妙な間が過ぎた。月に薄雲がかかって、それが離れるまで、二人は見つめあっていた。そして――、
 少女はふっと、突然思いついたみたいに、手すりから離れたんだ。
 視線を外した。だが、ぎょっとしたままのスニークがずっと見つめていたことを、きっと分かってたに違いない。
 ぴたりとまぶたがおりた。
 なめらかに腕がひろがり、ひとつながりの爪の先が、きらきらと光を帯びていた。
 空気がちぢこまって、そして。
 うすい胸が膨らむその息遣いまでも、地上のスニークに、手に取るように伝わってきた。
 ……見上げる三階のバルコニーで、少女はバレエダンスを舞いはじめた。
 大きな窓は開け放たれ、部屋の明かりは落ちて……カーテンは月光だけを匂やかに孕み、ゆらゆらとして、神秘的にステージを演出していた……。そのステージの端から端まで、恐れもなく飛び交う少女は、まるで羽根でも生えてるみたいだ。こまやかに足先を叩き、指先が顎の線を舐め、ながく跳躍するたび時間が止まったようになって、ふわり軽やかにドレスが広がる。華奢な腕がつややかに空中を滑る。瞬くまつげの下で視線が色めき流れる。
 この世のものとは、思えないほど、それは美しくて……
 完全に、呆気にとられて、スニークは見上げるだけだった。
 ――驚かされるなんて、びっくりだ。
 また視線があったとき、うすい彼女のくちびるが、にこりと微笑んだ。ないはずの心臓がどきりと高鳴った。少女は当たり前のような動作で、手すりに右手を掛け、そして、
 跳んだ。
 手すりを飛びこえ、三階のバルコニーから、月の夜空へと舞い上がった。
 ――――ストン、と着地する音さえ聞こえなかった、ドレスの華やかな裾が、小鳥が一斉に飛び立つように、ぶわりと膨らむだけだった。頭上伸ばした手が指先を揃え、窮屈そうなトゥシューズに包まれた爪先がのびあがり、すらり足を伸ばし回る、回る、何度も何度も……。どこからか舞い躍る白い花びら、白い肌、白い彼女のドレスの中に、スニークは白でないものを見つけた。真っ赤な花弁が開いたような模様が、ドレスのいたるところに散って、精彩を放っていた。
 あぜんと見ているしかなかったスニークが目を回しかけた頃、少女は一足に跳躍して、トンと目の前にやってきた。
 酔っ払ってんだろうか? いっつも冷たい体が、スニークは熱くてたまらない。
 まだあどけなさを残した顔が、近づいてくる。躍っている時のあの、匂い立つような色気に見合わぬ、可憐な面立ち。
 その細くて冷たい人差し指が、ひたりと、スニークの口の前に立てられたとき……、
 スニークはもう、クラクラして、何も考えられなくなった。
「誰にも言わないで」
 瑞々しく膨れたくちびるが、ほとんど吐息のようにさえずる。二人だけの秘密。
 了解を待つまでもなく、ぱっと、少女はスニークの手を取った。
「エッ?」
 細くてやわらかな白い手が、太くて短い紫の手を引く。
 あまりにも唐突で、つばを押さえることもできない。自慢のハットがすっ飛んだ、そのことにスニークは気付かなかったけれど。
 なぜなら、少女はもう一方の手も取って、スニークの両手を握って……、
 また、くるくると、踊り出したのだから……。
 何が起こっていたのだろう? でも、スニークが楽しんでいたのは間違いない。
 ふたりに影があったなら、幾度となく、足元で重なりあったのだろう。
 特別な夜はあっという間に過ぎていった。スニークがふと気がついたとき、ついさっきまで握っていたはずの手はなくて、それどころか誰もいなくて……、三階のバルコニーには、あのカーテンが、白々しく揺蕩っているだけだった。
 空が白みはじめていた。朝が来ようとしていたんだ。
 長らく放心していたスニークは、あわてて起きあがって、マンホール・ハウスへと帰っていった。



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



 ウェットティッシュにはりめぐらされた下水道の一角に、ゴーストどもの溜まり場――通称マンホール・ハウスがある。
 真っ暗で、じめじめとして、むわりと空気がこもっている。つまり、ゴーストどもにとっちゃ、ちょっとだけ狭苦しい以外は、最高の楽園、ってな訳だ。
 ここは、スクラップでつくりあげたゴーストどもの幹部室。いつものように、四人の幹部が顔を合わせた。
「ねえねえ見てた? 昨日のサビエルの顔! ボク、ちょう笑っちゃった!」
「見たでやんす、見たでやんす! アニキが驚かせた時の顔たまらんかったでやんすなあ、さすがスニークのアニキでやんす」
「クックック、あの恐怖に歪んだ表情! 額縁に入れて飾りたいほどの極上の逸品であったなあ」
 ミタナァ、リコモン、アッチッチが、口々に昨夜の感想を言い合う。あれだけ大きいパーティだっただけに、一夜(ゴーストどもの界隈なら、『一昼』の方が正しいが)明けても興奮冷めやらぬ状態だ。
 子分たちが喜んでいると、スニークも嬉しい。満足だ。けど、そんなことよりもその後のことが胸を掻き乱して、今は正直、それどころじゃない。
 宴の愉快さ、子分たちの笑顔、赤ワインの格別な味わい――……よりも、濡れ葉を折るトゥシューズの窮屈な爪先の危うさの方が、まだ頭の中に残っている。
 スニークは誠実な男なので、『誰にも言わないで』と言われたことを誠実に実行しようとしていた、だから昨日のことが話せなかった。フワフワとした高揚感と、隠し事をしているモヤモヤが、頭でない交ぜになっている。こんなこと、この身になってからは初めてだ。
「ねえ、スニークもそう思うでしょっ?」
「ン? ああ、そうだな?」
「もーっスニークってば、またボーッとしてぇ。朝までほっつき歩いて何してたの?」
 ミタナァは何かしらと茶化してくるが、スニークがうわの空であることに、他の二人は触れなかった。寡黙で無表情でキザなアッチッチはいいとして、いつもマシンガントークするリモコンまで。今日はスニークの顔色を窺って、なんとなく絡みづらそうにしている。
「そ、そんなことより! 今日はどこに遊びにいくでやんすか?」
 ミタナァの追及をさえぎるようにリモコンが言うと、アッチッチは青炎を難しげに揺らめかせつつ、ひょろ長い腕を組んだ。
「今日はめぼしいイベントは何もない。ワタシの調べで何も出てこないのだ、出向く所はないであろうな」
「えーっ、ボクつまんなァい、ねえねえスニーク、そんなのつまんないよね?」
「いいじゃねえかタマには、休肝日があってもよ」
 スニークったらおじさんだァ、とミタナァがボロ布の首を揺らす横で、リモコンがビリッと電気を発した。
「ビビッと来たでやんす! マンホール・ハウスでゴーストパーティをするでやんすよ」
「わお、久々だね! いいじゃんいいじゃん、楽しそー!」
「ククク、ワタシも異論はない」
「ねえねえスニーク、いいでしょ?」
 ぴょこぴょこ跳ねるミタナァの横を抜けて、スニークは出口へと歩きはじめた。
「悪ィが、おれは用事があっからよ、オメェらで勝手にやってくれや」
「ええーっ!」
 ボロ布の中に隠されたミタナァの小さな体から、一際大きな非難の声。ゴーストパーティより大事な用事ってなにさ、と叫ぶミタナァに、ウルセェ! と一声だけ返して、スニークは影へと溶けてしまった。
 下水道の中は、ぽつぽつと蛍光灯が灯るだけ。抑揚の少ない暗闇だ。光に満たされたあの邸宅と違い、自由に影を滑れる。スニークは影の中を動くなら誰よりも速い自信があった、けれども影のない場所を進むなら、ずんぐりむっくりのスニークは、ただの短足のノロマなのだ。マンホール・ハウスはそういう意味では、居心地がよく生きやすい。けれど、どこか物足りなさも感じていた……。
 幹部室から六つ目の蛍光灯の手前で『フタ』へ上がろうとしたとき、その蛍光灯が、ビリビリと青色の輝きを放った。
「スニークのアニキ!」
 電気配線の中を通って追っかけてきたらしいリモコンが、蛍光灯のガラス管の向こうから青い目だけを覗かせていた。
「しつけぇなオメェも、今日は用事があんだよ。ゴーストパーティならオメェらだけでもできるだろ?」
「いや、そうじゃなくて……。アニキ、あの娘のところに行くでやんすか?」
 ぴんと背筋が伸び、勢い余ってハットが跳ね上がる。
「リモ、オメェなんで知ってやがる」
「へぇ、スミマセン! でも、あっし、昨日ついでに屋敷の乾燥機を修理してやってたでやんすが、帰りに見ちゃったでやんす。アニキと女の子が、手を繋いで躍ってるトコ」
 スミマセン、とノイズでビリビリしながらリモコンが謝る。冷たいはずの顔に、かっとのぼる熱。昨晩からどうしちゃったろうか。どうしちゃったというか、赤らんでも目立たない紫の体を、スニークは初めて幸運に思った。
「ミタナァたちには黙っとけ、メンドクセェから」
「でも、ヤバイでやんすよ。スゴイ霊能を感じたでやんす! サビエル一族の血統でやんすよ、アレ」
「あんな小娘にビビッてんじゃネェよ」
「行くのはよしたほうがいいでやんすよ。……小娘でも、とんだ霊能者でやんすよ。アニキには自覚がなくても、会いに行こうと思ってること自体、術を掛けられてるかもしれないでやんす。次はどんな目に遭うか、分からないでやんすよ」
 リモコンの言っていることはもっともだった。
 あの、摩訶不思議な雰囲気……。サビエルの上を行く霊能者であると見て間違いないだろう。だが、うら若き乙女、もっと言えば子供だぞ? スニークの手を取って踊ってみせた。変な術式を掛けられたような気配もない。
 スニークの考えはこうだ。――脅威かどうか分からない。ならば、もう一度くらい会ってみても、別に構わないんじゃねえだろうか?
「おれのこと侮ってんのか、リモ?」
「そうじゃないでやんすけど……」
 不安げに蛍光灯が明滅する。リモコンがアニキと慕うスニークに必死に忠告しようとしていることが、事の深刻さを物語っていると、スニークも分かってはいるんだが。
「あの娘は、邸宅の中の人間でやんす。人間は、光の中で生きてるでやんす。あっしたちはその、足元の、影。……生きる世界が違うでやんすよ」



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



 その通り、スニークが我が物顔で動き回れるのは、影の中だけだ。
 新しい魔除け札が貼り直されていたが、これも大したもんじゃない。昨日と同じように潜入すると、スニークは草陰の中を、まっすぐ庭園へ進んだ。今日も庭には誰もいなくて、あの三階のバルコニーには、こっちも誰もいないが、今日も部屋に明かりはないが。窓が開いていて、白いカーテンが、どことなく妖艶に揺らめいていた。
 ……誘われている気がした。
 施錠されていない窓を見つけ、隙間から滲みるように潜入した。
 と、パッと廊下の照明がついて、影がなくなった。慌てて別の影へ潜りこむと、またその上の照明がパッと灯った。光に追い立てられるように屋敷の中を逃げ進み、次第に奥へ奥へと迷い込んでいく。明らかに、誰かに誘導されてるってことだ。けれど、不思議なもんで、そこまで嫌な気はしない。
 廊下を進んでいくと、つきあたりの一等豪華な大扉が、音もなく開く……。その先には、がらんとした大広間が控えていた。
 まんなかに立ち、スニークは見上げる。
 常夜灯の点々とさがる広間の中央に、――巨大な階段が鎮座していた。
 まるで階段のためだけに空間が作られているみたいな、ものすごい存在感だった。三階まで貫く大階段。それぞれの段には白い足元照明が煌々と輝いていて、影が寸断されている。眩い光だ。光の階段……。下から照らされてしまうのは、ゴーストにはとても苦しいことだ。いくらスニークと言ったって、とてもじゃないがのぼれそうもない。
 スパンコールのラメラメが、常夜灯の光を浴びてテラテラと輝いている。苦々しい顔で睨んでいたスニークもついに一歩踏み出した、階段じゃなく、壁の方へ。
 襟元を整え、ハットのつばを抑える。
 階段のきわの、壁から突き出た装飾品の小さな影を、一息に飛び移りながら、スニークは三階を目指した。
 三階へ辿り着くと、廊下左手の部屋の扉が、再び勝手に開いた。スニークは唾を飲み、短い手でスーツのあらゆる部分の埃を払って、蝶ネクタイの角度をしつこく確認して、ハットをばっちり被り直した。
 部屋へ入ると――、
 赤い革貼りの愛らしい丸椅子に、ちょこんと腰かけて、少女はスニークを待っていた。
 華奢で、痩せいていて……、首があんまりにも細い。顎のラインで切りそろえられた栗色の髪。品のある白地に、赤い花を散らしたドレス。真っ赤なバラみたいにも見えた、好きなんだろうと思った。ちょんと揃った膝の上を、水のようにドレスは流れて、足元で微風に揺らめいている。ほんのりとも紅の差さない白い顔色に、目はくりくりと大きく、人に捨てられたイワンコほど扇情的に潤んで見えた。
 彼女の微笑みを見て、心の底から後悔した。
 手土産を忘れてきてしまったのだ。
「来てくれたのね?」
 肩を揺らして、甘ったるい声で笑んだ少女に、スニークは少しばかり照れてしまって、ぶっきらぼうに頷いた。
 古い匂いのする部屋だ。本棚には厚く埃が積もり、黄ばんだ天蓋とベッドにも経年の痛みが見受けられる。主のいない蜘蛛の巣が、それも埃をまとわりつかせ、天井の四つ角に垂れ下がっている……。
 昨晩のパーティ会場は見栄張って飾り立てまくっていたのに、子供の部屋は綺麗にしてやらないんだろうか? いやそんなことより、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしくって、少女の顔を直視できない。壁に飾られた写真の埃を吹き飛ばしながら、スニークは呟いた。
「掃除に来ねえのか、あんなに使用人がいるのによ」
「誰も来ないよ。パパも来ないの。もうしばらく顔を見てないわ」
 埃の下、日焼けし褪色した写真の中で、少女と、若かりし日のサビエルとその夫人と思われる女が、寄り添い合って笑っている。
 薄情な話だ。昨日驚かした男の笑顔に、スニークはうっすら憐れみを向けた。
「おれはあの男は好かないね」
「そう? あたしはパパが大好きよ」
 思わず振り返る。
 開け放たれた大きな窓、たおやかにそよぐカーテンの向こうから、大きな月が、部屋を覗き込んでいる。
 笑う少女の無邪気な声が、スニークにはどことなく、さみしげに聞こえた。
「アンタ、やっぱりサビエルの娘か」
「ええ。アリスっていうの!」
 いい名前だ、と思った。名乗り返そうとしたところで、すいっとアリスは立ち上がった。
「あなたはスニークでしょ? ウェットティッシュで暴れてる、ゴーストたちの親玉」
「なんで知ってやがる」
「この子に聞いたのよ、あたしのたったひとりのお友達」
 ベッドサイドに置かれている、それも明らかに旧式のラジオを撫でつつ、アリスは楽しげにバルコニーへと歩み出た。
 昨日は気付かなかった、カーテンの裾はボロボロと朽ちつつあるし、隅には黒い塵が山になって積もっている。手すりには雨の筋が残っている。けれど、それにひょいとアリスが腰かけると、どれも趣高いヴィンテージ品に様変わりした。
 真下に見えるあの庭で、昨夜、手を取られて躍ったんだ。なんて思うと、どきっとした。
 横を向けば、アリスのあどけない微笑みは、スニークの手の届く位置にある。
「スニーク、お友達になってくださる? あたし、ずっとここにいなければならないの、だからお友達ができないの」
「おれを呼んだのは、友達が欲しかったって算段かい」
「だめかしら?」
 にこりと小首を傾げる少女の顔が、やはりまっすぐ見れなくて、スニークは顔を背けちまった。
 短い手で鼻を掻いた。大きな満月を背負い……、手摺りに寄りかかり……、足を組もうとした……が短すぎて組めなかった。この屋敷に入って何度目か、スーツの襟元を整える。やはり手土産を持参すればよかった。だが、そんなものあってもなくても、どのみち結果は変わらないだろう。
 だって、スニークはモテる。とにかくスニークはモテるのだ。
「友達でもいいけどよ……」
 この身になり果ててから、こんなにも、緊張することがあっただろうか。難しい顔で頬を掻きながら、ちらりと横目で、スニークはアリスを窺い、
「お……おれの嫁さんにならねえか」
 そう――プロポーズをキメたのだ!
 アリスは、お月様とおんなじくらい、栗色の目をまんまるにした。
 ……まあ、と声を上げた。ぱっと表情を華やげ、頬を弛め、口元に手を添えて笑った。華奢な指の隙間の向こうに、スニークのスキップを笑ったみたいな、年齢相応の、笑顔が、見えた!
「ほんと? 楽しそう!」
 スニークはモテるので当然なのだが、肯定的なその言葉に、ないなずの心臓が破裂するような高揚を覚え――、
 ――だが。
 膝を折り、アリスが目線を合わせる。
 白くて冷たい手が、スニークの熱い頬を撫でた。
 撫でながら言った。
「でも、ごめんなさいね。あなたのことは好きだけれど、あたし、もっと足がながぁくて、スマートで、……あと、ふふっ、かっこいいスーツを着こなす人が好きなの!」



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



 さてさて、ご存知であろうか。この世で一番、おしゃべりなゴーストポケモンと言えば……?
  ――そう、『アッチッチ』だ! ランプラーのアッチッチは、寡黙で無表情でキザなくせして、びっくりするほどおしゃべりなのである!
 一体どこから見ていたのだろう? スニークが一日ひとりで凹み果ててからとぼとぼとマンホール・ハウスに戻ってきたときには、かの非業の大失恋は、木端微塵にフられた顛末は、下水道中に響き渡っていたのであった……! そして轟く、励ましのお言葉……! どんまいスニーク! 鏡を見ろスニーク! 身の程を知れスニーク!! 幹部室でもんどりうって笑いすぎてボロ布の中身が見えそうになっているミタナァ、やつあたりを恐れたのか蛍光管から出てこないリモコン、素知らぬ顔でウォールランプに停まっているアッチッチ、そして大小無数のゴースたちにとっても、もう格好の笑いものだ。もっとも、そうやって子分が笑いものにできるような親玉であるからこそ、スニークはウェットティッシュじゅうのゴーストどもに愛されているのだけれども……。まあそんなことはどうでもいいとして。
「ギャハハハハハ、ああーっムリムリ、おもしろすぎる、吐きそう、中身出そう」
「そ、その辺にしとくでやんすよぉ、ミタナァ……」
「しかし笑われるのも致し方ないという結末よのぉ、スニークよ。クッハッハ!」
「うっせえ誰のせいでこうなったと思ってんだ!」
「誰のせいとは、ワタシのせいか? まことに遺憾であるな」
「強いて言うならアニキ自身のせいでやんす……プッ」
「いきなりプロポーズなんてナイナイ、いくらスニークでもアリエナイよねー」 
「ミタナァの仕立てたスーツが似合ってないっつってフられたんだぞ!」
「えーっ、うっそぉボクのせい? ってか逆に聞きたいんだけど足がそんなに短くてお腹がそんなに出てるゲンガーに似合うスーツってどうやって作るの? ギャハッ」
「言い過ぎでやんすよミタナァ! アニキはちょっとばかしゴーストにモテモテだからって勘違いしちゃっただけでやんすっ」
「ゴーストに塩かけてんじゃネェよ!!」
 紫の肌でギリギリ分からない程度に赤らみながら地団駄を踏むと、リモコンはヒーッと引き笑いながら電流に流れて逃げていったし、至る隙間から覗き込んでいた大小無数のゴースたちの目も、ヒーッと引き笑いながら散り散りに逃げていった。ランタンのフタをカツカツ鳴らしながら笑っていたアッチッチが、まあまあ、と声を震わせる。
「これで、スニークも懲りたであろう? 分不相応なつまらん恋などよして、我々と共に今宵も愛の狂想曲を奏でようではないか」
 ぽん、と肩に乗せられたひょろ長い手を、スニークは不躾に払いのける。
「悪ィが今晩も予定があんだ」
「その子のところにいくんでしょ? ムダムダ、やめときなよォ」
 そもそもボクの仕立てたスーツの良さが分からないなんて――と言いかけたミタナァをよそに、スニークはハンガーに掛けていた一張羅を手に取った。
 ばさりと羽織る。テラテラのラメラメのスパンコールが、スニークの背中できらりと光る。
「えっ、まさか、本当にいくつもり?」
 問いかけられた背中越しに、スニークは頷いた。
「悪ィな、ミタナァ。今晩のパーティはオメェが指揮ってやってくれや」
「……アハッ、なあるほど。ボクたちのことはー、どうでもよくなっちゃったってことね?」
 一瞬言葉を詰め、すぐにおちゃらけたミタナァの前で、スニークは蝶ネクタイの角度を整え、ハットを被る。
「嫁さんには出来なかったが、友達にはなったもんでな。あいつ、他に友達がいないんだ」
 だから頼むぜ? ニィと笑むスニークを前にして、ミタナァは……、
 いや、ボロ布は……、顔を変えなかった。ボロ布の下がどんな顔をしているのかは、ゴースト仲間といえど、誰にも分からない。
「ボクにだって、スニークは一人しかいないんだけど」
 むすっとしたミタナァの声を、スニークは笑い飛ばした。そうしてすれ違いざまに、ぽんぽんとボロ布の頭を叩いた。
「なぁに言ってんだ、当たり前だろ?」
 そのままスルリと影に溶ける。残響していた笑い声もじきに掻き消えた。
 しんとして、ぬるく滞留した闇が深まる。残されたアッチッチは、ちらりとミタナァを窺った。
 ……ミタナァは俯いたまま。
 ひょろ長いアッチッチの腕が、ふむ、とランタンの顎を撫でた。
「お前は寂しん坊だからな」
 アッチッチらしからぬ優しい声に、ぐっと、ミタナァは何かこらえるようにした。けれど霊力で描かれたピカチュウの顔は、やはりというか、感情を素直に映さない。
「あーあ、分かってないよね、スニークはッ。全然分かってないよね。アッチッチもそう思うよね?」
「……何、案ずることはない」
 カツン、と地面を鳴らして、アッチッチも飛び去っていく。ミタナァはしばらく俯いていたが、ふと顔をあげ、振り返った。
 スーツが掛けられていたハンガーが、重みを失くして、まだ微かに揺れている。



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



「――で、嫁さんに来てくれる気にはなったかい」
「ダメよ、パパが悲しんじゃうもの」
 それから何日も、スニークとアリスは逢瀬を重ねた。アリスはコロコロとよく笑う娘で、最初はぎこちなかったスニークも、すぐにメロメロになっちまったんだ。
「悲しまねえよ、おれといた方がアリスも楽しいだろ?」
「でも、あたしはずっとここにいなきゃならないの」
「どうしてさ」
「そんな気がするの。離れられないの。スニークについていけたらいいのにね」
 アリスがラジオで聞いた人間たちの話をしたり、スニークのたくさんの子分たちを話を聞かせてやったり……。バルコニーで踊ったり、部屋で話をしたり、庭でスキップの練習もした。ただアリスがあまり遠くまで行きたがらないからその場をぐるぐる回るだけで、ちゃんとした練習にはならなかった。
 スニーク的には、スキップの練習は、正直ちょっと恥ずかしかったんだけれど……とにかくスニークもアリスも、ふたりでいると楽しかった、いつだって、時間はあっという間に過ぎていったんだ。
 スニークが夜な夜な入り込んでいることに、サビエルは気付いてるみたいだった。それでもこの部屋に遊びにくることをやめられなかった。アリスの顔を見ることが、スニークは楽しみで仕方なかったんだ。プロポーズは笑っちゃうほど断られたけれど、ふたりの絆は確実に深まっていた。あの光の階段のせいで、影に溶けなければここまで上がれず、影に持ち込めない実体の手土産を持ってこれないことが、唯一残念なことだった。
 アリスと話しているとき、――ゴーストと人間の境界が曖昧になるように、スニークは感じる。
 確かにスニークは、手足が短い。口も裂けているし腹も出ている、身長も低いずんぐりむっくりだ。そういう自分の姿を、アリスと話しているとき、スニークは忘れられるような気がしたのだ。
「ねえ、スニークはどうやってゴーストたちの親玉になったの?」
 空は東から色みを取り戻し、群青色の明け方が迫っていた。こんなにも夜が明けて欲しくないと思うことなど、初めてに違いなかった。
 バルコニーの手すりに寄りかかり、触れるほど傍にいて、並んで月を見上げながら。アリスが問いかける。スニークは頬を掻き、首を傾げる。
「さあね、よく覚えていないんだ。気付いたときには、この姿で、この街に突っ立っていた」
「死んでしまった?」
「成仏できなかったんだろうな」
 ただ――自分が既に『人間ではない』ことははっきりと分かった。ゲンガーである自分にとって、ウェットティッシュは決して住みよい街ではなかった。だからスニークはゴーストの仲間たちを集め、住みよい街に作り替えたんだ。
「成仏したら、どんな感じなんだろう」
 手すりの上に顎を乗せ、アリスは空を見上げる。
「天国って、ある? ゴーストポケモンのスニークになら、分かる?」
「どうだろうねえ」
 その視線の先を追う。月と星が散りばめられた、高い高い空の向こう。一体何があるのだろう、この姿になった頃、スニークもよく考えたものだ。何故自分はそこに行かなかったのか――行けなかったのか。何故この姿になり果てたのか。そこに行けていたとしたら、そこには一体、どんな世界が待ち受けていたのか。
 考えるたびに、無駄だと気付いて、考えるのをやめた。いつしか考えなくなった。けれど考えていた頃、いつも辿り着いていた、自分を納得させるためのひとりよがりな結論があった。天国、そう呼ばれたような場所はない。もしくは、
「ロクな場所じゃねえんじゃねえか。痛みも苦しみもないなんて、おれには良いところには思えないがね……」
 ――そのとき。
 全身にぞわりと悪寒が走った。
 直後、騒がしい叫び声と、右手から――目の眩むような、光が放たれるのを見た。
 あれは、サビエルの退霊術だ……!
 誰の叫び声なのか考えたとき、子分たちの顔が目の前に浮かんだ。
 考えるより早く、スニークはバルコニーを飛び出していた。
 三階というのは、思いの外に高い。普段ならもちろん平気だが、飛び出した瞬間、今度は左手側から差し込んできた絶対的な輝きが、スニークの霊力を焼き尽くさんとした。
 朝日だ、朝日が昇っている!
 あの晩手を取って躍った場所に、どしゃりと落ちた。すぐ起き上がりバルコニーを振り返ることもなく夢中で走った。いそげスニーク! 山肌から太陽が顔を出す、日差しが猛然と突き刺さってくる、急激に体が重くなる。どたどたと庭を突っ切り、長く伸びた塀の影まで、あと二歩、あと一歩、そして飛び込んだ。
 全速力で影の中を突き進むあいだ何も考えられなかった。正門の前に辿りつき、影を飛び出した。
 丁度、サビエルとその一門が放った魔除け札が、ゴースの何人かの顔に貼り付いたところだった。
 断、末、魔。の叫び――ぞっとするような光景が頭を過ぎって――その眼前へアッチッチが飛び出し、ゴースたちが霧散する直前に間一髪、札を焼き払った。追撃とばかりの無数の札を、ミタナァが黒い腕で切り裂き、リモコンが電撃で吹き飛ばした。
 彼らの間にスニークが割って入る。強力な『さいみんじゅつ』は弟子たちを一瞬で眠らせた、だがサビエルには通じなかった。
 手負いの子分を背後に庇い、睨みあう。
 『シャドーボール』の一発でもかませど、大人しく食らうようなヤツじゃあない、だけど、――あのアリスの父親なのだと思うと、どうしても手荒な真似ができなかった。
 濃い『スモッグ』を撒き散らすと、太陽の光をさえぎって、力が戻った。子分たちを引きつれて、手近なマンホールへと、スニークは敗走した……。
 すべてのゴーストが滑り込みマンホールを蓋した瞬間に、外光を通す穴の全てが強力な魔除け札で塞がれた。もうこの出口は使えないだろう。魔除け札に消されかけたゴースたちが呻くのを見ると、何故こんなことに、と怒りは沸けど、何故、の理由が分からない。
 ボロ布のへしゃげた首を引き摺りながら、ミタナァが走り寄ってくる。どこに怒りをぶつけていいのか分からず、スニークは吠えた。
「オメェがいながら何してんだ!」
「スニークこそ、何してるんだよ!!」
 甲高いミタナァの声が下水道じゅうに反響して、ざわめきが抑え込まれる。
 はっとした。腕を組み壁際に立つアッチッチも、不安げに身を竦めるリモコンも、大小無数のゴースたちも。一様に、スニークの顔を見ていた。
 怒りが冷えると、今度は肝が冷えた。ないはずの心臓が固まった。
 子分たちを危険に晒したのが、自分なのだと、みんなの目を見て、スニークはようやく気付いたんだ。
「もう朝だよ!? あの家はサビエルの家なんだよ、屋敷の中で朝を迎えたら、いくらスニークでも絶対につかまっちゃうよ!」
 本当にボロ布になったボロ布の下から滑り出してきた黒い手が、スニークのスーツの襟口を掴む……。震える手がスニークを揺さぶった。ミタナァはスニークの目を見ない。ただただ叫び続けるだけ。
「ねえ、そんなに人間のところに行きたい!?」
「ボクたちのこと、本当に、もうどうだっていいの!?」
「――ずっと楽しくやってきたのに、ひどいよ!!!」
 叫ぶ。叫ぶ。スニークは何も言い返せないし、誰も何も言えなかった。いくつもの目が声と共に、スニークに哀願するだけだった。
「ボクらはみんなスニークのことが大好きなのに、スニークは、あの子の方が大事なんだ!!」
 ぶんと手を振り切って、ミタナァは走り去っていく。
 ゆっくりと散り散りになっていくゴースたちの輪の真ん中で、スニークは肩を落とした。ミタナァの声が、幾重にも反響して、スニークの耳の奥を突き続けていた……。



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



 朝が来て……、昼が来て……、そして……夜が来た。
 結局、あの戦いで大怪我をした者はいなかった。魔除け札に消し飛ばされかけたゴースたちも、夕暮れ時には幹部室に元気な顔を見せに来たんだ。それ以外にも、いくつかのゴースがかわるがわる会いに来て、スニークに慰めの言葉を掛けていった。スニークは嬉しかったに決まってる。でも、子分たちが優しすぎることは、たまらなく辛いことでもあった。
「……心配ないでやんす。アニキに悪気がある訳ないこと、あっしたち、皆分かってるでやんすよ」
 消沈して、ベッドに脱ぎ捨てていた一張羅。スパンコールはところどころ剥げ落ちている、ミタナァに繕ってもらわなきゃいけない。リモコンは、それをハンガーに掛け直し、シャツにアイロンをかけ、ハットの埃を払ってくれた。放心しているスニークに、ずっと話しかけ続けてくれた。
「ミタナァも、悪気はないでやんすよ。……あいつ、寂しん坊でやんすから。そんで、スニークのアニキのこと、大好きでやんすから。心配してるでやんす。……あっしたちも、みんな、でやんす」
「そのアニキがよ、子分たちに助けられて危険に晒してちゃ、ざまァねえよな」
 スニークが低くぼやくと、その真上のウォールランプへと、リモコンはするりと入り込んだ。
 じりじり音を立てながら、やわらかな明かりが灯る。
 スニークがのぼれなかった、あの階段の光を思い出した。眩しくって、スニークはちょっとだけ目を背けた。
「アニキが来る前、あっしたちゴーストは肩身の狭い思いをしてたでやんす。マンホールの下に閉じ込められて、毎日言い争いばかりしてたでやんす。スニークが来て、あっしたちをまとめてくれて、皆明るくなったでやんす。この街で生きているのが、面白くなったでやんすよ」
「ゴーストが、生きるのが面白いたぁね」
「そうでやんす、毎日楽しいでやんす!」
 ウォールランプの青色の目が、弓なりに笑った。
「スニークのアニキは、元は人間だったでやんすよね」
 少し控えめなリモコンの声に、スニークは神妙に頷いた。
 幹部たちには一度話したことがあった。この街で、ゲンガーとして目をさましたとき、スニークは何も覚えちゃいなかった。自分の名前が『スニーク』であるということ、自分が人間だったはずであることだけ、持ち越して、ゲンガーへと生まれ直した。
 人間は好きだ。人間を恨んでいるということはない。ゴーストを恨んでいるということもない。だが、人間であったはずなのに、死してゴーストと成り果てた自分に対しては、ずっと、腑に落ちなくて……、スニークはひとりで、とある秘密を抱き続けてきたんだ。
「人間に、憧れているでやんすねぇ」
 ランプをちりちりと瞬かせながら、リモコンがしみじみと言う。んなこたねぇよと返しながらも、内心はその通りなのだろうと思う。
 抱き続けてきた、スニークの密かなわがまま……。
 人間が楽しそうにしている様に割り入って、楽しく騒ぐと満足した。人の営みの中に加われているような気がした。人とゴーストが垣根なくはしゃいでいる姿を見ると、理由は分からなくても、満たされた。
 満たされていたはずなのに……、挙句、恋まで、してしまったのだ。
「みんな、分かってるでやんすよ、アニキのこと。……ミタナァも分かってるでやんす」
 人間に焦がれた自分のことを、みんな、分かって、ついてきている。
 自分に掴みかかってきた黒い手が震えていたことを思い出して、スニークは目を閉じた。
 昨晩のことを思う。明け方、スニークが帰るタイミングを待ち受けていたようなサビエル一門の数だ。サビエル邸の結界は一層固くなるだろう。いや、どれだけ結界が強固だとして、力の強い自分は会いに行けるだろう。だが、自分ひとりの満足のために仲間を危険に晒すことなど、出来るはずがないじゃないか。
 まぶたの裏に、アリスの笑顔が浮かんで、消えた。
 二度と会えないかもしれない。
 ないはずの心臓が、ぎゅっと握りしめられたような気がした。そして、行ってしまえば、もう二度と、みんなに会えないのだろう。ミタナァにも、リモコンにも、アッチッチにも、大小無数のゴースたちにも。自分を慕ってくれたすべての子分たちに、二度と会えなくなるのだろう。
 光と、影だ。アリスは邸宅の中に生きている。スニークはその足元に控える影だ。せいぜい夜か、そうでないならマンホールの下が、ゴーストどもの生きる世界だ。光と影の大きさは反比例する。光が強くなれば影はやがて行き場を失い、影が深まれば、光は孤独になっていく。共存などできない。交わることもない。
『お友達になってくださる?』
『お……おれの嫁さんにならねえか』
 スニークは思う。なんと――馬鹿なことをしていたのだろう、と。
 最初から、足元の、影でいるしかなかったのに。


 カツン、カツン、と乾いた音を鳴らしていたものが、スクラップを飛び越えて、淀んだ幹部室に飛び込んできた。
 アッチッチだった。アッチッチは尖った足先で、カツンとウォールランプの上に降り立った。
「前を向きたまえ、我らが影の頂よ。……小娘のことが色々と分かった」
 はっと顔をあげたスニークと一緒に、ウォールランプの目も、はっと上へあがった。急いで戻ってきたのか、青い炎は猛然と揺れ、幹部室全体の影まで、長く短く揺らめいていた。それはまるで、影自身が、生きて動いているみたいで……、
 アッチッチの目は、この期に及んで、イキイキと輝きを放っている……!
「君のことも調べたよ。スニーク」
 リモコンの動揺を映して、カッ、とウォールランプが光を増す。
 その光からも、アッチッチの眩しさからも、今度は目を逸らさなかった。


 『おしごとちゅう なんぴともみるべからず』
 という文字が浮き上がったボロ布が、プライベートルームの入り口に掛かっている。ミタナァずっと引きこもってるでゲス、近寄らない方がいいでゲス、と制止するゴースたちを振り切って、スニークは駆け寄った。
「ミタナァ、聞いてくれ!」
 ボロ布が掛かっている、というが、ミタナァの霊力のこもった布なので、そんじょそこらの木製扉よりうんと強固だ。入口のボロ布を拳でどんどんと叩きながら、中にいるはずのミタナァへ、スニークは叫んだ。
「助けに来てくれてありがとな。オメェの気持ち察してやれなくて、すまねえ。でも、ミタナァ、分かってくれ! 決めたんだ。 おれ、今からアリスを――」
 どん、と再び叩こうとした手が、するりと布へ吸い込まれた。
 急にただの布に戻った布へ勢いのまま突っ込んで、スニークはプライベートルームへ転がり込んだ。持ってきたスパンコールの剥げたスーツが、腹の下でぐちゃぐちゃになった。
 種々様々な布を張り巡らしたミタナァのプライベートルームには、独特の陰気が充満している。真っ暗な部屋の一番奥で、小さな影が、こちらを振り向いた。
 ボロ布の首は、無残にへし折れたまま……
 ヘドロみたいに淀みきったピカチュウの顔が……逆さになって……
 見つめてくる……恨めしげに
 そしてその腹部で、
 ふ 
   た

  つ

   の
  目
    が

 「 見 た な ァ ……!」

 あまりの気迫に、スーツを抱えへたり込んだまま後ずさりしかけたスニークの目の前へ、
 ――ミタナァは腕を伸ばして、あるものを突き出した。
 思わぬものが、目の前に揺れていた。スニークは目をまんまるにして、へ、と間抜けな声を漏らした。背後で様子を窺っていたゴースたちも、おおっ、と歓声をあげた。
 そしてミタナァはと言うと、
 仕立て上がったばかりの――、
 真新しい――、
 めちゃくちゃかっこいい――、
 スーツ一式を――!
「――スニークの、ばかああああああぁ!!」
 スニークに、ぎゅっと、押し付けた!!
「デブでのろまで短足のスニークなんか、これ来ておムコに行っちゃえばいいんだ!!」
 夜にも映えるほど真っ黒の、シャークスキンの、渋くてシックで華やかなスーツ……! スニークはじっとそれを見つめ、そしてミタナァに目をやった。被るボロ布は首が折れたボロ布のまま。自分のトレードマークを修理するより先に、新しいスーツを仕立ててくれたのだ。
 そう……、スニークが、プロポーズを、キメるために……!!
 ミタナァは、ボロ布のお腹の目の穴から、大粒の涙を流していた。
「それならあの小娘にも馬鹿にさせないよ、絶対似合うもん足だって長く見えるもん、だってボクがスニークのことだけ考えながら一生懸命縫ったんだから!!」
「ミタナァ、オメェ……」
「フラれたら、絶対に許さないから!! 一生呪ってやるんだからああァ――ッ!!」
 ばかばかばかぁ、と言いながら、黒い腕が伸びてきて、ぎゅうとスニークを抱きしめる。
 ボロ布の上から、ミタナァの小さな体を、スニークも強く抱きしめ返した。



 ・ ● ■ ■ ■ ■ ● ・



 鮮やかな夕焼けがどんどんとくすんで、稜線に呑み込まれていった。
 久々に見た父が、険しい顔をして部屋の中を見回した。絨毯ように積もった埃に足跡をつけながら部屋を進み、閉めきった窓に、厳重に魔除け札を貼った。その背中がドアをくぐって見えなくなるまで、アリスはベッドに腰掛けてずっと眺めていたが、ついに視線が合うことはなかった。
 とっぷりと日が暮れ、雲の向こうから出たり隠れたりする月が、部屋を照らしたり、照らさなかったりする。父が窓は閉められているべきと考えるなら、アリスもその方がいいと思えた。あの表情に深く刻まれた皺を思うと、ラジオも鳴らさない方が良い気がした。何をするでもなく、アリスは時間が過ぎるのを待っていた。
 と、――『何もしていない』はずのラジオが、突然、音を鳴らし始めた。
 『ないはずの』心臓が跳ねる。赤く灯った小さな電源灯の向こうに、二つの青いいたずらな瞳が、こちらを見つめている……。
 チューニングつまみがじわじわと回り、いくつかの局を跨ぎ歩いた砂嵐が、ふとおさまる。
 スピーカーの向こうから流れる無音……。
 緊張気味の誰かが、エヘン、と咳払いをした。
『アリス!』
 聞き馴染みのある声が、これまた、随分と気取っている!
『――今から、オメェを連れ去りに行く!』
「……まあ」
 ぶつりと音が切れた、砂嵐が戻ってきた。口元に手を当て、アリスの頬は、ラジオに向かってふわりと弛んだ。
 ――驚かされるなんて、びっくりだ。
 昨晩からのつめたい気持ちが、ほっこりと、あたたかくなっていく。
 ラジオの瞳を覗き込む。青い三日月の形と、笑いあった。
 窓辺に駆け寄る。開かない窓の向こう。見えるか見えないかの位置にある門のあたりで、いつかのパーティで見た青い火が、爆炎になって巻き上がったところだった。
 白いトゥシューズの踵を返す。
 父親はドアには札を貼らなかった。ドアノブに手をかけるまでもなく、アリスは部屋を飛び出した。


「行くがよい、――愛の騎士よ!」
 集まった大勢の弟子たちが、面白いほど慌てふためいていた。アッチッチの放つ無熱の火の中でゴースたちが躍り狂う、その一様に愉快な目が、スニークへキザなはなむけを送った。スニークは正面玄関と走り出した。
 これ以上黒くできないだろうというような、あざやかなまでの漆黒。ブラックのシャークスキンとはこれまた珍しいが、クールとヤンチャを兼ね備えた上品な色合いだ。キンと冴える白シャツに、ドクロをあしらった銀のカフスが輝く。その手に携えられているのは、そう、――真っ赤なバラの花束だ。
 巨大な花束を仰け反るように抱えながら、どたどたと走っていく。ミタナァの霊力で作られたスーツはともかく、実体のある花束を抱えていては、影に溶け込むことはできない。影の中を移動できなければ、ずんぐりむっくりのスニークは、ただの短足のノロマなのだ。
 玄関前で待ち構えていた弟子たちが、好機とばかりに魔除け札を放つ。スニークに向かいまっすぐ飛んできたそれらを、後ろをついてくるミタナァが『シャドークロー』で撃ち落とす。戸惑う子分たちを、花束の向こうから、
「べろべろばあーっ!」
 出た、スニークお得意の『変顔』――舌を振り回すオマケつき!
 渾身の変顔がキマり、弟子たちは揃って腰を抜かした。片足で扉を魔除け札ごと蹴破ると、ふたりは屋敷へ侵入を果たした!
「絶対にキメてよね。かっこ悪いとこ見せないでよね」
 床の上を滑るように移動しながらミタナァが言う。花束を片腕に抱え直し、シルクハットのつばを持ち上げながら、スニークはニヤリと笑った。
「おれを誰だと思ってやがる!」


 スニーク・ライムライト――享年十八歳。ウェットティッシュの有力者の息子で、騎士の家系の生まれながら、豊富な霊力も携えていたのだと言う。
 皆に愛される、紅顔の美少年であった。剣の訓練にも魔術の勉学にも、毎日真面目に取り組んでいた。歳の離れたの妹がいて、大層可愛がっていたのだそうだ。だがあるとき、妹が事故に巻き込まれ、それを助けようとして、非業の死を遂げてしまった。
 妹を助けることもできなかった。妹は訳も分からぬまま先に逝き、兄は妹を助けられなかった未練の中、無念を抱いて死んでしまった。――その未練が、成仏を思いとどまらせ、己をゲンガーへ成り果てさせたのだ。
 アッチッチが調べ上げてきた前世の顛末を簡単に聞かせると、ミタナァはけらけらと笑い声をあげた。
「十八歳? ウッソォ? 五十歳くらいのオジサンじゃなくて?」
 そうやって、笑い飛ばしてくれたから、そう、……スニークはホッとしたんだ。
 アッチッチの話を聞いたとき、自分が人間に固執していた理由を、本当の意味で知った気がした。人でないものへ成り果ててからも人と交わろうとする自分を、惨めに思うヤツもいるだろう。だが、その惨めな足掻きの末に、子分たちの笑顔があるなら。人だった頃の自分の未練も等しく抱いたまま、これからも愉快に交わっていたい。仲間が一緒にいてくれるから、そんな風に、スニークは思うことができたんだ。
 次から次へと扉が開き、うじゃうじゃ弟子たちが現れる。乱れ飛ぶ魔除け札の中を歯を食い縛ってスニークは駆け抜けた。颯爽なんてとてもじゃないが言えない、泥くさい彼らの突破劇は、スニークが驚かし、ミタナァが札を切り裂き、リモコンが途中から加勢して、照明を操り目を眩ませる。玄関で多くの弟子を引きつけてくれたアッチッチと大小無数のゴースたちも、まだ粘ってくれている! 長い廊下を右へ左へ進んでいき、怒涛の人波を掻い潜って最後の扉をぶち開けた。あの大階段のある大広間が、目の前に広がっていた。
 サビエルはそこに腕を組んで立っていた。
 視線をあげれば、
 そこには白い、
 ――光の大階段の上で、アリスがひとり、立ち竦んでいる。
「……!」
 どかんと扉を閉め、流れ込もうとする弟子たちをミタナァとリモコンが呻きながら押しとどめる。ふたりの小さな体ではそう長くは持たないだろう。足元から光を放つ階段は、ゴーストのスニークには身体に毒だ。リモコンに照明を操ってもらうことも今は頼めそうにない。
 スーツを着……、ハットを被り……、バラの花束を抱えるスニークを……、
 腕を組むだけで、サビエルはじっと睨んでいた。
 睨みあっているうちに、スニークは、サビエルの考えを直感した。
 これは、勝負……! スニークは『試されている』!
 仰ぎ見る光のきざはしの先に、待つ、この身が初めて恋した少女へ。
 ニッ、と、笑い。
 ――スニークは走り出した。壁じゃなく、もちろん階段に向かって!
 影色の足が光を踏んだ途端、めまいが身をつんざいた。体中に満ち溢れる霊力が発火して焼き切れていくみたいだ、それでも一心不乱に、どたどたと、スニークは階段を駆け上がった。
 スニークは思い出していた……マンホール・ハウスを出る前、考えて辿り着いた答えを。光と影は、確かに共存できない。交わることもない。影は光の足元にある。だが、光のみに満たされた部屋では、光は光として、もはや意味をなさないのだ。
 光があるから影が生まれる。影という輪郭があるからこそ、光は誰かの目に描かれる。
 表裏一体だ。それぞれに、それぞれの価値があり、役目がある。
 影は影としてしか生きられないが、闇として生きねばならぬ道理はない。
 影ならば、胸を張って、――我らは、影の中を、生きようではないか!
「アリス!!!」
 次第に霊力が底を尽き、這うように段をのぼるスニークが叫んだ。
 アリスは唇を噛みしめて、トゥシューズに包まれた爪先を、勢いよく光の階段へおろした……!
 光に包まれた、大階段の中腹で、
 ――ふたつの『影』が、今、交わった。
 派手な音を立て扉が破られ、ミタナァが吹き飛ばされリモコンはぐるぐる回りながら宙を横切り、折り重なるにして弟子たちが雪崩れ込んできた。階段を睨み、一斉に札を取った弟子たちを、サビエルが、片手で制した。
 老いた眼が、ずいとスニークを見上げる。
 階段の真ん中で、アリスに取られた手を、スニークは離した。
 そして、あるのかないのか分からない片膝をつき……、
 真っ赤なバラの花束を……、
 目の前の少女へと、差し出した。
「――おれの嫁さんになってくれ! ……それがダメなら、」
 胸の前で手を組み呆然とするアリスの目へ、
「おれの、子分になってくれ!!」
 スニークは、強く……! 言ってみせたんだ……!!
 大広間に響き渡る、一世一代のスニークの告白……。しんと静寂が包み込む。訝って見上げる子分たちの背後で、起き上がったミタナァがククッと笑い声を堪えた。ようやく回転しおわったリモコンが、ぐるぐる目を回しながら笑んだ。
 アリスは……ぽかんと口を開けていた。ないはずの心臓が、どきどきと高鳴っているのを、感じていたんだ……そして大きな花束の後ろに隠れた、自信満々のスニークの顔を、横から覗き込んだ。
「……でも、あたしは」
「もう、死んでる、んだろ」
 ニヤリと、スニークが裂けた口から白い歯を見せる。
 胸の前で重ねた手を、ぎゅ、と、アリスは握った。
 見下ろすと、父の、……もう、おじいちゃんのようになってしまったよぼよぼの目は、こちらを見上げていたけれど、アリスのことは、見ていない。スニークだけを映していた。
「……二十年前、オメェはバレエの練習をしていて、あのバルコニーから誤って落ちて死んだんだ。そんで、地縛霊になっちまったって訳さ」
 最初の頃は、アリスのことを『感じて』いたような父も、歳を重ねるごとに力が衰え、次第にアリスが傍にいることさえ分からなくなっていった。昔はよく部屋を掃除しにきてくれたり、そこで感傷に浸ったりしてくれていたものだったが、いつしかそういうことも少なくなっていった。
 あれから随分と時間が経った。アリスはずっとひとりぼっちで、このお屋敷を離れることができなかった……そう、『未練』が……この場所に、アリスを縛り続けていた。
「……パパを悲しませてしまったわ」
「でも、もう、あいつも悲しんでばかりじゃないだろ?」
 ない顎でサビエルを指しながら、スニークが笑う。
「あいつ、鬱陶しいほどイキイキしてるぜ、おれたちとやりあって!」
 アリスは知っている。ラジオが教えてくれたんだ。
 父が、アリスのところに来なくなったのは、何も『感じられなくなった』からだけではない――忙しくなったから。スニークがゴーストを率いはじめて、弟子だけの力では抑えられなくなったから。屋敷にこもり、悲しみに暮れるばかりだった生活に、もう一度役目が与えられたのだ。
 スニークが現れてから、サビエルは変わった……。うまくゴーストを追い払えれば弟子たちと一緒に喜び笑い、ゴーストどもにしてやられれば悔しがって本気で怒った! 老け込んで、死を待つだけだったような父は、どんどん活気を取り戻していった。
 だから、次は、――自分の番だ。
 スニークはもう一度、高く花束を掲げた。ひとりで何か喋っていたスニークが動いたので弟子たちは一斉にざわめいたが、サビエルだけは、ただただ、口を引き結んでいた。
「おれたちと、一緒に行こうぜ。
 こんな屋敷に閉じこもってないで、いっぱい面白いことしようじゃねえか!」
 アリスは眉を寄せ……、
 きゅっと微笑んで、頷いた。
 花束が、アリスの透明な手の中を、かすめた。ぽんぽんと音を立て、真っ赤な花びらを散らしながら、ひとつずつ光の階段を落ちていった。
 それがサビエルの足元に転がったとき、サビエルの視界の真ん中のあたりで、スニークのずんぐりむっくりに、アリスがぎゅうと抱き着いた。
「新しいスーツ、とっても似合ってるわ」
 泣き笑い、アリスが言う。
 そりゃあミタナァが仕立てたスーツだからな、と、スニークは得意げに胸を張った。



 ・ ● ■ ■ □ ■ ■ ● ・



 弟子は追いかけてこなかった、札も飛ばしてこなかった。みんな引き下がっていった。
 アリスを連れて、横を通り過ぎるあいだ、スニークはサビエルと目を合わせていた。笑うでも、泣くでもない顔をしていたから、任せとけと、自信満々に笑ってやった。
 ……サビエル邸はもう、夜中に突然電気がつく、三階の窓がひとりでに開く、無人の部屋からラジオが流れる……なんて怪奇現象に悩まされることはなくなるだろう。彼らが結界をどうするのかは分からないが、もし弱めると言うならば……、また皆で、パーティーにお邪魔してやればいい。
 秋の風が吹き抜ける、爽やかな夜。屋敷を抜け、門まで続く庭園を、彼らは堂々闊歩する。
 点々と佇む街灯の下、先陣切って歩くのは? ――もちろん、ゲンガーのスニーク。その横にミミッキュのミタナァ、ロトムのリモコン。少し離れた街灯の傘をカツンカツンと跳んでいくのは、ランプラーのアッチッチ。縦横無尽に飛び交っている、大小無数のゴースたち。そして、彼らに守られるようにして歩いていく、幽霊の少女、アリス。
 まっしろなドレスに散らされていた真っ赤なバラのような模様が、だんだん薄れて消えていった。ドレスの端をちょんと摘まんで、アリスはくるりと回ってみせた。そっちの方が綺麗じゃねえか、とスニークが言えば、ノロケちゃってさあとミタナァがわざとらしくむくれ、大小無数のゴースたちが口々に囃す。アリスは笑い声をあげた。
「でも、ずっと別のドレスも着てみたかったのよ」
「じゃあ、ボクが特別に仕立ててあげるよ。スニークとおそろいの真っ黒なドレスなんてどう?」
「まあ、素敵! お願いしてもいいかしら?」
「任せといてよ!」
 開かれた門扉の真ん中を、ゴーストどもが、次々とくぐっていく。
 大きな門を見上げ、それを通り抜ける前に、
 アリスは一度振り返った。
 三十年間暮らしていた、大きな屋敷が、どっしりと構えている。その玄関口に、人影がひとつ佇んでいた。賑やかに屋敷を後にしていくゴーストどもを、腕を組んで……、サビエルは見送っていたんだ。
 深く皺の刻まれた、……大好きな、パパの顔に。
 アリスは小さく手を振った。
 くるり振り返り、軽やかにスキップしながら、サビエル邸の門を抜ける。真夜中、ウェットティッシュの四番街。そこはもう、ゴーストどものランウェイなのだ。
 アリスのスキップが先頭のスニークを追い抜くと、スニークが、ミタナァが、そして宙に浮いているリモコンやゴースや、そもそも一本足しかないアッチッチが、一斉にそれを真似しはじめた。どいつもこいつも、びっくりするほど、へったくそなスキップの群れ!
 何か思い出したのだろうか、スニークの紫色の顔は、紫でも分かるくらい真っ赤に染まってる。あとで練習しよっかと、アリスはけらけら笑った。
 さてさて……、夜は、まだ始まったばっかりだ。
 影たちは意気揚々と、街へ繰り出していくのだった。さあ、次なるパーティを求めて――!