怒れる火猫

増え続けるオドシシ
テーマA:「ラジオ」「上昇気流」「反比例」

≪――お昼のニュースをお伝えします。セキチクシティのサファリゾーンでイッシュからやってきたゴロンダの卵が還っていたことがわかりました。イッシュとカントーの友好の記念に贈られた卵が還ったことに地元の人たちも――≫

「くっだらな」
私専用の下僕はラジオから流れる音に対して突っぱねるようにそう吐き捨てると別のチャンネルに切り替えた。ロッキングチェアが下僕の体重を支えるためにギッと軋む。そして下僕は軽快な音楽に身をゆだねて目を閉じた。
……私はそれがどうにも面白くない。
黒く長い尻尾を振り下ろしてわざとらしく音を立ててみる。結果だけ言うと無視された。本当に面白くない。
「みゃあ」
 小さく、でも聞こえるように鳴いてみる。
「眠いからあっち行ってて…」
 追い払うように右手を振られた私はなおさら面白くない。下僕はたまの休日で優雅なひと時を満喫しているのだろうが私にとっては下僕と一緒にいられる唯一の時間。私が下僕のいない間、一体どれだけの暇を持て余しているのかこの下僕はきっと考えたこともないのだろう。
 ゴゥッと炎を吐いてみた。これで少しは反応してもらえるだろう。炎によって生まれた上昇気流に乗った埃が燃えたらしく焦げ臭いにおいが漂う。
そういえばしばらくあのうるさい機械を動かしていない。だからこんなにも埃っぽいのか。
「部屋で火の粉使うなって言ったろ?」
 下僕は目も開けず、独り言のようにつぶやく。
 本当に、ほんとうにッ、面白くない。少しくらいこちらを見てくれたっていいだろう。
 報復目的で上下に動く腹めがけて飛び掛かってやろうかとか考えたがやったところで無視されそうな気さえする。一体、どうすればこの下僕の意識をこちらに向けられようか。試しに手の甲にでも火の粉を噴きかけてやろうか。考えれば考えるだけ、後が怖いものばかり浮かんでくる。別に喧嘩したいわけじゃない。ただ、遊んでほしいだけだ。それなのにこの下僕は…。
いよいよ鞭のような尻尾が床を叩く音が大きくなってくる。もちろん、わざとやっている。
 ロッキングチェアの小さな揺れを楽しむように軽快な音楽を口ずさむ下僕が憎らしい。下僕は私がいなくても生きていける。外の世界に一歩踏み出せば食べ物も、同種の人間も、やることだってたくさんある。でも私にはこの下僕しかいない。私にはこの小さな狭い世界しかない。ここと下僕が全てだ。他に失うものもなければ、おもちゃや食べ物以外は新しく手に入れるものもない。
 その下僕が今、まさに私のことを無視している。これ以上腹立たしいことはない。
「みゃあ!」
語尾を強めて言ってみる。警告だ。これで反応しなかったら私のリーサルウェポンが文字通り火を噴くことになる。
「やだ」
 交渉決裂。もうやることは決まっている。さすがに下僕にやけどを負わせるなどしない。しかし、その代わりにテレビの横に置かれた音楽を奏でる機会には痛い目を見てもらう。もとはと言えば、こいつが原因なのだから。
 ことの始まりは珍しく友人などをこの巣に下僕が招き入れたことが発端だった。何やら大きな荷物を抱えた下僕は友人と楽し気に四角い箱を置くと意気揚々とプーとかパーとか隣の虫の羽音まで聞こえる私の耳には辛い音を奏でて、友人と楽しそうに吹き鳴らしていた。だが、私は寛大なので表情には出さず、静かにベッドの下に隠れる。たまには息抜きくらいいいだろうと思ったのだ。しかし、これがまずかったらしい。
 それからほどなくして、この下僕は趣味などと言ってサックスとかいう金色に輝く楽器を買った。もとより大して裕福とは言えない下僕は自分の趣味にお金を使う代わりに私の分の取り分を減らしたらしい。金色が来てから私の食べ物の旨さが下がったのだから間違いない。趣味にかけるお金が増えて私の食べ物のグレードが落ちる。明らかに反比例しているとしか思えない。普通は逆だろう! と声高らかに抗議したがどうも元のグレードに戻す気はないらしい。日が経つにつれてどんどん下がっていって、今や底辺も底辺のとにかくおいしくない一缶30円程度の安い缶詰になってしまった。私が食べておいしくないんだからきっとそうに違いない。
 思い出すだけで腹が立つ。あの憎き友人め。次見かけたらただじゃすまさん。
 ……で、それからというもの、この下僕は私に時間を使うことより、趣味に時間を使うようになった。空いた時間を見つけてはパープーうるさく音を奏でて、それ以外の時はラジオから流れる音を聞きながらロッキングチェアで死んだように眠っている。
 このロッキングチェアだって部屋に不釣り合いに大きいものだから私の寝床を明け渡して置かせてやったんだ。もちろん、私のスペースなのだからこのロッキングチェアで眠る優先権は私にある。それでも先に下僕が寝ていたりすると叩き起こすわけにもいかないので下僕の腹の上で眠ってやる。上下に動く腹はあんまり好かないが温いので冬場は重宝している。
 そう言えば、最後に撫でられたのはいつだったか。あの友人が来た日以降、触れられた記憶があまりない。玄関でお迎えしてやってもただいまも何にも言わずに飯だけ用意してさっさと寝てしまう。行ってらっしゃいの舞もしばらくしていない。……あぁ、行ってらっしゃいの舞とは下僕が巣から出かける前に私がゴロンゴロンと転がってやると下僕が眠たそうな目で行ってきますと言いながら撫でてくれるので毎朝欠かさずにやっているやつのことだ。
…が、それすらもしばらくできていない。やる間もなくあわただしく外へと駆け出していく。私に気づくことすらない。慌ただしく出て行ったあとは嵐が過ぎ去ったみたいに部屋が広く感じて無性に寂しくなる。
 みゃあん、と静けさが広がる空間に鳴き声を放ってみても、その声は誰にも届かずむなしく宙に消えていく。
 誰もいない時間というものはどうにも寂しいものだ。それが毎日、毎日、ずっと続いてる。下僕は帰ってきても私の相手すらしてくれない。実質、私はここのところずっと一人だ。唯一の心を許せる下僕も投げやりで、どこか遠くへ行ってしまったような気さえする。誰もいない巣の中で誰に向けて声をかけるでもなくただ、寂しくて、その寂しさに打ち負けそうで無性に鳴きたくなる。
 下僕のように涙でも流せれば下僕も気づいてくれるだろうに…、と最近思うようになった。あいにく、炎タイプの私は目から水を流すという動作ができない。その代わりに最低限の水分で眼球を守るために常に瞼は半分下がっている。そんなだから女の子らしくないと下僕の母親とやらに顔を合わせるたびに悪態付かれる。そんな訳だから私が下僕の前で泣いたところで同情を誘うことはきっとできないんだろう。
 で…・・その、いつも慌ただしく去っていく下僕が今日はこうして目の前で優雅なひと時を満喫している。邪魔しないほかにやることはないだろう。
「ンナァ~ン! ウァ~ン! ウアァァァァァ!」
目の前でうつらうつらと船を漕いでいる下僕が夢見心地でうるさいぞぉと言うと耳に手を当てて邪魔されないように船を漕ぎだした。
そうはさせない。させるわけがない。こちらの要望が通らない限り、妨害される筋合いもない。リーサルウェポンを出す前に少し猶予をくれてやろう。これでもだめなら本当に火を噴くことになる。
「ウアァァァァァアアアアア!」
トットッと身軽な体を生かして肘置きに登って下僕の耳元で甲高く叫んでやる。
どうだ、耳栓ごときでは防げまい。
「うぅぅ…やめて……わかった。わかったから。なに? おやつ?」
 ピンッと耳が勝手に動く。
おやつ。久しぶりに聞いた。あの舌にまとわりつくようなねっとりとした旨味をたっぷりと含んだジェル状のとっても美味しい食べ物。
「みゃあん♪」
 今まで考えていたことがスポンと抜け落ちてその代わりに美味しいものが食べられる喜びに変わる。
 自分でも都合のいい脳みそをしてると思う。さっきまでイライラしていたはずなのに美味しいものでコロッと機嫌が治る。下僕と違ってコロコロと気分が変わるのは良いことなのか悪いことなのか…。
下僕はのっそりと起き上がると、めんどくさそうに部屋の端に置かれた『通称:おやつ袋』からチューブ状の小袋をひとつ抜き取るとその場で開けた。ピッと外圧のせいで袋の中身が少し飛び散って下僕の足元にまとわりついていた私の背中に落ちた。
「あ~…もう、いつもそれやるんだから…」
 下僕はそう言って私の背中に人差し指を押し付けると、ほらと半液体のおやつを人差し指に乗せて私の目の前に差し出してくる。
 下僕の人差し指を抱えるように胸元に寄せて舐めてやる。これをやると下僕は柔らかく微笑むのを私は知っている。
 案の定、柔らかく微笑むと私の額を逆の手で優しくなでる。
「そうだよなぁ、最近、高齢用のご飯に変えてからあんまり食べてなかったからなぁ。そりゃあ、がっつくよなぁ…。先生に聞いて元のご飯に戻してもいいか聞いてみるかぁ」
 ん? と目の前から飛んできた言葉に耳を疑いたくなる。
「確かに高齢用のご飯に変えたら食べなくなるって言う話よく聞くし、やっぱりおいしくないのか…」
 耳がピンと跳ねてその言葉をしっかりと捉える。別にグレードが下がった訳じゃなかったのか。私の勘違いだったわけだ。…だが、おいしくないのは確かだ。
 勘違いしていた自分が恥ずかしくなって丁寧に下僕の指を舐めてやる。一種の照れ隠しに近い。しかし、私の舌は人と違って細やかな突起が沢山ついている。そしてそのヤスリ状の私の舌が痛いのか下僕は眉間に皺を寄せて痛みを堪えていた。
 まぁまぁ、いいじゃないか。私の愛情表現の一つなんだから。少しくらい堪えたまえよ。
 声に出さずに心の中で思う。
 しばらく私の舌使いを無言で受け入れていた下僕だが限界を迎えると優しく私の頬を押し返し親指の付け根を押し当てるように触れた。触ってくれたことが嬉しくて、嬉しくて喉の奥からグルグルと自然と音が出た。瞼も自然と下がってくる。
 頬を撫でた後、額で人差し指が渦を描き、そのまま人差し指が鼻先へと降りて行き、束になって生えている髭に触れ、最後に親指が鼻横のふくらみと髭を押し付けるように目元のほうへと抜けていった。
「そういや、こうやって触るのも久しぶりな気がするな」
「みゃぁ…」
 そりゃそうでしょうよ、と目を薄めてグルグルと音を鳴らしながら小さく呟いた。
 一通り撫でた手は顎の下で止まり、ワシャワシャと雑に動く。これが最高に気持ちいい。
「最近、ずっと暑かったしなぁ」
 頭の中に自分が出す音がうるさく鳴り響いているがしっかりと聞こえた。
そうだった。私の体温は下僕より遥かに高いんだった。どうも、下僕が薄着だと思ってたら世間一般の生き物にはもう暑い時期になっていたのか…。じゃあ、私に触らなかったのも…。
「む、お前、顎にニキビ出来てるぞ」
顎を中心に撫でていた指が何かできものに触れたらしく、カリッと皮膚を強めにひっかかれた。嫌な予感がする。
 嫌な予感を感じ取った直後、仰向けに寝転がされて真上に下僕の顔が見えるようになった。
 あぁ、やっぱり。ほ~ら嫌な予感的中。
 ゴロゴロ音が不意に止まって眉間に皺が寄る。そして頬の筋肉が若干上に上がった。きっと牙が見えている。
「そんな顔すんなって。気になるんだから仕方ないだろ」
「びゃあ」
反抗の意味も含めて濁音付きで鳴いてみる。やだと言う返答が返ってきただけで相変わらず顎の下で指がワサワサと忙しなく動いている。
「びゃあ!」
少し強めに鳴いたら下僕と目が合った。気恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
「そんなに嫌か…じゃあ仕方ない」
 そう言ってひょいと腕の中に私を収めるとお腹を毛並みに沿ってゆっくり撫で始めた。黒く短い毛が下僕の指によって整えられていく。自分で整えるより遥かに心地いい。そしてまた自然とゴロゴロ音が喉の奥底のほうで鳴り始める。
「あーあー、こんなに毛が抜けて…。最近忙しかったからなぁ…。寂しかったろ?」
「……みゃあ」
「だよなぁ…。高校時代の知り合いが結婚するっていうせいで披露宴で出し物出せって言われるしさぁ。いいよなぁ、ニャビーは。ゴロゴロしてるだけで一日過ごせて」
「………」
 私が暇人のように下僕の目には映っているらしく、それは心外だと顔面をブッ叩いてやりたくなったが独り言のようにこちらが聞いてもないことをつらつらと述べているのを聞いて、思い違いしていた私も同じか…と考え直す。
「で、お前は俺がいれば生きていけるんだもんな。楽な生き方だよ。俺もニャビーになってそうやって生きたいなぁ」
「………みゃあん?」
 楽じゃないよ? と伝えてみる。きっと意味は伝わらないだろうけど。
 いつの間にかイライラも無くなって気持ちいい穏やかな感情がやってくる。
 下僕よ、今回のことは不問にしてやろう。そのかわり、存分に私のことを甘やかして――
「あ、でも、その半目はやだな。視界悪そう」
「シャァアアアッ!」
パンッと言う軽快な音と下僕の叫び声が同時に私の巣に木霊したのだった。