あるポケモントレーナーの日常

浅葱
テーマB:「ふじ」
編集済み
 シュウイチは今年一番ともいえる猛暑日の、それも一番気温の高いお昼に、神戸駅の改札口に立っていた。
 日射しを避けるためのスポーツキャップを被り、通気性のよい綿素材のカッターシャツを羽織り、手にはスマートフォン。
 袖から顔を覗かせている腕は、細いながらもほどよく筋肉がついていたが、日焼けとは無縁の白い肌をしており、この猛暑で既にじんわりと汗が滲み出ていた。

「あっつ…」

 掌を団扇のようにぱたぱたさせながら、出口を探す。
 この駅は私鉄と連絡しているし、近くには観光地もオフィスビルもあるし、更に夏休みということもあって人混みはいつにもまして多く、熱気が籠っていて不快指数は最大値を計測していそうだった。
 彼の予想では、大方この先に広がる神戸ハーバーランドとメリケンパークへ向かう観光客だろう。
 もっとも、彼の目的地は観光地ではない。
 駅を出れば、これでもかというくらいの日光がレーザー光線のように肌に突き刺してきて、もうそれだけで気分がげんなりして、やる気が失われていった。
 インドア派で家に籠ってパソコンとスマホとゲーム機を駆使するのが趣味のシュウイチにとって、外に遊びに行くなんて考えられない行動ではあったが、今日はどうしても出掛けなくてはならない事情があった。
 極力木陰を選びながら、目的地に向かって歩き出す。
 実は、彼の家族は富士山を見に一泊二日の旅行に出掛けており、今夜の新幹線で帰ってくる予定になっている。
 面倒くさくて家族旅行は辞退したのだが、これで気兼ねなく引き籠れると思っていたら、歳の離れた弟の一言でパァになってしまったのである。

「兄ちゃん、俺バンギラス欲しい!旅行行っとう間にレイドバトルで捕まえといて!!」

 これは可愛い弟のために頑張る、一人のポケモントレーナーの奔走記録である。


***


 神戸駅から歩いて10分ほどのところに、新開地商店街という名の商店街がある。
 その南側の入口のモニュメントが、現在ポケモンジムになっており、ネット情報や非公式アプリの情報によるとここにバンギラスが出現していた。
 アプリを起動してレイドバトルが発生しているジムを確認すると、残り時間はあと30分ほど。
 だが、人はまばらで、辺りを見回してもスマホを睨んでいる人々は見当たらない。
 バンギラスのレイドはレベル4で、シュウイチの感覚では、6~7人くらい人が集まってくれれば良いかなという感じだった。ガチ勢は恐らく伝説の鳥ポケモンのレイドバトルに流れているだろうし。
 商店街はちょうど夏祭りの日だったようで、楽しげな音楽がスピーカーから流れてきている。
 通りの脇には、それぞれの店や団体が露店を出しており、ちびっこから大人まで既に多くの人々が集まり賑やかな声があちこちから響いていた。

「昔ながらの夏祭りって感じやなぁ。北側にもバンギラスのレイドあるし、行ってみるか…」

 シュウイチは人のいない目の前のレイドを諦め、商店街の中を歩き始めた。
 出来るだけ日陰を歩きながら、商店街を北に上っていく。
 それにしても、目の前の10人近い女子高生グループがかき氷欲しさに行列を作っているのを見て、後で食べよう…と密かに決意するくらいには暑い。
 何故今年一番の暑さ、と天気予報で言っている日に限って外を出歩かなければならないのか…
 小さい頃はよくこうやって外出していたが、気がつけば外を歩く機会も減ってしまっていた。何より暑いし、だるいし。

 そういえば、いつやったかな…、昔もこうやって何かを求めて出掛けてたなぁ…

 ぼんやりと過去に思いを馳せながら、商店街を北へ上っていく。
 時々横断歩道に出くわすたびに、日陰に入りながら無造作にスマートフォンを取り出して、何となくアプリを眺めていた。

「あいつ、ちゃっかりフリーザーもファイヤーもサンダーも、それにルギアも捕まえとうやん…」

 ファイヤーはゲットの難易度が格段に高かったように思うが、ちゃんとゲットしているし、フリーザーに至っては3匹もゲットしている。
 これはもう立派なポケモントレーナーと呼んで良いレベルだろう。
 この端末は元々シュウイチの持ち物だが、弟に貸しっぱなしだったこともあって、中身がどうなっているのかは全然知らない。
 だから、どれほど弟がポケモンを捕まえていたのか、少し興味が湧いてポケモンボックスの中を確認すれば、見事に伝説ポケモンが揃っていた、というわけだ。
 流石に個体値までは厳選していないようで、兄ちゃんとしてはちょっと安心したというかなんというか。
 新開地商店街の北側の入口にようやく辿りつけば、眼前には照りつける太陽で眩しいばかりの湊川公園と青空が広がっていた。

「うわぁ…絶対人おらへんって…」

 湊川公園は旧湊川だった場所に整備された緑地公園のような場所で、現在は水の気配すら感じられない。
 公園の下は大きな国道で、車やトラックがひっきりなしに通っている。その熱気と、整備された地面からの熱が足元からじわじわと伝わってきて、進むことすら躊躇われた。
 レイドバトルが発生しているジムは、この湊川公園の最奥にある銅像のようなのだが。
 半ば諦めながら現場を確認しに行ったが、先程と同様、人は見当たらない。むしろ、さっきの方が良かったかもしれない。
 さて、どうするかとアプリを開き、近くでバンギラスのレイドが発生していないか調べたが、あいにくタイミングが悪くて、バンギラスは見つからなかった。
 最初に見たレイドももうそろそろ終了だ。今から行っても間にあわない可能性が高い。

「あっつ…どうしよう、ちょっとハーバーランドで時間潰すか…」

 その前にかき氷食べるか。
 絶望と暑さで最早かき氷の事しかシュウイチの頭にはなかった。
 近くにあった出店でかき氷を1つ購入して口に含めば、冷たい感触が口内に広がって、これまでの疲れを癒してくれる。
 今日買ったのはレモン味。この爽やかさが暑くてだるい身体にしみて、大変美味しい。
 冷たい氷を次々頬張りながら、次の目的地のことを考えた。
 神戸ハーバーランドといえば大型商業施設が有名だが、時間潰しの場所には最適な場所でもある。
 海岸のベンチに座って、ぼーっと海を眺めているだけでも十分時間が潰せるからだ。
 更に観光向けにクルーズ船が出ていたこともあって、眼前を船が行ったり来たりして、昔は時が経つのも忘れて見入っていた記憶がある。
 懐かしいな、と静かに笑みを湛えると、空になったかき氷の容器を捨てた。

「それにしてもゲームなら楽々町を行ったり来たり出来んのに…ずるいわ…」

 ここから次なる目的地までの距離を考えて、思わず愚痴がこぼれた。
 アサギシティの端からサントアンヌ号が停泊している港まで、少し走ればすぐに到着できるのだから、ゲームのトレーナーは楽なものだ。
 噴き出す汗を拭いながら、炎天下の町を歩き通して神戸駅を通過し、観光客で溢れる人混みに混じって更に歩けば、大型の商業施設と海が見えてくる。
 じわじわと近づいてくる景色は、シュウイチが記憶しているものとあまり変わっていなくて、何故だか少しほっとした。
 商業施設を抜けた先に広がるのが、神戸港の一角。
 運が良ければ、豪華客船が停泊していることもあるし、海から神戸を眺めるクルーズ船は今でも定期運航している。
 中突堤の先端には、白い半円型の建物と真っ青な青空が綺麗なコントラストで風景を彩っているし、その隣にはこの町の赤いシンボルタワーが太陽に負けじと輝いていた。
 あとコイキング。
 流石海なだけあって、何匹もピチピチとフィールドを跳ねていた。
 ギャラドスに進化させるためには大量のコイキングのアメが必要だったことを思い出し、折角なので片っ端からゲットし始めた。
 一通り捕まえると、改めて辺りの景色を眺めてふぅ…と息を吐き出す。頬を撫でる潮風が心なしか暑さを和らげているような気がした。

 いつ来ても、えぇなぁ…

 最近はめっきり来なくなってしまったが、久しぶりに来ると昔と同じ景色が目の前に広がっていて、懐かしさに駆られて小さい頃の思い出がよみがえってきた。
 ここに来るたびに、遠くから眺めていたあの時代。
 中突堤でいつも静かに佇んでいたアイツの姿が思い浮かんで、目を細めた。

 1989年にデビューしたアイツは、今でも鮮明に思い出す事が出来る。
 神戸で生まれ、時代の先駆けとも呼ばれたアイツは、容姿も内面も凄いヤツだった。
 目を閉じれば、瞼の裏に当時の景色がカラフルに映る。
 確か、足元まで隠すほど裾の長い白い服を着て、頭には赤い小さな帽子を被っていた。
 服の裾は青く染められていて、背筋を伸ばし、常に優しげな笑みを浮かべて佇んでいたような記憶がある。
 当時はまだ子供で近づく事すら叶わなかったから、遠巻きに見つめるだけだった。
 だから、ここに来るたびにアイツの姿を探して、運よく出会う事が出来たら、時を忘れてその姿に魅入っていた。
 中突堤の穏やかな波に揺られても微動だにせず、背筋をピンと伸ばして立つ姿は圧巻で、いつ来ても皆から歓迎されていた事を覚えている。
 今思えば、あれは恋にも似た気持ちだったなと、改めて感じた。
 そんなアイツと出会う事も、もう二度とない。
 2013年に引退したと知ったのは引退してから大分経った頃で、当時は何故だか無性に寂しくなった。
 さらに、その名前の由来は富士山ではなく、藤の花から来ていると知ったのも、引退後だった。
 そんなアイツの名は―

「あっ、しまったバンギラス!?」

 雲が日光を遮った瞬間に我に返って、当初の目的を思い出した。
 かなりの時間物思いに耽っていたようで、慌ててアプリを開いてバンギラスのレイドが無いか調べ始めると、さぁーっと血の気が引く気配がした。凄く良い場所にバンギラスのレイドが、ある。
 発生場所は三宮の東遊園地。三宮駅から近く、毎年12月にイルミネーションが点灯することで有名な都市公園ということもあって、ファーストリリース時からポケモントレーナーが集まる絶好の場所だ。
 今シュウイチがいる場所からなら、急いで歩いて30分ほど。旧居留地を突っ切ればもう少し早いか。
 こんな好条件のレイドバトルなんて、狙ってもなかなか出会えない。そう思うが早いか、急ぎ足で東遊園地に向かった。


 東遊園地には、既に何人かの若者が階段状になっているベンチに座って、スマートフォンを握っていた。
 一日一回しか入手できないレイドパスを使わずに歩き回って正解だったと胸中でガッツポーズを取ると、早速レイドに参加する。
 それと同時に、落ち着いて戦える場所を探して、空いている日陰のベンチに腰掛けた。
 レイドバトルはすぐに始まり、8人程度が参加。
 トレーナーレベルも高レベルから中レベルまでまちまちで、これは余裕だと口角を釣り上げる。
 バンギラスのスペシャルアタック技であるストーンエッジをスワイプで回避しながら、ひたすら画面をタップして攻撃を続けた。
 他の参加者もレイドバトル慣れしている人が多いのか、水タイプや格闘タイプのポケモンを使っており、バンギラスの体力ゲージは瞬く間に減っていく。
 シュウイチも、シャワーズやカイリキーで参戦していた。
 特にカイリキーのばくれつパンチが決まると、バンギラスの体力ゲージが一気に削られた。
 バンギラス戦は意外とあっという間に決着がついたが、問題はこの後、ゲットチャンスである。
 レイドバトル報酬として、シュウイチに与えられたプレミアボールは7個。
 弟にどんな顔が向けられるかは、この7個にかかっている。
 彼の後ろのベンチに複数の若者がやってきて腰を下ろしたが、シュウイチの集中力は全て目の前で威嚇を続けるバンギラスに注がれていたため、これからレイドバトルに参加するであろう彼らの存在に気づく事は無かった。
 画面に映るバンギラスは結構小さく、何度も威嚇攻撃を続けている。
 その威嚇攻撃が終わる直前にボールを投げるのが一番当てやすいタイミングと言われていて、シュウイチもそのタイミングを狙っていた。
 捕まえられる確率は、金のズリの実を使用することと、カーブボールを投げることでかなり上げられる。更にExcellent!が出れば3割強のゲット確率だ。
 カーブボールを決めるコツはト音記号の円を描くように、という独自手法を編み出していたシュウイチにとって、問題はボールが当たる位置だけだった。
 全ては可愛い弟のため。こだわり強いオタクなめんなよ、心の中で胸を張ってみせる。

 さあ、1投目。

 絶妙のタイミングでボールを投げたら、Nice!という表示が出たものの、2回揺れたところでボールから飛び出してしまった。
 やはりGreatかExcellentが出てほしいところだと、ボールを投げる指に力が入る。
 2投目と3投目も、バンギラスには当たるがゲットするまでには至らない。
 それ以降も、タイミングがずれてかわされてしまったり、投げる距離が足らなかったりと、プレミアボールの残数はどんどん減っていく。

「あと2個か…。頼むでホンマ…!!」

 一度深呼吸し、汗を拭うと、再び画面を見据えた。この残り2回に、弟の満面の笑みが見られるかどうかがかかっている。
 心を落ち着け、眼前のバンギラスだけを注視し、威嚇攻撃が終わる直前の絶妙なタイミングでカーブボールを投げる…!
 投げられたボールはキラキラとエフェクトを撒き散らしながら、バンギラスのゲット判定円に真っすぐ吸い込まれていった。

 1回目の揺れ。

 2回目の揺れ。

 3回目の…揺れッ!!

 カチッという動きと星のエフェクトが画面に表示されて、小さくガッツポーズを取った。
 思わず叫びそうになったが、寸前に言葉を飲み込んでグッと耐え、周囲のポケモントレーナーや一般人に怪しまれてないか慌てて目線だけ動かして辺りを確認した。
 幸い、誰もシュウイチの様子など気にも留めていないようで、ほっと胸をなで下ろす。

 バンギラス
 CP2079
 かみつく/かみくだく

 まずまずの強さだ。
 これで弟が帰ってきても悲しい顔をさせずに済みそうで、シュウイチはようやく安堵のため息をつくことが出来た。
 今日一日、長い冒険だった。
 スマートフォンをポケットにしまうと、ゆっくりとベンチから立ち上がる。
 今日のノルマは達成。あとは弟が帰ってくるのを待つばかりだ。
 外を出歩くなんて今までまっぴらごめんだったが、今日はまんざらでもなかった。

「懐かしい思い出とも出会えたしな…」

 バンギラスのレイドバトルを探しに来たのに、思わぬ収穫もあって、不思議とシュウイチの心は満たされていた。
 暑い中、わざわざポケモン探しに外へ出るなんて意味不明と決めつけていたが、案外楽しいのかもしれない。
 まだ他の伝説のポケモンのレイドバトルが控えているだろうし、もう一度この町を散策するのも悪くないな、と足取り軽く帰路についた。


***


「バンギラス、捕まえといたったで。」
「ホンマ!?兄ちゃんありがとー!」

 家族が帰宅して早々、シュウイチはスマートフォンを弟に差し出していた。
 満面の笑みで受け取る弟の表情を見ていると、一日の疲れなんて吹き飛んでしまう。
 早速アプリを起動してバンギラスを確認する弟の姿を目を細めて見守っていると、弟は何かに気づいたのか、難しい顔をして画面を睨み始めた。
 何となく嫌な予感がして、どうしたん、と問いかけるシュウイチの声が変に裏返る。

「あんな兄ちゃん…、俺バンギラスにストーンエッジ覚えさせたいねん。」

 おずおずと切り出す弟に、ポケモントレーナーのシュウイチがどのように返事をしたかは、ご想像の通りだ。


 ※この作品はフィクションです。実在の地名・名所などには一切関係ありません。