モモちゃんのワシボン

水素
テーマA:「ラジオ」「上昇気流」「反比例」
編集済み
「おかーさーん、おかーさーん、あけてー!!」
 お母さんは、モモちゃんの急いだ声を聞いて、コンロの日を消しました。
 ふつふつと、弱火で煮込んでいたクリームシチューから白い湯気がふわふわと立ち上り始めます。
 スリッパのまま、お母さんはパタパタとドアの前まで小走りで急ぎました。
「なになに、どうしたの」
 ドアを開けると、ぐったりとした毛玉を腕に抱えたモモちゃんがいました。
「あら……」
 その毛玉には、物をがっしりと掴めて、そして鋭い爪も生えている、鳥の足が生えていました。毛玉は、頭のもふもふとした毛でした。
 ひょっこりと、おでこから生えているらしき一つ大きな羽がその頭の後ろから見えました。
 ここ辺りでは、見ることのないポケモンでした。
「この子、うちの近くでたおれてたの。お母さん、助けてあげられない?」
 お母さんは、そのポケモンをじっと見てから、注意ぶかく、体をなでました。
 体をひっくりかえして、顔を見ると、きゅう、きゅう、と弱い声で鳴いていました。どこをなでられても、痛みを感じるような声は出しませんでした。
「お腹、へっているのかな」
 でも、お家にはポケモンフーズはありませんでした。お父さんは、コドラを持っていましたが、コドラの食べ物はポケモンフーズではなく、鉄くずでした。
「ちょっと待ってね」
 そう言って、お母さんは家の中にぱたぱたと戻ります。
「大丈夫だからね」
 きゅう、と弱々しく、そのポケモンは鳴いて、顔を横に向けました。
 少しして、お母さんがお椀を持って、戻ってきました。
「……、ミルタンクのモーモーミルクで作った、栄養たっぷりのクリームシチューよ。ちゃんと冷ましてあるから」
 そのポケモンは、くん、くん、と匂いを嗅いで、それから一気に食べ始めました。がつがつ、と、ごくごくと、そのポケモンは一心不乱にクリームシチューを食べました。
「あら、もうなくなっちゃったわね。モモ、またちょっとそこで待っててね。そのポケモン汚れてるし、お家に入れるにはちゃんときれいにしないと」
「……うん! ありがとう!」
 モモちゃんは、このポケモンを気に入っていました。顔を覗こうとすると、ぷい、と目を背けてしまいますが、その様子もモモちゃんは気に入っている様子でした。

 夜、ソファの上ですやすやと眠るそのポケモンを、帰って来たお父さんが見つけました。
「ワシボンじゃないか。こいつはイッシュのポケモンだぞ。どうしてこんなところに」
「いっしゅ?」
 きゅっ、きゅっ、とコドラの体を磨きながら、モモちゃんはお父さんに聞きました。
「遠い遠い、海の向こうの国さ」
「どの位遠いの? シロガネ山くらいまで?」
「そんな、目に見える近さじゃないさ。シロガネ山まで、うーん、100回往復する以上の遠さだと思うよ」
「ひゃっかい!」
「もしかしたら、200回、300回、それ以上かもしれない」
「ふええええっそんな遠くから来たんだ、この鳥さん!」
「……うん、そうだね」
 お父さんは、そうでないことを、もちろん分かっていました。
 太平洋を横断できるポケモンなんて、そうそう居ません。進化する前のポケモンが太平洋を横断するなんて、あり得ないことでした。
 このワシボンは、悪いことを考える誰かに、このジョウトに連れて来られたのです。
「夜ご飯の支度できてるからねー」
 お母さんが呼びかけました。今日は、モモちゃんの大好きなクリームシチューです。
 お肉のおいしさもともかくですが、サラダとかで食べるとそんなにおいしくない野菜もシチューに入るとふしぎと甘く、モモちゃんはそのいつもと違う野菜の味が大好きなのでした。



 夜ごはんの後、モモちゃんはラジオを聞き始めました。毎日の日課です。
 お父さんがラジオを好きで聞いていたのを、モモちゃんも聞き始めて、いつの間にか日課にもなっていたのです。
「今日のお話は、シロガネ山のお話です」
「シロガ、シロガネ山ね」
 モモちゃんは、大声で叫びそうになったのを抑えて、言い直しました。
 大声を出しているとラジオが聞こえない、とお父さんに叱られるからです。
「皆さんのシロガネ山のイメージと言えば、何でしょう?
 日本一高い山? トレーナー達の修行する場所? おとぎ話にも出て来る神聖な山? 屈強なポケモン達が棲む魔境?」
 モモちゃんは、シロガネ山の高さが、自分の身長の3000倍以上あることを知っていました。シロガネ山の高さがさ3776m、であることも覚えていました。でも、それ以外のことは知りませんでした。
 分からない言葉も多くありました。
 でも、話す人の喋り方で、どういうことを話しているのか、ということはなんとなく分かりました。その喋り方に連られて、モモちゃんも悲しくなったり楽しくなったり、しんみりしたり怒ったりするのです。
「――カメラマンが相棒のブースターと山に籠って五日後に撮った写真は、ゴウカザルが天然の温泉に入っている姿でした。
 炎タイプであっても、温泉の気持ち良さは変わらないのだろうと、そのカメラマンは後に語っていました」
 気付くと、ワシボンは目を覚ましていました。モモちゃんは小声で、じっとしていた方が良いよ、と言いました。
 ワシボンは、ぷい、と目を背けましたが、モモちゃんの言葉は通じたのか、あまり動こうとはしませんでした。
 モモちゃんは、ワシボンの隣に座り直して、ラジオを聞き続けました。
「――食糧の大半が尽き、そろそろ下山しなくてはいけない頃、とうとうバンギラスの姿を撮影することが出来ました。
 この山の、ヌシと呼ばれている存在のようでした。
 カメラマンは、じっと息を潜めて、カメラのレンズを慎重に絞りました。
 歩く度に、ずん、ずん、という音までは流石にしなかったが、まるで聞こえてくるかのような存在感があった、とカメラマンは語りました。
 岩の鎧を身に纏う巨獣。ポケモンとしては、カイリューやボーマンダと同格の力を持つとされています。
 怖くなかったのですか、と聞いたところ、カメラマンは少し悩んで、答えました。
 怖かったけど、怖くなかった、というのが一番近いかな。
 怖かったけど、怖くなかった?
 バンギラス自体は流石に怖かったけどね、見つかったらヤバいよな、とか。でも、あくタイプがそのまま悪者じゃないってことと同じでさ、そいつはシロガネ山という日本一でかい山という厳しい自然の中で、他のポケモン達と一緒に暮らしているコミュニティの一員であることには間違いなかったんだ。一端に書かれている、山や川を荒らして地形まで変えてしまうとか、そのバンギラスがするようには思えなかった。
 それが、怖くなかった、という理由だ」
 モモちゃんはふと、ワシボンの方を見ました。
 ワシボンは、真剣にラジオの方を見ていました。ワシボンもお話を聞いている様子でした。
「分かるの?」
 ワシボンは、答えませんでした。
 分かるのは、ちょっといやだなあ、とモモちゃんは思いました。私より頭良いって思われちゃう。
「カメラマンは最後にまた、温泉の写真を撮って帰ることにしました。
 そしてそこには、ゴウカザルと、バンギラスが居ました。
 カメラマンは言いました。
 ……どちらが上なんだ? って思ったね。ゴウカザルの素早さと格闘術なら、バンギラスに勝てるだろうからね。
 写真にはさながら人間のように、背中を凭れて温泉に入っているゴウカザルと、その向かい側にぼうっと空を眺めながら温泉に入っているバンギラスがいました。そこには微塵も、平和を乱すものは感じられませんでした。
 まあ、どっちがヌシだろうと大して問題ないんだろうな、とカメラマンは締め括り、下山しました。
 カメラマンは、最後にこう言いました。
 トレーナー達が修行に入ることもある、というのも良く知っている。けれども、ここにも厳しい自然の中で平和に暮らしているポケモン達がいる。それは、絶対に忘れないでほしい」
 その少し後に、ラジオは終わりました。
 今日は、むずかしい話だったけど、なにか、大切なことを学んだ気がしました。
 ワシボンはまた目を閉じて、そのままソファで寝始めました。
 モモちゃんも、眠くなってきたので寝ることにしました。



「あ、起きた」
 ワシボンは起きてすぐに、びくっ、と思わず震えてしまうほどに、とても恐怖しました。なぜなら、目の前にはモモちゃんの顔がとてもとても近くに、モモちゃんの顔しか見えないほどにあったからです。
「ワシボンが驚いているでしょほら。そんな顔を近づけないの」
「はぁい」
 ワシボンは、モモちゃんの顔が遠ざかるとほっとしました。それから、ここがどこか思い出すように、周りを見回しました。
 カラフルな家の中です。茶色いタンスに白い壁。窓際には様々な色の服が干されています。カイスの実の形をした緑と黒の時計もありました。眠っていたソファはだいだい色です。
 体を起こすと、まだ、自分の調子はそこまで良くないことが分かりました。
 けれども、安全な場所に来れたのだと、ほっとしました。
 どこかも分からない場所なのは、連れて来られてから変わりありませんし、元いた場所で多少は聞き取れていた会話も、違う言葉を話すここでは全く聞き取れません。
 でも、ここに居れば安心なのだとだけは、分かりました。
 ぐぅぅ、とお腹の音が鳴ってしまいました。モモちゃんのお腹も同時に鳴っていました。
「あはは、おそろいだね」
 にかっ、とモモちゃんはワシボンの方を向いて、笑いました。
 余り慣れない顔に、ワシボンは顔を少し、背けました。

「――本日6時頃より、グラードンがえんとつ山の火口から出て来ました。今の所強い日照りなどの現象は確認出来ず、近辺を歩いているだけですが、多くのポケモントレーナーがその事態に駆けつけ、警戒をしています」
 ラジオを聞いていると、お母さんが朝ごはんの支度が出来たとモモちゃんをお手伝いに呼びました。
 今日の朝ごはんは、フレンチトーストとサラダでした。
「お母さん、今日のご飯、ちょっと物足りないよ」
「ごめんね、ちょっと今、食べ物少なくなっちゃって。お昼前までに買い物行って来るから、朝だけはちょっと我慢してね」
 ワシボンの前にも、薄い味付けのフレンチトーストが置いてありました。
「人間用の食べ物だけじゃなくて、ポケモン用の食べ物も買って来なくちゃねえ……」
 昨晩、モモちゃんとワシボンが寝てからお父さんとお母さんはお話をしていました。
 早いけれど、このワシボンをモモちゃんの最初のパートナーにしてみよう、ということになっていたのです。
 まだ、モモちゃんは10歳にもなっていないので、自分のポケモン、とはいきませんが、キープしておくことはできます。
 それに進化すれば、ウォーグルになるのです。
「それは大きくて格好良い鳥ポケモンさ。日本のどの鳥ポケモンにも負けないくらいね」
 お父さんはそう言いました。
 けれど、そうしようと決めた一番の理由はやはり、モモちゃんが助けたから、ということでした。
 そういう、運命的なものは、中々あるものではありません。
 また、ワシボンがモモちゃんのパートナーにならないまま、どこかへ去って行ったとしてもそれはそれでモモちゃんにとってとてもいい経験になると思えたのです。
 ポケモンと付き合うには、ペットと主人と言う関係では、絶対にダメなのです。

 お父さんが会社に行ってから、お母さんが家事をしている間、モモちゃんはワシボンとテレビを見ていました。
「最近、27番道路でギャロップ達に混じり、ゼブライカが見えるとの情報が入ってきました。その情報を確かめるべく我々調査団はカメラを持って調査へと乗り出しました――」
 ワシボンは、テレビをじっと見ていました。ぼうっと見ているモモちゃんとは違い、真剣な目つきでした。
「ワシボン、分かるの? わたし、むずかしい言葉ばっかり使われて、あんまり分かんないよ」
 ワシボンは、ちょっと目をモモちゃんの方に向けましたが、またすぐにテレビの方に目を戻しました。
「数日の間、調査を続けてみましたがギャロップの姿こそ見れたものの、ゼブライカの姿は中々見つけることが出来ませんでした。
 こちらに良く来ているという、ワカバタウンのモリミツさんです。
『ゼブライカ? 一回だけ見たね。でも、後ろ姿だけだ。俺が見た時にはもう、先にあっちが気付いて逃げてたんだよ。ギャロップ達も近くに居たが、そいつらは逃げなかったのによ。あいつ、ここのポケモン達の中でもかなり警戒心が高いぜ』
 その後、調査団は定点カメラを仕込むことにしました。これで数日待ってみましょう。
 気になる続きはCMの後!
 筋肉モリモリマッチョマン達による筋肉天国! 頼れる筋肉! 誇れる筋肉! 安らぎの筋肉! 世界は筋肉で出来ている! カイリキー印の筋肉カフェ! 最近58店舗目が出来ました! 場所はコガネタウン6丁目の……」
「筋肉カフェなんて行く人いるのかしらねえ……」
 皿をキュッ、キュッと拭きながら、お母さんが台所から出てきていました。
「私も行きたいとは思わないなあ。ワシボンはどう思う?」
 ワシボンは、目を向けるものの、やはり答えませんでした。
「コドラは答えてくれるのになあ。私の聞き方が悪いのかしら」
 モモちゃんがそう言うと、お母さんが、それは違うわ、と言いました。
「ワシボンはね、きっともの凄く遠くから来たの。昨日、お父さんも言っていたでしょう?」
「うん。シロガネ山まで往復するの、何百回も繰り返さないといけない位、遠くの、海の向こうからって」
「そうね。そっちでは、日本語は喋られていないの。
 こんにちは、はハロー、朝ごはんはブレークファスト、この平たいお皿はプレート」
「へえ、そうなんだ」
「だからね。ワシボンはきっと、こっちの言葉が分からないのよ」
「だったら、どう聞けばいいのかな?」
「えっとね……私も英語がそんなに喋れる訳じゃないんだけど、多分、こうかな?
 ねえ、ワシボン。Do you want to go to muscle cafe?」
 ワシボンは、首を振りました。
「ほら、通じた」
「お母さんすごーい! 私もワシボンとお話したいー」
 その時、テレビが再開しました。
 ワシボンはまた、テレビをじっと見始めました。
「うーん。きっと待っていれば、ワシボンとお話出来るようになるわよ」
「え、どうして?」
「ワシボンはね、私達の言葉を、私達の会話からだけじゃなくて、テレビやラジオからも学ぼうとしているわ。
 ほら、テレビもじっと、集中して見ているでしょ?」
「うん」
「分からないからこそ、ワシボンは分かろうとしているのよ」
「へぇー」
「モモも、分からないからって言って、そのままにしておくのは良くないわよ。
 テレビもラジオも、喋っている話が分かれば、とても面白いものばっかりなんだから」
「分かったー」
 モモちゃんは、ちょっとだけ嫌そうに返ことをしました。
 分からなくても、何となく楽しいのに、とちょっと思っていました。
 テレビの中では、とうとうゼブライカが映っていました。ちょっとやせ気味でしたが、ギャロップ達の中に一匹だけでも、仲間として受け入れられている様子でした。



 数日が経つと、ワシボンはもうすっかり元気になっていました。
 家の中をぱたぱたと飛び回りる程です。
「一回、外に出してみたらどうかしら?」
 休日のある日、お母さんはそう提案しました。
 モモちゃんは嫌だ、とぐずりはじめました。
「だってワシボン、どこかに行っちゃうかもしれない」
「ええ、そうね」
「だったらどうして?」
「ねえ、モモ。モモがずっと、いつも寝る部屋に閉じ込められていたらどう思う? ご飯とかは出て来るのだけれど、外には絶対に出してくれないの」
「……つまらない」
「そうわよね。それは、ワシボンも一緒なの。ワシボン、外を良く見ていたでしょ?」
「……うん。でも、ワシボンが行っちゃうかもしれないの、嫌だ」
「そうね。でもね、お母さん、遠くに行っちゃうとは余り思わないの」
「どうして?」
「ワシボンは、本当に外に出たいなら、ガラスを割ってでも出てるはずだもの。でも、ワシボンはそうしなかった。どうしてだと思う?」
「うーん、やっぱり外に出たくない?」
「色々考えられるかもしれないけど、それは無いと思うわ」
「なら、なに?」
「ワシボンは、うちを気に入っているんじゃないか、って思うの。私達に何も悪いことしてないでしょう?」
 ワシボンは、外に出られなくても、コドラを持っているお父さんはともかく、モモちゃんやお母さんにも当たることはしませんでした。
「でも、そんなの、たまたまかもしれないよ」
「……ねえ、モモ。モモにとってワシボンは、何?」
 いきなり、そんな質問をされて、モモちゃんはとまどいました。仲良しになろうと思っていますが、お父さんとコドラのような、仲良しではまだありません。ワシボンは、モモのことをまだ、余り好きではありませんでした。
 モモちゃんは、それ以外のことを考えていませんでした。
「……分からない」
「じゃあ、どうなりたいと思ってるの?」
「仲良しになりたい」
「仲良しになりたいのに、ワシボンをずっと閉じ込めておくの?」
「…………」
「ワシボンは、モモちゃんのものじゃないのよ。仲良しになったって、ならなくたって、それは変わらないわ」
 モモちゃんは、黙ってしまいました。
 でも、やっぱり、ワシボンがどこかに行ってしまうかもしれないのは、モモちゃんにとってとても、とても嫌なことでした。
 ワシボンは、コドラの上でうとうととしていました。

 モモちゃんが黙ってしまったまま、玄関の扉が開けられました。
 コドラが玄関へのしのしと歩いて行きます。その上ワシボンはうとうととしたまま乗っていました。
 秋の冷たい風が入って来て、ワシボンの体をなでました。ワシボンは目を覚まして、そして、翼を広げました。
「あ……」
 モモちゃんが咄嗟に手を伸ばしました。ワシボンはモモちゃんの方を一度振り向いて、それから、外に向かって飛びました。
「行かないで!」
 モモちゃんは泣きそうになりながら、叫びました。
「行っちゃった! お母さんのうそつき! ワシボンを返して!」
 お母さんは、家の中で叫ぶモモちゃんを半ば引っ張りながら、外へ連れ出しました。
 ワシボンは、風に乗ってはるか高くまで飛んでいましたが、この家の遠くへ行こうとはしていませんでした。
「ほらね、言ったでしょ」
「…………うん」
 ぐすり、ぐすりと涙と鼻水を垂らしながらも、モモちゃんはほっとしていました。
 ワシボンはしばらく飛んでから、家の屋根の上に着地して、そこでまた、長い間じっとしていました。
 その日から、ワシボンは、毎日外で1時間から2時間ほど、外を飛ぶようになりました。
 モモちゃんは、空を飛べるっていいなあ、とワシボンが飛ぶ姿を、毎日飽きずに見ていました。



 月日が経ちました。
 ラジオを聞くのは、モモちゃんにとっても、ワシボンにとっても日課なままでした。
「本日の料理は、クリームシチューです。使う材料は、こまぎれぶた肉200g、じゃがいも3つ、にんじん2つ、ブロッコリー1つ……」
 モモちゃんは、台所で皿洗いをしているお母さんに言いました。
「お母さん、またクリームシチュー食べたい!」
「え、ちょっと聞こえなかった! もう一度言って!」
「クリームシチュー食べたい!! 私がワシボンを助けたときの!!」
「……分かったわ! 今晩、クリームシチューね!」
 
 夜ごはんは、クリームシチューでした。
 お母さんの作るクリームシチューは、いつでも野菜が甘く煮込まれて、とてもおいしいです。
 ワシボンにも振る舞われ、そしてモモちゃんはおかわりをしました。
「いつもよりもっとおいしー!」
「そう?」
「なんか、じゅーしー? って感じ!」
 ワシボンのお皿もすぐに空っぽになり、お母さんは鍋と食卓の間を何度も往復します。
「ワシボン、この頃よく食べるね」
 半月ほど持っていたポケモンフーズも、今は十日ほどで無くなってしまっていました。
「もしかしたら、もうそろそろ進化するのかもしれないな」
 お父さんが、そう言いました。
「うぉーぐるに?」
「ウォーグルにな」
「そうしたら、私も乗せて飛べるかなあ」
「そうだね。モモを背中に乗せて飛べるだろうね」
「でもちゃんと、飛ぶ時は器具を付けないと駄目よ」
「落ちたとしても、ワシボン、助けてくれるよねー?」
 ワシボンは頷きました。
 ワシボンは、少しずつですが、こちらの言葉も理解するようになってきていました。
 がつがつと、ワシボンはクリームシチューを食べ続けました。

「本日のジョウト不思議調査団はお休みとなります……代わりに先日放送した、イッシュの歴史を再放送します」
「えぇー、つまんないの!」
 ジョウト調査団は、この頃、ジョウト地方で何故か見掛けられるイッシュのポケモン達を追っていました。
 先日は同じワシボンを特集していました。姿こそ見つからなかったものの、その内容はとても面白かったのです。
 そのワシボンが、このワシボンかもしれない、と思うと、ラジオに出たポケモンなんだ、そのワシボンを私は助けたんだ、とモモちゃんはちょっとだけ、誇らしいようなそんな気がしたのです。
「イッシュの歴史は、ポケモンと人間の争いの歴史でした。カロス地方やその付近から海を渡ってその大陸に渡って来た人間達は、とても傲慢でした。
 先住民達を殺し、森をポケモンごと焼き払い、土地を都合よく作り変えていきます。
 ポケモン達に加えて、文明も持った人間達の力は、そこで文明に頼らず平和に暮らしていた先住民達には抗い難いものでした。
 そこで立ち上がったのが、三獣士と呼ばれるポケモン達です。
 その三体のポケモン達は、先住民ごと、仲間を纏めあげ、巧みな攻勢へと翻しました。
 文明の力をも跳ね返すほどの連携と策略が、海を越えてやってきたその人間達を一気に劣勢へと追い込んだのです。
 しかし、程なくして三獣士はどこかへと消えてしまいます。
 彼らが去ってしまった理由は、様々な憶測が、今でも飛び交っています…………」
 何か、とても怖い話をしている、とモモちゃんは思いました。
「――最近になって出て来た説では、三獣士達は、ある光景を見てしまったからだ、ということがあります。どこから出て来た説なのかも、曖昧なのですが。
 そしてそのある光景とは?
 気になる続きはCMの後で!
 ごまだれをたーっぷりと掛けた、バンバンジー! おいし~っ、さっぱりしてるのに濃厚~! 秘密はこのごまだれにあります! 国産の職人の手によって丁寧に作られたごまを更に選別して作られたこのごまだれ! そんじゃそこらのごまとは訳が違います! 香りも! 味も! 全く違うものと仕上がっているのです! 一回使えば忘れられない! 二回使えばもう病みつき! 三回使ったらもう戻れない! そんな体験をしてみませんか? 電話番号はXXXX-YYYY-ZZZZでお待ちしております!」
 バンバンジーってなんだろう、とお父さんに聞いてみましたが、お父さんも知らない、と返されました。
「ふーん、そうなの。おいしいのかなあ」
 バンバンジー、バンバンジー。頭の中で繰り返している内に、どこかで聞いた言葉のような気もしましたが、モモちゃんは思い出せませんでした。
「――その説は、学者の間で広まったのではなく、いつの間にかシッポウシティで広まっていた話題でした。
 そのシッポウシティの住民に聞き込みを行ったところ、長身の、緑色の髪の毛の男に関連があるであろうことが分かりましたが、そこから先は分かりませんでした。
 シッポウシティの近くのヤグルマの森では、三獣士の一匹であるビリジオンの目撃情報も入って来ることがありますが、それとの関連は分かりません。
 ……さて、その見てしまったという光景ですが。
 そのシッポウシティの住民たちから聞くところによると、反撃を開始し、あっという間に優位に立ったポケモンや先住民達が、侵略して来た人間達と同じようなことをし始めた光景、だそうです。
 残虐な仕打ちに対し、それと同等の、それ以上の仕返しをする光景を見て、三獣士達は去って行ったという説でした」
 お父さんも、お母さんも、いつの間にか黙っていました。
 モモちゃんはその内容を何となくしか分かっていませんでしたが、ちゃんと分かろうとすることも怖くて、何も聞けませんでした。
 ワシボンは、いつものようにじっと聞いていました。
 ラジオが終わると、お母さんが気を取り直すように立ち上がりました。
「さ、もうモモは寝る時間だわ。明日から、トレーナーズスクールでしょう?」
「うんっ!」
 モモちゃんの希望もあって、他の人より早めにトレーナーズスクールに通うことになっていました。
 成績が良ければ、早めにモンスターボールを使ってポケモンバトルをしたりすることもできるようになります。
 モモちゃんは、ワシボンと一緒に速く、旅もしてみたいと思うようになっていました。
 歯をごしごしと磨いて、うがいをして、寝る前にトイレに行って、そしてお父さんの付き添いで寝ます。
 本当はもう、真っ暗な中で一人で寝るのも大丈夫なのですが、お父さんとぽつぽつ話をしながら眠くなっていくのも好きで、あえて黙っていました。



「――が先日未明に逮捕されました。現在警察は、このグループの騒動と、イッシュのポケモンがこの近辺で見られる現象との関連を調べています」
 モモちゃんが起きて来ると、ワシボンを含め、お父さんとお母さんももう、起きていました。
「――その首謀の家族を含め、グループの逮捕者は計30名を超えるとのことです」
 テレビではニュースをやっていました。
「次のニュースです。
 このひと月ほど話題になっていたグラードンの動向ですが、ホウエンをゆっくりと一周した後にまたえんとつ山に戻ったとのことです。フエンタウンの温泉の温度もひと月振りに元に戻ったのことです。
 ――あー、いや、ね。グラードンが起きてカイオーガとひと騒動してえんとつ山に新しい住処を決める前までの温泉の暑さは、正直丁度良かったんですわ。グラードンが来てから、私にゃちょっと熱過ぎて。ちょっと冷やした温泉が一々出来る位ですから。グラードンが出て行った間は、それが無駄になってしまうか冷や冷やしたもんですよ。帰って来なかったらそれはそれで、もう長く入れるぬるま湯として売り出そうかなんて話も出てきていましたけどね。
 ――いやー、俺はあの熱い温泉が好きだから、出て行っちゃってた間は帰って来るのかなー、ってもうずっと落ち着きませんでしたわ。何はともあれ、帰って来てくれて嬉しいですよ。
 数年前、ホウエン全土を揺るがしたグラードンとカイオーガの目覚めですが、もうグラードンは逆に居なくては困る存在となっているようです」
「お父さん、グラードンって?」
「とても凄いポケモンさ。日本の大地を作ったポケモンとも言われてる」
「へー……」
 モモちゃんには、話のスケールが大き過ぎて分かりませんでした。

 朝ごはんを食べて、モモちゃんは出勤するお父さんといっしょに、ポケモンスクールへの第一歩をふみ出しました。
 ワシボンは、お家でお留守番です。モモちゃんは、どこか行かないでね、と何度も念押しをしていました。
 お母さんとワシボンが見送りした後に、ワシボンはぱたぱたとどこかへ飛んで行きます。
 けれど、いつものように遠くまで出かける様子は余りありませんでした。
「逃げて来たんだろうねえ。あの子」
 お母さんはそう言って、家の中に、家ことをしに戻りました。

 ワシボンは空を飛んで、それから一気に急降下して、オタチを捕まえました。
 踏みつけて、殺してから食べました。
"Am I just like one of them?"
 ワシボンは、そう思いました。
"What is the difference between Pokemon and Human?"
 ワシボンは、その答を知りませんでした。
 口を血に濡らして、食べ終わると、体がびくびくと震え始めました。
 ワシボンは、その唐突な変化にも驚きませんでした。
「ワシボン、進化したらうぉーぐるになるんでしょ?」
 モモちゃんが言っていたことが、やっと起きたのです。
 けれど、お父さんとお母さんのところに戻ることは出来そうにない、とワシボンは思っていました。
 自分達は、このニホンとイッシュを横断する体を持っていません。こちらでは自分達ワシボンも、ウォーグルも見かけなかったのがその証拠です。
 ワシボンは、ウォーグルになろうとしていました。
 体が一気に作り変えられていきます。痛くもありますが、それ以上に心地いい感覚でした。
 そして、ワシボンはこう思いました。
"I...decided to live in here, Japan. But... I don't decide how to live..."
――ワタシはマダ、決メカネテイル。
 体は、とても、とても大きくなりました。
 自分の体を見て、自分の翼を見て、爪を見て、水面に映った自分の顔を見て、ウォーグルは、ゆっくりと目を閉じました。
 ウォーグルは、脳裏に浮かんだ光景を、思い出さずにはいられませんでした。



 お昼が過ぎてしばらくの後。
 モモちゃんは早速できたお友達と一緒にお喋りしながら、ポケモンスクールから出てきました。
 その外には、ウォーグルがいました。
 お友達が、その自分より大きいポケモンの姿に怯えました。逃げることも忘れて、おしっこがもれ出してしまいそうなほどです。
 でも、ウォーグルの姿を図鑑で見たことがあったモモちゃんはきづきました。
「ウォーグル? ワシボンなの? 進化したの?」
 ウォーグルは頷きました。モモちゃんはとても喜びました。
「すごーい! 大きい! ワシボン、あ、ごめん、ウォーグル、とても大きい! もふもふ!」
 そう言っているモモちゃんに、ウォーグルは背を向けました。
「え、でもお父さんにもお母さんにも、ほじょぐ? 付けないとだめって言われてるんだけど……でも、いっか!」
 モモちゃんは、ウォーグルに乗りました。ウォーグルは空に飛びました。
「すごーい……」
 取り残されたお友達は、茫然と見ていました。

 上昇気流に乗り、高く、高く、ウォーグルは空を飛びました。
 後ろには、モモちゃんが乗っています。
「ウォーグル、たかーい! でも、ちょっと寒いや……」
 ウォーグルは、考えていました。
 今朝のニュースでは、ラジオの声がこう伝えていました。
「イッシュから違法にポケモンを捕まえ、そして食していたポケモン珍味美食会が先日未明に逮捕されました。現在警察は、このグループの騒動と、イッシュのポケモンがこの近辺で見られる現象との関連を調べています」
「首謀者は****と\\\\の夫婦二人と、その首謀の家族を含め、グループの逮捕者は計30名を超えるとのことです」
 ****と\\\\には、娘がいました。モモちゃんとそっくりの子供でした。そこから、ほんの少しが、逃げられたのです。
 ウォーグルは、その中の一匹でした。
 そして、腹が減って動けなくなっていたところを、助けて貰いました。
 その時に食べさせて貰ったのは、とり肉のシチューでした。自分は、とり肉を食べたのだと分かっていました。
 でも、それは、普通なことです。自分も、ポッポを捕まえて食べました。オタチを捕まえて食べました。イトマルを捕まえて食べました。
 自分達は、食べられる為に捕まえられて、このニホンという地まで連れて来られました。
 何も、同じです。強いて違う点があるとすれば、ニンゲンは、ニンゲンを食べないということ位でしょうか。
 ウォーグルは、モモちゃんとそっくりな女の子が、調理されたウォーグルを、ゼブライカを、ポカブを食べている姿を見ていました。
 その女の子は、自分を見て、美味しそうと言いました。それは、生物を見る目ではありませんでした。
 逃げられたのは幸運でした。
 温かいニンゲンの家族に助けてもらったのも幸運でした。
 他の、逃げられた皆も、何とか上手くやれていることでしょう。でも、逃げられなかった皆は、たくさん死んだでしょう。
 家族の、モモちゃんのお父さんとお母さんは、自分を保護した日から、とり肉は食べなくなりました。でも、ぶた肉やぎゅう肉は食べていました。
 ワシボンは、体が回復していくにつれて、心は反比例するかのようにぐちゃぐちゃになっていったのです。
 ウォーグルの心の中は、いまでもぐちゃぐちゃでした。体はこんなに元気になって、進化したにも関わらず、心の中は、なに一つ、整理がついていませんでした。
「ウォーグル、今日ね、お昼ごはん、バンバンジーだったの。とってもおいしかった!」
 無邪気な声で、モモちゃんがそう言いました。
 バンバンジー、棒棒鶏。
 茹でて冷やしたとり肉に、ごまだれを掛けて、きゅうりとかと一緒に食べる料理です。
 モモちゃんもきっと、あの女の子と一緒なのだろうと、ウォーグルは思いました。
"...Whichever I choose, both may not be correct."
 ウォーグルは、くるっと一回転しました。
「きゃぁ!」
 ウォーグルは、その後も飛び続けました。