ジャロンダ

待ち続けるスイクン
テーマB:「ふじ」
この作品はR-15指定です
「藤って知ってる?」
 我輩は、一瞬の間を開けてから、マスターの方を振り向いた。
 フジ? あの木の事だろうか。それとも、ニホン、ジョウト……我が故郷から遠く離れたこのイッシュでの何かの言葉だろうか。
「ああ、木の事ね。淡い紫色が綺麗な、蔓を伸ばして成長していく植物」
 それなら我輩も勿論知っている。毎年、マスターに仕える事になってからも見に行っていた。あの色は、水君に劣らず美しい。
 頷くと、マスターは続けた。
「このイッシュに藤の木が持ち込まれていてね、沢山生えている場所があるみたいなんだ」
 それは興味が湧く。ちゃんと目を開けて、耳を傾ける。
「でね、ここからはちょっと毛色が違う話になるんだけど」
 ?
「日本だと藤って、不死と語呂合わせにされて長寿繁栄の象徴にされてきたりしたんだよね。それがまさかの現実になっちゃったの。イッシュのポケモンの成分……血とかじゃないよ、残酷な事はないって。うん。それで、その成分と合わせると、長寿になれるっていう結果が出たの」
 はぁ。残酷な事はないという言葉ほど信用できないものも無いけどな。
「私の寿命は貴方よりずーっと短い。
 後50年以上は生きるけどね。
 でもまあ、うん、とにかく。私、その研究に興味を持ったんだ。一緒に行こう?」
 マスターは、出会った最初からこうだった。
 興味を持ったらとにかく突き進む。

 次の日、交通機関を幾つも乗り継いで人里離れた場所にまで着いてから、やっと我輩はボールの外に出られる。
 我輩の姿は目立ち過ぎる。
 ホウオウ様の臣下である我輩の名はイッシュという遥か離れた土地においても知られているのだ。
 とは言え、ボールの中は窮屈でもある。
 背を伸ばすとポキポキと音が鳴った。
「あ、あそこだね」
 小山の上、広がる森の光景。マスターが指した方角の先には、その森の中に藤の花の淡い紫色で満たされたガラスのドームがあった。
 中々大きい。
 ドームの中央には灰色のコンクリートの建物があった。
「野生のポケモンの協力もあるんだって。そんな訝しがるような目をしないの。行ってみれば分かるでしょ」
 そう言って、マスターはゼブライカに乗った。
 他のポケモンも歩いて付いて行ける速度で暫くゆっくりと歩き、それから我輩とゼブライカ以外をボールに仕舞い、施設まで一気に走る。
 その途中で様々なポケモンを見かけた。
 モンスターボールのような模様のキノコの形、鋼の肉体に草の棘を生やしている、頭に赤い花を生やした華麗な姿、草タイプの蜥蜴のような姿、等々。
 森の中を走るのは、久々だった。自分を見る目線もニホンとは違う。
 大抵、ニホンでは我輩に対しては感謝の感情が向けられていた。こちらでは何もしていないからそれが無い。

 昼を過ぎた辺りでドームの近くまで着いた。
「草タイプのポケモンしか居なかったなあ」
 マスターは不思議そうに言いながら、またポケモンをボールから出した。
 そう言えば、と思う。
 森の中と言ったらもっと様々なポケモンが居てもおかしくないはずだが。
 そう言う場所なんだろうか、と思いながら、ドームへ歩く。研究員がドームの前で野生ポケモンの健康を見ていた。
「大きなジャローダだなあ。普通のよりとても大きい」
 歩いて行くと、我輩に気付いて去って行った。
 研究員もマスターと我輩達に気付いた。
 そう時間の経たない内に、中に入れた。
 透明なドームの中、藤の木が沢山植えられている。藤の香りも良く鼻に届く。正直、強い程だが。
 我輩がやや注目を浴びる中、マスターに大人しくしていれば自由にしていて良いよと言われ、我輩は藤の木の場所で野生ポケモン達の様子を見る事にした。

 強い炎の力を持つ我輩でも、大抵のポケモンには敬遠されない。ホウオウに仕えるこの身は、人間の悪の手からポケモン達を守る身だからだ。
 敬遠される時は、そのポケモン自身がその悪の手に加担している時だ。
 今まではそうだったし、それ以外の事は無かった。
 そして今、我輩はその野生ポケモン達から敬遠されていた。
 ……。
 ただ、今回はそれが即ち、この場所が人間の悪意に染まっている場所なのだとは思えなかった。
 長く生きて来た身として、沢山の悪にも触れて来た。悪意は隠し通せないものだ。巨大になればなる程漏れが出る。こんな大きい施設に悪意があったならば、我輩は敬遠されずとももうとっくに勘付いている。
 それにそもそも、我輩を敬遠しているのは野生なのだ。
 何故だ?
 気付くと、我輩以外も敬遠されていた。マスターの最も古いポケモンであるオーダイル、それからオオタチ、ドンカラス、ゼブライカ、そしてサーナイト……、どこ行った?
 我輩が悪意を感じ取れるのとは違い、サーナイトは直接心を感じ取れる。
 そのサーナイトが、ここに居ない。
 そして、また気付いた。研究者も、少なからずポケモンを持っている筈だが、そういう野生でないポケモンもここには居なかった。見ても、ここには来ない。
 ……何か、ある。
 我輩は、気を引き締めた。体の炎を、こっそりと温め始める。
 そして、我輩を遠巻きに見ている野生ポケモン達を見定める。何か、特別強いとかそんな事は全く無さそうだが、もう警戒しない対象ではない。
 その時、気付いた。我輩を見ているその目も、見定めている目だ。
 …………何故?

 昼が過ぎた頃に飯を貰ってマスターがやって来た。
 匂いを嗅いだが、特に何の変哲も無い。
「ここの人達、皆、良い人達だよ。話してて分かる。……あれ、そう言えばサナちゃんは?」
 藤の木々から離れた所で震えていたのを見つけた。
 どうした、とは聞けないが、一刻も早く帰りたがっているのは確かだった。
 ……悪意は、無い筈だ。
 その悪意が全く無い事に逆に不信感を覚えている。悪意が無いのなら何故、サーナイトは震えている? ここには何が隠されている?
 オーダイルがサーナイトの方へマスターを連れて行った。我輩も後から付いて行く。
 得体の知れない気持ち悪さ。
 何かに怯えているサーナイトに、マスターが手を添えた。
「……え? 狙われている? 食べられる? 誰に? 沢山のジャローダ? どういう事? 一から教えて」
 ……?
 過呼吸気味のサーナイトが、我輩達にもテレパシーで伝えてきた。
 見たのは、その野生ポケモン達の記憶。

 既に、野生ポケモン達にその長寿の薬の製法は知られていた。藤の花と複数の草ポケモンの体の葉を磨り潰すだけでそれは出来上がる。飲めば効果は得られる。
 若い内にそれを飲み続けた者が居た。
 若い時間が長く続いた。若い時の急激な肉体の成長が長く続いた。
 体は、遥かに大きくなり、必要なエネルギーが莫大になり、食べる量が膨れ上がった。
 ……髪形が独特な牛を絞め殺し飲み込むそのジャローダの姿が見えた。
 飽き足りないように川の中に潜り込み、魚を喰らい尽くす。
 人を襲い、その連れているポケモン全ても跡形なく飲み込んだ。

 ……見定めている、というのは、食糧としてか。
 この我輩をも喰らおうとしているのか?
「え、え、ねえ、ちょっと待って。これを、ここの人達は全く気付いてないの?」
 サーナイトは頷いた。
 ジャローダ達は、圧倒的に大きく、強くなる術を手に入れた。代償として訪れる空腹の為にここら一帯から草ポケモン以外は消えた。……残っているポケモン達はきっと薬の材料となるポケモン達だろう。
 サーナイトは荒い呼吸のまま、またテレパシーを送って来た。
 ――それだけじゃない。ジャローダ達は、藤の花を独占しようとしている。その為に、薬の材料となる野生ポケモン達をここに入れさせて、藤を咲かせるドームの仕組みを知ろうとしている。
 ……そこまでするか。
「どうしようどうしよう」
 マスターが慌てた。
 サーナイトが急かすようにテレパシーを送って来る。
 ――もう、時間が無い。ジャローダ達はもう、ここの施設の仕組みを大体理解している。
 ――エンテイ、貴方だって絶対に敵わない。
 …………。
 確かに、我輩でも勝てはしないかもしれない。でも、どうする? ここで逃げると言う事はもう、ここの研究者達を見殺しにするのと同じ事だ。
 我輩はホウオウ様の僕だ。しかし今はマスターの、善良なる人間の僕でもあるのだ。
「ねえ、どうしたら良い? 皆」
 いつの間にか、皆が集まって来ていた。
「……エンテイ。私、どうしたら良い? ここの研究者の人達、大体住み込みで働いていて、飛行タイプのポケモンとかも居ないの。テレポートとかを使えるポケモンも居ないの。
 地面から離れて安全にここから逃げられるのは私のドンカラスだけ。
 私、助けたいと思うの。
 だってここの人達、皆良い人なんだもの。悪意なんてないし、ちゃんと良識もある人達なの。
 でも、エンテイ、私に付き合ってくれているあなたに頼むしか、助ける方法が見当らないの……」
 しかし、とも我輩は思う。
 寿命にまで人間は手を出そうとしている。善意であれ、それを我輩はどう受け止めるべきなのだろう。
 我輩は寿命とは無縁の輩になってしまった。ホウオウ様から力を与えられ、そしてホウオウ様の命が尽きるいつか遠くその日まで、ホウオウ様に仕える身となった。
 我輩は、寿命と言うものが実質的に無いからこそ、寿命というものを本質的に理解出来ないのだ。
 長生きしたい、死にたくないというその願いの強さを、我輩達は一度燃え死んだ身だと言うのにも関わらず、忘れてしまった。
 悩んでいるその時、叫び声が聞こえた。

 ドームの出入り口の方から聞こえたその声は、長くは続かなかった。
「来た……駄目だ、逃げなきゃ」
 マスターの顔は既に憔悴しきっていた。
「で、でも、どこへ?」
 天井を見た。透明で頑丈なドームだ。出入り口は複数あるだろうと思ったが、その直後別の場所からも悲鳴が聞こえて来た。もう、全て塞がれてしまったか。
 ドームの壁を壊す事は、我輩やオーダイルでも骨が折れそうだった。
 マスターが涙声で言った。
「エンテイ……ごめん。私だけでも助けて。怖い」
 そう言って、我輩以外をボールの中にしまった。
 我輩は頷き、背にマスターを乗せた。

 出入り口の方へ向かって走る。逃げ惑う人間達の姿が見えた。
 言葉は分からない。だが、我輩に助けを求めているとは分かった。ただ、もうそんな余裕も無い。
 突如現れたジャローダ達は、数えきれない程に居た。
 視界の端で上を見上げて震える人間が見えた。
 その人間の目の前には、ジャローダ。人間より高い位置から見下ろして口をあんぐりと開けていた。そして人間の上半身を一気に口に入れ、身体をうねらせ持ち上げて、するりと口の中へ下半身を入れた。
 助ける暇も無い。
 部屋の中へなだれ込むジャローダ。腹を膨らませて出て来るジャローダ。
 物陰で隠れている人間を引きずり出し、全身で締め付けてゆっくりと味わうジャローダ。
 最終形態まで進化した個体がここまで多いのも恐ろしかった。
 そしてそこに悪意は無かった。純粋な力への欲望だった。

 襲って来るジャローダを片っ端から焼き殺しながら、入り口まで辿り着いた。
 藤の木も燃やしておけば良かったと今更ながらに思いながらも、入り口を塞いでいる蔦を燃やして、通り抜ける。流石に襲い掛かって来るジャローダを全て焼き殺していれば、我輩に襲い掛かるのも躊躇し始めていた。
 サーナイトが我輩でも敵わないと言っていたが、そんな事は流石にあるか?
 入り口を通り抜け、外へ一歩踏み出す。
 蔦が焦げ落ち、視界が開ける。外にもジャローダが大量に居た。
「ひ……」
 おぞろおぞろと目の前に広がる大地を這うジャローダ達。鎌首をもたげ、我輩を見るジャローダ達。
 突破出来るか……?
 その時、マスターが震えながらも小声で囁いた。
「時間稼いで。良いタイミングで、ドンちゃんで空に飛ぶ」
 了解。
 襲って来る前に炎を撒き散らし、近くのジャローダを燃え上がらせる。
 煙も散らした後にマスターがドンカラスを出し、我輩をボールに戻した。立ち上る煙の中、マスターは空へ逃れた。

 蔦も届かない高さまで一気に急上昇してから、とにかく遠くへと飛び始めた。
 マスターは身体を震わせながらも、無言だった。
 ボールの中からドームの中が少しだけ見えた。中はジャローダだらけで人間は居なかった。
 もう全員腹の中だろう。
 ……こうなってしまった以上、待っているのは駆除だ。文明の力を以て、敵と見做した人間が動き始める。
 我輩さえもこの光景には恐怖したが、同時に憐れみも感じた。
 でもまあ、これで終わりか……。後は人間に任せれば良い。もうこれは我輩の務める範疇ではない。
 一息吐いた時、草の刃が飛んで来た。

 真直ぐ、勢いを失わないまま飛んで来る草の刃。
 マジカルリーフ。
 我輩は動けなかった。空高くで出来る事など、無かった。
 マジカルリーフは、次から次へと飛んで来ていた。
 それ程にまで、我輩達を食べたいか。
 その草の刃はドンカラスを執拗に狙っていた。流石の距離で威力は落ちている。ドンカラスは打たれ強い。しかし、数が多かった。身体を切り裂き、羽をボロボロにし、マスターを掴んでいる足を傷付ける。
 そう時間が経たない内に、飛行は不安定になっていった。
「もう良いよ! 後はゼブライカに走って貰うから! 降りて!」
 ドンカラスは、最初は従わなかった。必死に羽ばたき続けた。けれども、執拗なマジカルリーフは、それを許さなかった。
 ふらふらと落ちていく。
 ある程度まで地面まで近くなった時、我輩は自発的にボールから出て、背にマスターを乗せた。
 マスターとドンカラスがそれに気付いて、ドンカラスは力尽きたように隣を落ちていった。
 常日頃から手入れをしているその体は、もう同じドンカラスだとは思えないほどにぼろぼろになっていた。
「ありがとう、ドンちゃ……」
 マスターがボールを取り出そうとした時。足に絡まっている蔦。高い木の上に体をうねらせ、蔦を伸ばしながらもう既に口を大きく開けているジャローダ。
 我輩が焼き切るよりも早く、ドンカラスは引っ張られていった。マスターがボールを向けてボタンを押した。ボールは、反応しなかった。遠すぎた。
 カチ、カチカチとマスターは何度もボタンを押した。
「何で、どうして、どうしてよ! どうして!!」
 ドンカラスは必死に羽ばたいた。けれど、ぼろぼろになった体は風を掴めなかった。執拗に傷付けられたその体にもう体力は残っていなかった。
「サナちゃん! お願い! 助けて!」
 ボールから出そうとしたマスターを、着地した我輩は止めた。
 頭を口の中に入れた、ジャローダの姿。もがくドンカラス。ジャローダは頭を口に含んだまま、木の上でぐるぐるとドンカラスの体をまきつけ、締め上げた。ドンカラスは全く見えなくなり、後はジャローダの口が締め上げる胴のその中へ潜っていくだけだった。
 我輩は走った。マスターは放心していた。
 逃げなければいけなかった。
 後ろからジャローダ達が迫って来ていた。大量のジャローダ。おぞましく、我輩達だけを標的に、迫ってきている。そしてまだここは、そのジャローダ達の棲処でもあった。

 徐々に距離を詰められている。我輩よりもジャローダ達の方が僅かに速かった。
 しかも、唐突にどこかで潜んでいたジャローダが襲い掛かって来る。
 蹴散らす度に、更に距離が詰められて行く。炎を散らそうとも、煙を巻こうとも全く衰えない。
 我輩では、追いつかれてしまう。ゼブライカであればギリギリ撒けるかもしれないが、マスターは放心していた。ゼブライカ自身も怯えているのか出ようとしなかった。
 我輩が何とかしなければ。
「あ、あ、ああ」
 向って来る蔓を片っ端から燃やして、走る。来る時、どこから草タイプのポケモンしか見なくなっていた?
 いや……我輩はこの森で草タイプ以外のポケモンを見ていない。
 ボールから出て、数時間は走った。そして、その出た場所がジャローダ達の棲処の外だとも分からない。
 繁みからいきなり我輩の目の前に飛び出して来たジャローダが技で大量の葉を巻き上げた。視界が塞がれた。
 燃やし、見えなくとも走り抜けた。
 一緒に燃やしたジャローダを飛び越え、突然体が軽くなったのを感じた。
 着地した時、別のジャローダがマスターを蔓で巻き上げていた。
「いやあああああああああ」
 ボールからオーダイルが思わず出て来た。爪で蔓を切り裂いた。
「あ、あ、あ、あ」
 オーダイルがマスターを抱えて着地し、ジャローダが怒りの形相で迫って来る。
 オーダイルが我輩の背に乗ろうとして、足が止まった。新しい蔓が既にオーダイルを捕えていた。オーダイルはマスターを我輩に投げた。
「あ、いや」
 背に乗ったところで、マスターがやっと正気に戻った。
 がくがくと震える手でボールを掴んで、落とした。
 その間にもオーダイルの腕に、足に、蔓が幾重にも巻き付かれていく。背後からはジャローダ達がすぐそこにまで迫っていた。
 オーダイルは、吼えた。行けと言っていた。
 ボールを拾って再び収める時間さえも、もう無かった。
 我輩は、それでも躊躇した。このオーダイルは、マスターの最古のパートナーなのだ。
 オーダイルは行ってくれともう一度吼えた。恐怖が混じっていた。二匹のジャローダがとうとう追いつき、計三匹が体を締め上げ始めた。苦痛の声。にちゃあ、と涎を垂らして口を大きく開けるジャローダ三匹。とろとろとオーダイルの顔に、涎が垂れた。オーダイルの顔から、感情が消え失せた。
 我輩は、振り返って逃げた。

「もうだめなんだ、だめなんだ」
 また放心してしまっていた。我輩の足に何度も蔓が巻き付く。何度燃やしても、巻き付いて来る。転びそうになるのを耐えながら、マスターにも迫る蔓を焼き払いながら、我輩は走った。
 ジャローダはすぐ背後に居た。
 激しく、一心不乱に這い迫って来る音が聞こえていた。
 我輩は、寿命を感じ始めていた。
 切実に迫る死が、我輩の頭を覆い始めていた。ホウオウ様に頂いたこの命が、こんな離れた異国の見知らぬ土地で尽きてしまうのか。
 ああ、ホウオウ様。
 我輩は、まだ、死にたくない。
 なのに何故か、我輩は後ろを振り返ってしまった。
 我輩達を舐め回すように見つめるその目。純粋過ぎて、狂っているような捕食者の目、目、目。我輩の足が思わず竦んで、転んだ。マスターが我輩の背から落ちて、ごろごろと転がった。
 追いついたジャローダが跳び掛かって来る。燃やして、燃やした。燃えた後に、後ろからまた飛んで来る。横に、背後に、回り込まれる。
「いやあああああああ」
 マスターが蔓に引きずられて行った。ボールが奪われ、破壊された。中のポケモン達が無理矢理出された。
 オオタチが抵抗する間も無く、勢い良く突っ込んで来たジャローダに食いつかれてごくりと飲まれた。
 ゼブライカが逃げようと走り始めようとする前に、その脚に蔓が巻き付いた。電撃を放っても千切れはしなかった。我先にと殺到したジャローダ達にぐるぐると巻きつけられて、絞られていった。血が染み出て来た。
「やめ……やめてぇ……」
 木にしがみ付くマスターの姿が見えた。下半身を既に飲み込まれていて、ずっ、ずっ、とジャローダがゆっくり腹の中へ入れていた。腹、胸まで口の中へ入った後に、強引にその木から引きはがして、上を向いてするりと落とした。
 手が口の縁を掴んだ。ジャローダは口を閉じて、無慈悲に飲み込んだ。
 サーナイトがバリアを張って耐えていた。ジャローダがすぐに壊す。何度バリアを張り直しても、すぐに壊され、とうとう一匹がその首に噛みついた。サーナイトの顔が我輩の方を振り向いた。絶望。その背後には口を開けて飛び掛かるジャローダ。押し倒され、そこに更にジャローダ達が殺到した。
 転んだまま動けなかった我輩だけが残った。ゼブライカを絞め殺して血に染まったジャローダがいた。サーナイトのヒラヒラだけを引き千切って口に入れていたジャローダが居た。マスターを飲み込んだジャローダ。口に付いた血を舐めとるジャローダ。腹を大きく膨らませたジャローダ。それら全てのジャローダが、我輩を囲んでいた。
 立ち上がると、体がガクガクと震えていた。心臓がバクバクと震えていた。口がカチカチと音を立てていた。
 ずるり、ずるりと回りながら、徐々に距離を狭められている。その目は、どれも捕食者の目だった。どこを向いても、捕食者の目をしたジャローダばかりだった。
 舌をチロチロと動かしているジャローダが居た。じゅるり、と涎を飲み込む音がした。その方を向くと、近くの木に這い上り、そこから狙おうとするジャローダが見えた。震える体にどうにか力を入れて、体を整えるその目の前に口を開けて、我輩に跳び掛かろうと身を絞らせるジャローダが居た。そのジャローダに、思わず炎を突っ込んだ。
 それが皮切りに、一斉に襲い掛かってきた。
 足を踏ん張る。それでも震えは止まらなかった。けれどありったけの炎を体から出した。全ての力で抵抗した。
 燃やして、足に巻き付かれ宿り木を至る所に植えられ、燃やして、転ばされ、燃やして、首に巻きつかれ、口を閉じられ、息が出来なくなった。ぎゅう、ぎゅうと、ぎち、ぎちと骨が軋み、足を畳まれ、我輩は、動けなくなった。
 ただ、視界はまだ開いていた。
 倒れた我輩の前にはそびえ立つ太い胴。その上から沢山の捕食者の目が、我輩を見ていた。ただ、何故か、一向に誰も食おうとはしてこなかった。
 ……なん、だ?
 その時、目の前のジャローダ達が道を開けるように、身体をずらした。
 ずる、ずる、とより一層の強い這いずる音がした。
 目の前に、更なる巨体のジャローダがやってきていた。我輩をも、飲み込んでしまいそうな大きさ。
 そのジャローダからは、強い悪意を感じた。

 ゆっくりと我輩の目の前までやって来た。舌なめずりをして、垂れた涎が地面にぽとりと落ちた。馳走を目の前にした顔。馳走は、我輩。我輩。
 そのジャローダから蔦が我輩に伸びてくる。ゆっくりと。最初に口に巻き付き、我輩を抑えていたジャローダ達が少しずつ離れていく。
 一切の抵抗を許さないまま、我輩の体が蔦で覆われていく。ゆっくりと、新たに縛り上げられる。
 全てのジャローダが離れた。
 目はわざと開いたままにされていた。目を閉じれば、こじ開けられた。
 その緩慢な動きは、わざとだった。我輩を怯えさせ、愉しむ為の動きだった。分かっていても、我輩は、その恐怖に呑まれていた。
 体が冷たい。心の根まで、呑まれてしまったような。
 ひたり、ひたり、と我輩の体にその胴が巻き付いて行く。隙間なく締め付けられて行く。
 鼻から、息が漏れる。ばくばくばくばくと心臓が弾けている。体が持ち上げられ、すぐ側にジャローダの顔があった。
 愉悦の、表情。今まで見て来た何よりも恐ろしい、残虐な女王の、悦びの目。
 あ、ああ。
 口が、ゆっくりと開いて行く。赤い口の中、その先の完全な暗闇。
 ぽたり、とろ、とろとろと我輩の頭に涎が垂れて来た。生暖かい、ねっとりとした涎。いつの間にか流れていた涙と混じった。ジャローダがそれを舐め取った。そして更に口が大きく開き、ゆっくりと、近付いて来た。
 あ、あ、あ……。
 口が、我輩の頭を覆った。暗闇になった。気持ち悪い生暖かさで心までが覆われる。ぐちゅぐちゅと舐め回され、身動きが全く出来ないまでに縛られている身体が震えた。震えている間にも、身体が、奥へと入っていく。
 何も、出来ない。何も、何も。蔦は千切られていた。口を強く縛ったまま、体を縛ったまま。炎も何も、全く出せなかった。体は、震えるだけだった。
 ずる、ずる、と口の中へ入れられて行く。完全な暗闇、そこら中にある胃液が、我輩の顔に付いた。
 藤の花の香り。淡い紫色の、藤の花。
 藤の、香り。
 優しい、藤の、香り。
 藤、淡い紫色の、花。
 一面の紫。