さよならさんかく

ラプラシアン
テーマB:「ふじ」
「さよならさんかく、またきて――」

 人知れず呟いた詞は、一体この場にいる誰の耳に届いただろうか。

 金色の混じった萌葱色の光が天に昇っていく。その様を、彼女は地に足をつけてじいっと眺めていた。光の中には、その光を放つ、光を放つ龍がいる。背中には、龍の輝きに負けないほど鮮烈なブルーの耐圧スーツに身を包んだ少年がいる。
「今のうちに、ね」
 懐から取り出した便箋に、心の内を綴る。おそらくもう二度と会うことのないであろう少年への感謝と、彼女が歩むべき未来を伝えるために。
「あの子が降りてきたら、渡して。私は……先に帰るから」
 本当ならば面と向かって伝えるべきなのだろうが、その時彼女はそんな気分になれなかった。一刻も早く、気持ちの整理をつけたかった。
 彼女は便箋をゴニョニョに預けて足早にその場を去った。ゴニョニョは彼女を追いかけようとして、しかし預かった手紙を渡さなければならない以上追ってこなかった。ゴニョニョならそうすることをよく分かった上で。戸惑うゴニョニョの声に後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも。彼女は下の階へと延びる梯子を滑るように降りた。

 カナズミシティの北の洞窟。空の柱から逃げるように飛び立った彼女は、そこで滝を眺めていた。流星の滝と呼ばれるその場所は、ドラゴンタイプのポケモンを操る彼女の先祖が修業の場としてきた場所。彼女もまた、この場所で育ち、この場所でドラゴンポケモンを操る術を身に付けた。
 滝を見ていると、星空を眺めているのとはまた違った気持ちになる。不思議と心が洗い流されていくような感覚。意識の全てが心の中に向いて自分を見つめ直すような感覚。その中で、数々の思い出が走馬灯のように瞼の裏に浮かんできた。
 厳しい修行の日々。ホウエンに迫る巨大隕石の存在を知った日の絶望感。なんとしても世界を救わねばならないという使命感。彼女が現在シガナと呼んでいる、彼女が手紙を託したゴニョニョと過ごした時間。
 そして、シガナ――彼女の姉と過ごした、楽しかった数年間。
 もう何度もやり過ごしてきた感情たちには、上を向かずとも涙は流さない。
「………………」
「ママー」
 久々に離ればなれになった馴染みのある声に、内に向いていた意識が一気に引き戻される。そこでようやく、彼女はゴニョニョが帰ってきていたことに気付いた。
「シガナ……全部……全部終わったよ……」
 目を伏せて感慨にふける彼女の元に歩み寄る足音があった。流星の民の現長老。彼女を育て、流星の民の正統継承者として為すべきことを教えたのはこの老婆であった。
「ヒガナよ」
「……ババ様」
「……よく頑張ったの」
「………………」
 老婆の労いの言葉にも、彼女は顔を背けて目を瞑るだけだった。世界の命運がかかった修羅場は確かに終わった。しかし、最終的に竜神レックウザを従えたのは彼女ではない。確かに彼女も彼女なりに「頑張った」のかもしれないが、彼女の祈りでレックウザがメガシンカしなかった時点で、彼女が積み重ねてきた「頑張り」とやらは崩れ去った。そう考えると、彼女は老婆の言葉を素直に受け取ることができなかった。
「……もう、ええ……もう、なにも背負わんでええ」
 彼女の心の奥底に募る思いを見透かしたように、老婆はそう告げた。
「いつか全ては終わり、そして……新たな始まりを迎える。それは生きとし生ける者全てに通ずる不変の理。我々流星の民の歴史も、そなた自身の人生も同じじゃ」
 分かっていると、彼女は返したかった。彼女が老婆に、流星の民の仲間に教わった歴史は、絶えず変わり続けていた。酷似した例は数あれど、全く同じと言える出来事は二度と起こっていない。これから自分の人生がどうなるかまでは分からないが、同じことを続けるとは思えない。理解はできる。それでも。嘗ての負の遺産、∞エナジーを活用して隕石を彼方へ飛ばそうと計画した科学者や、頭の硬い元チャンピオンと話した時と同じように、心が徐々に熱を帯びてきた。
「だから、まずはおやすみ。背負い続けた荷物を降ろし、新たな一歩を踏み出すためにも。今はただ、おやすみ……」
 ハッとしてようやく老婆の方へ向き直った彼女は、目を閉じて心を落ち着かせた。
「………………」
 真っ暗な瞼の向こうに、記憶の中の景色が映っては消えていく。胸の内が徐々に冷えていくのを感じながら、彼女は考えた。今この場で処理してしまうには、彼女が心に背負っているものはあまりにも重すぎた。ようやく老婆の言葉が、じわりじわりと心に染み入ってくる。
「………………うん」
 閉じていた目を開いて、頷いて。彼女は踵を返して走り出した。
 ゴニョニョと老婆は、それ以上何も言わずに彼女を見送った。
 今、彼女には時間が必要なのだと、分かっていたから――





*さよならさんかく





 彼女はアクア団のアジトにいた。アクア団ではない彼女が何故こんな場所にいられるのかと言えば、彼女がアクア団の制服を着ているからに他ならなかった。必要がないから捨ててしまおうと思っていた服をもう一度着る日が来ようとは夢にも思っていなかった。
 十数日前まで、彼女はアクア団のしたっぱだった。正確には下っ端のふりをして潜入していたに過ぎないのだが、超古代ポケモンの一角、カイオーガを復活させようとボスのアオギリを焚きつけたのは紛れもなく彼女であった。その最中に勇猛果敢な一人の少年が立ちはだかり、復活したゲンシカイオーガを捕獲してしまったのである。超古代ポケモンを粛正するために降臨するはずのレックウザを待っていた彼女からすれば誤算だった。このままアクア団にいても、何も始まらない。彼女は人知れずアクア団の制服を脱いで、ぼろきれのようなマントを纏っていた。
 キーストーンを集める最中にアクア団のアジトでボスのアオギリと戦った時。打ち負かした彼に問われた時。彼女はまだアクア団にいた時のことをふと思い出していた。

「テメェ、なにもんだ?」
「なにもん?難しい質問だね……」
 アクア団には、あくまで潜入していただけ。優しく接してくれた団員も少なからずいたのだが、流星の民の正統継承者としての責務だと割り切っていた彼女にとっては仮初めの姿。本当の意味でのアクア団員には、なれていなかったのかもしれない。では彼女は根っからの正統継承者かと問われると、素直に頷けなかった。その肩書きは、元は行方不明になった姉、シガナのもの。姉の代わりに彼女が継ぐことになったもの。正統継承者を名乗ってはいたものの、本当にその肩書きを名乗っていいのかという気遅れが心のどこかにあったのは確かだった。本当の意味で、「正統継承者」になれたのか。彼女には分からなかった。
「……何者にもなれなかったわたしは、一体何なんだろう?」
 わざとらしく考えるふり――をするふり。実際、わざとではない。彼女は彼女なりに真剣に悩んでいた。
「……なんてね!自分探しモードおしまいっと」
などと言ってはみるものの、彼女の心の中のわだかまりは拭い去れないままだった。
 まだ彼女が幼いころ、ある日を境に姉の姿が見えなくなった。どれだけ探しても、姉は見つからなかった。姉が身に着けていたものが見つかることもなかった。ハブネークかマルノームにでも呑まれてしまったのだろうと、その時は誰もがそう思っていた。
 正統継承者だった姉がいたならば、彼女はアクア団をけしかけて超古代ポケモンを復活させようなどとは、夢にも思わなかっただろう。キーストーンを無理矢理奪って、レックウザを呼び出すなどという強硬手段を取ろうなど、考えることもなかっただろうから。
 この後でやってきた少年と入れ違いに、彼女はアジトを後にした。そこで少年はアオギリからサメハダナイトを受け取ることになるのだが、それはまた別のお話である。

「今更なにしに来やがった」
 背後から聞こえた突然の声にも驚かない。既に彼女が一度打ち負かした相手であると分かっているから。アルファベットのAを模した髑髏マークのバンダナ。引き締まった体躯にぴったりと張り付いたスーツ。その全てを青に染めたアクア団のボス。首に下げた金色の鎖、その先にぶら下がる錨の付け根の部分は、何か丸い物がはまっていたように凹んでいる。そこにあったはずの彼から奪った虹色の石を、彼女は取り出して彼に差し出した。
「これを返しに、ね。わたしにはもう、必要ないものだから」
 怪訝そうな顔をしてキーストーンを受け取るアオギリに、彼女は頭を下げて告げた。
「ごめんなさい」
「けっ、柄でもねぇ……」
 次に彼女の頭に振ってきたのは、想定外の言葉だった。顔を上げた彼女の髪を大きな手でガシガシと乱して、アオギリは言った。
「ガキンチョから聞いたぜ。お前はお前なりに、世界を救おうと動いてたんだろ?」
「でも、私はあなたから」
「俺が負けたのは、俺が弱かったからだ。強ければ、お前にキーストーンを奪われることはなかっただろうさ。まぁ、この星の危機だってんなら、キーストーンでも何でも喜んで差し出しただろうがな」
 顎を掴み、引き寄せる。キスをするのではと思うほどに顔を近づけて、アオギリはにぃっと笑った。一目見るだけで委縮してしまいそうな、静かな威厳に満ちた笑顔を見て、ああ、この人はやはり組織のボスなのだと彼女は再認識した。そういう笑みを向けられると、ついついつられて笑ってしまう。敵意をむき出しにした、壮絶な笑顔で。
「うぬぼれるなコムスメ。世界を救おうとしていたのは、お前だけじゃねえってこった」
 華奢な体を軽々と持ち上げ、アオギリは歩き出した。抵抗することもできたが、彼女はあえてそうしなかった。アオギリが良からぬことをしようとしているようには、思えなかった。
「あばよ、コムスメ」
 そのまま部屋の隅にあったワープホールに投げ込まれ、彼女はアジトの入り口まで飛ばされた。そこからアオギリの部屋に戻るのは簡単ではない。道も行き方も覚えているとはいえ、もう一度そこに行こうとは思えなかった。
 彼女がいなくなって一人になった部屋で、アオギリが呟いた言葉を彼女は知らない。
「……ありがとよ」





 彼女はミシロタウンにいた。
 目当ては世界を救った少年だったのだが、残念ながら家にはいないようだった。
 少年の家から出た時、ちょうど隣の家の扉が同時に開いていた。中から出てきたのは、赤いバンダナをリボンのように巻いた少女。名前は確か、ハルカ。彼女が会いに来たもう一人の人間だった。
 咄嗟に顔を強張らせて身構えるハルカとは対照的に、彼女は「やぁ」と笑顔で手を振った。
「ま、また何か盗りに来たの!?」
「まぁまぁ、落ち着いてよ。今日はキミにこれを返しに来たんだ」
 取り出して見せたのは虹色の石。彼女がハルカにバトルで打ち勝って、彼女の腕輪から取っていった石。
「無理矢理奪っちゃって、ごめんなさい」
 頭を下げた彼女を起こして、少女は首を横に振って見せた。なんでも、彼女がキーストーンを集めていた理由は、彼女が会いに来た少年から聞いたのだという。
「わけがあるのなら、ちゃんと言ってほしかった」
「うん……さすがに強引過ぎたと思ってる。でも、ポケモンとキミを繋ぐ絆の石を、キミはそう簡単に手放せるかい?」
 彼女の問いに、少女は目を丸くした。それから、徐にモンスターボールを一つ取り出して、開閉ボタンを押した。赤い光と共に現れたのは二足歩行の闘鶏、バシャーモ。旅立ちの日にもらったという、ハルカの切り札だった。
「この石を貰って、確かに絆がより深まったって思うよ。でも」
 彼女が返した石をつまんで見せながらハルカはバシャーモの腰に手を回した。バシャーモは照れ臭そうにぽりぽりと頭を掻きながらも、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「石がなくなっても、絆はなくならないって知ってるから」
 彼女の方に向き直って、ハルカは晴れ晴れとした顔で告げた。
 彼女にとっては、あまりにも眩しい笑顔だった。目を背ける代わりに、こういう時には余計な言葉がつい口をついて出てしまう。
「グッドだね。グッと来たね。世界を救った帽子の彼もそうだったけど、さすがはお隣さんだ。旅の途中でよっぽど彼の影響を受けたんだろうね」
 頬に両手をやって赤面するハルカに「じゃねっ」と手を振って、彼女はその場を後にした。





 彼女はトクサネ宇宙センターにいた。その二階、管制室に忍び込んで、あくせく働く職員たちをしげしげと眺めていた。窓の外に見えるロケットは、既に発射準備が整っていた。これから更なる調整を経て、いずれ宇宙へと旅立っていくのだろう。そのエネルギー源は、ホウエン地方カナズミシティに拠点を置く大企業、デボンコーポレーションがポケモンの生命エネルギーを糧として開発した、∞(むげんだい)エナジー。かつて異国の戦争を終わらせた力を、平和的に利用しようという努力は百歩譲って認めるとする。だが、ここにいるのはそのエネルギーでワープホールを作り出して隕石を別の世界に飛ばすと言ってきかない者ばかりだった。ここで働く職員たちも、デボンの御曹司の元ホウエンチャンプも、何も分かってはいなかった。彼女が教わり、信じてきたこととは別のことを教わり、信じてきた人間だから仕方ないと言えなくはない。それでも、科学的根拠がないという理由だけで、隕石を飛ばした向こう側の世界が被る被害を否定されるのは、我慢ならなかった。

『想像力が、足りないよ』

 あの時は心からそう思った。
 ただ、隕石衝突の危機が去って改めて見てみれば、確かにここにいる人々は、この世界の人々のためになるものを創ろうとしている。それは宇宙センターの職員然り、デボンコーポレーションに社員もまた然り。
 戒めを守り、世界の危機をたびたび予言し退けてきた流星の民。過去の過ちを再び犯そうとしていたとはいえ、技術力は認めざるを得ないデボンコーポレーション。互いが扶持の心を持って歩み寄っていたならば、結果は違ったのかもしれない。
「あ、あなたは……」
 聞き覚えのある女性職員の声に振り向く暇もなく、彼女は走り出した。ここにいる人間は隕石をワープさせるための部品を壊した彼女のことを恨んでいると、そう思ったから。
 女性職員は寂しげな顔で彼女が去って行った方向を見つめていた。周りを見て、誰も見ていないのを確認して、女性職員はぽつりと告げた。
「ありがとう、世界を救おうとしてくれて」
 その言葉が、彼女には届かないと知って。





 彼女は空の柱にいた。
 ほんの数日前のこと。この塔の頂上、龍召の祭壇にて、少年が捕獲したレックウザに彼女が受け継いだ流星の民の秘術、『ガリョウテンセイ』を伝承した。そして少年に戦いを仕掛け、戦いの中で少年に竜神様の制御を体で覚えさせた。それが、流星の民の最後の伝承。
 少年はメガシンカしたレックウザを見事に操り、強力なドラゴンポケモンを操るヒガナを見事打ち破って見せた。当然と言えば当然なのだろう。少年は更に数日前に、ホウエンの頂点に立った男なのだから。
 結果的に、少年は「ガリョウテンセイ」を覚えたレックウザと共に隕石を破壊した。はるか昔に彼女の先祖が予言した破滅の未来から、地球を、世界を救ったのである。
 ようやく、役目が終わった。解放感に浸るはずだった彼女の心は、しかし思いの外重く沈んでいた。本当にこれでよかったのか。
 姉ならばもっと上手くことを運べただろう。超古代ポケモンを眠りから覚ましてホウエン地方を危機にさらすことも、他人のキーストーンを無理矢理奪うこともなく、祈りによって竜神様を呼び出し、犠牲という犠牲を出すことなく世界を救ってくれただろう。そう思うと、やりきれなさばかりが募る。
 苦しみを少しでも和らげようと見上げた空から、萌葱色の光が降ってきた。誰が祈ったわけでもなく、レックウザが降臨したのだった。
 眩しさに目を細めて、彼女はその中にいるはずの影を探した。
 彼女が追い求めた人は、確かにそこにいた。萌葱色の光に負けないくらい鮮烈なブルー。レックウザの背から軽やかに飛び降り、体圧スーツのヘルメットを外した少年に、彼女は「やぁ」と声を掛けた。
「久しぶりだね」
「そんなに時間が経ったかい?」
「わたしが久しぶりだと思ったら、わたしにとってはそうなんだよ。キミがどう思おうとね」
 事実、ほんの数日しかたっていないにもかかわらず、彼女は随分と長い時間、少年と離れていたような気がしていた。それほどに、隕石を止めるべく動き出してからの彼女は、幾度となくこの少年と関わっていたのだ。
「どうだい?始まりを導く方程式は見つかったかい?」
 彼女がゴニョニョに預けた手紙の内容を掘り返された彼女は、両手の平を上に向けて首を横に振った。そして尋ねた。
「キミはどうなのさ?」
「僕かい?僕は――」
 傍に控えるレックウザの胴を軽く叩いて、少年は答えた。
「さんかくと一緒にトクサネ宇宙センターが進めている宇宙開発事業に携わることになったんだ。宇宙服を着れば、さんかくが宇宙に連れて行ってくれるから」
 少年は、とても晴れやかな顔をしていた。いつしか彼女が忘れてしまった、純真無垢な笑顔だった。
 ああ、この少年は空っぽなのだ。何故だか、そう思ってしまった。

『……もう、ええ……もう、なにも背負わんでええ』
『まずはおやすみ。背負い続けた荷物を降ろし、新たな一歩を踏み出すためにも。今はただ、おやすみ……』

 流星の民の長老にもらった言葉を、そのまま彼に伝えたい。そんな衝動に駆られて、彼女は思わず口を噤んだ。
 偶然だったとはいえ、少年は運命に翻弄されたに過ぎない。超古代ポケモンの復活の際も、今回の巨大隕石も。ただでさえ数奇な運命に巻き込まれ、しかし迫り来る脅威をポケモンたちと共に解決してしまった。
 思えば、少年は彼自身の意思で何かを背負っていたわけではないような気がした。そして、今も。空っぽ故に、周りのものをいくらでも吸収してしまう。無垢ゆえに、様々な色に染まる。それでいて、心はどこまでもまっすぐで、決して道を踏み外さない。だからこそ彼女はこの少年に興味を持ったのかもしれない。
 自分にできることが目の前にある。だからそれをやる。呆れるほどに単純で、しかしいざ実行しようとすると誰もが壁にぶつかるはずの道を、少年は過去も、今も、そして未來も、何の迷いもなく進んでいくのだろう。

『想像力が足りないよ』

 そう言った自分が、今になって恥ずかしくなった。彼女が∞エナジーを使う以外に世界を救う方法があるかと問うた時、少年は「ない……」と答えた。確かにその時、少年の中に答えらしき答えはなかったのだろう。しかし少年は少年は少年なりに考え、行動した。そして、少年は彼女の想像を遥かに越える働きを見せた。その結果、今に至るわけなのだから。
「『この世界にとっての希望は、ある人たちにとっての絶望』。この言葉の意味が分かるかと君は言ったね」
 唐突に少年は言った。
「そうだね。で、キミは『分かる』って答えた」
「あの時君は『よく言うね』なんて言ったけどね」
 少年を包む雰囲気が、途端に張り詰めた。
「僕は知ってるんだ。メガシンカのない世界を。隕石を消滅させる技術も力もない世界をね。そこでね、君のお姉さんに出会ったんだ」
「シガナに……!?」
 彼女は思わず目を見開いた。姉が死んでいなかった。少年が仄めかす事実が、過去の不可解な失踪と絡み合って、真相への道を閉ざしていく。彼女は訳が分からなくなった。
「で、彼女に頼まれたんだ。もしもこちら側に来ることがあったら、妹を、ヒガナをよろしくって」
 信じられない反面、彼女にとっては妙に説得力のある言葉だった。そう思ったのは、彼女が少年の言う世界の存在を信じていたからに他ならない。姉が遺体も遺骨も残さず突然いなくなったのも、何らかの理由でそちら側に飛ばされたと考えれば辻褄が合うというもの。――しかし。
「なんて言ったら、ヒガナ、君は信じるかい?」
 いきなり後頭部をぶん殴られたようだった。それまでの言葉が、嘘なのか真なのか、更に訳が分からなくなった。どちらとも、判断できる材料はなかった。
「キミは、何者なんだい?」
 彼女は尋ねた。尋ねなければならないと思った。
「何者?難しい質問だね……」
 少年は腕を組んで考え込むような仕草をした。彼女がアオギリに見せたのと同じ、わざとらしい所作だった。
「……何者にもなれなかった僕は、一体何なんだろう?」
 しばらくして、少年は顔を上げた。刻まれているのは、悪戯っぽい笑み。彼女が見せた表情を遅れて返してくれた、鏡のようだった。
「なんてね。僕は僕さ。それ以外の何者でもない」
「……それ、答えになってないよ」
 彼女は呆れたように言った。少年はハハハ、と笑った。
「しばらく会えなくなるけど、君のことは忘れない」
「それは告白のつもりかい?」
「いや、それだけ君が印象的だったってことさ」
「……さっきのもそうだけどさ、そういうことは、あんたのお隣さんに言ってあげなよ」
「……」
 彼女を言葉で弄んだ仕返しにからかったつもりだったのだが、少年は大して反応せず、遠くに目をやった。ちょうど、彼の故郷の方が下った。
「ハルカには、ミシロに帰ればいつでも会える。でも、次に戻って来た時、君はどこにいるか分からないから」
「あの子には会える、か。ちょっと嫉妬しちゃうかな」
 唇を尖らせる彼女に、少年はさすがに少し困惑したらしい。バツが悪そうに頭を掻き始めてしまう。今度は彼女が微笑み返す番。
「なんてね。冗談だよ」
 悪びれもせずに舌を出し、屈託のない笑顔を見せた。
 ちょうどその時。彼女の心が、ふっと軽くなった。それまで抱えていたものをどこかに忘れてきたように、胸のつかえがとれたような気がした。
 彼女の気持ちを知ってか知らずか、レックウザは空高くまで響く声で哭いた。
 その時はじめて、彼女は竜神様に認めてもらえたのだと思えた。突然いなくなった姉とは違って何の能力も持たない自分が、流星の里の正統継承者としての役目を果たせたのだと、今になってようやくそう思えたのだ。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
 レックウザの背に乗って、少年は小さく手を振った。これから再び宇宙へ飛び立っていく少年へ向けて、彼女もまた手を振った。それから、彼女を見下ろすレックウザに視線を向けた。
「さよなら、さんかく」
 両手を差し出して、彼女は彼女にとっての竜神様に告げた。さんかくというのは、少年がレックウザにつけた名だった。メガシンカして空を飛んだ時、金色の長いひげが三角形を描くからだと少年は話していた。
 それは彼女なりの決別の言葉。少年の手持ちとなってしまった今は、もう竜神様とは呼べない。
 彼女は小さくなっていく彼とレックウザの後ろ姿を見送った。
 レックウザの物悲しげな咆哮が、彼女の耳にいつまでも留まっていた。 
「また来て、×××」
 絶対に聞こえないと分かって呟いたのは少年の名。彼女が小さい頃から崇め奉っていた、”元”竜神様を従えた、この世界を救った英雄の名。
 自分探しの旅から帰ってきたら、今度は君のお隣さんとお友達と一緒に流星の里に案内してあげる。少年への気持ちと共に、彼女――ヒガナはその言葉を胸の奥にしまい込んだ。